なぜ羊飼いでなければならなかったのか!
- 伝道者:ウィリアム・ブランハム
- Birmingham, Alabama, USA
- 録音番号:64-1221
- 年:1964
1
…私は、一種ベテランで長く話す説教者だと思います。そして、教育をうけていないので、私は一部の人々にとっては説教者のようには聞こえないでしょう。そして、私は説教者であると主張することすらありません。ただスペアタイヤのようなものなのです。しかし、私は神からのメッセージを持っていると感じています。自分のやり方で(私がそれを提示しなければならない唯一の方法です)、私はそれを世界に提示しようとしているのです。そしてもし、私がそのメッセージに留まらなかったなら、私は神への裏切り者であり、あなたに対しても偽善者になるです。あることを言い、別のことを信じる人それは偽善です。私たちは常に心から真理を語らなければなりません。人々が私たちを見るとき、たとえ彼らが私たちに同意しないとしても、私たちは立派な男性と女性になりたいと思っています。私たちは心から、それは心の中で真実であることを話すのです。2
去年、または去年の前の年、私はここラマダで、クリスチャン済みません、クリスマスのメッセージを話す特権がありました。。そして、私はこの事柄について、ここかフェニックスのどちらかで話しました:なぜ小さき町ベツレヘム?そして私はそれがここだったと信じています、去年:我々は彼の星を東で見て彼を礼拝するために来た。というメッセージを語りました。そして、あなた方がご存じのように、我々は聖書を読みます、そしてそれらの「何故だろう」と言う事を考えるのです。そして今夜私は、しばらく一緒にいて、一緒に祈るなら、あなたにクリスマスメッセージを与えるようにしようと思ったのです。神は、私たちが次のクリスマスがあるとするならばその場所が何処になるかを知っている唯一の方なのです。だから、もう一つの食卓に着くまで、これが最後のクリスマスになるかもしれません。そして、それはこの種類の一つではありませんが、道の終わりにある父の王国で、主との交わりを新たにするために食べたり飲んだりする時となるでしょう。そして、今夜、誠実さの深みの中で、これがこれまでにともにした最後のクリスマスのメッセージであるかのように、それに向かっていきましょう。
3
私は今夜、変わった主題について話したいですが、時々は変わった事柄の中に神を見つけるのです。主は普通ではない方法で物事を行われるのです。一般的なやり方ではなく、いつもと違うやり方で、いつもと違う時に、いつもと違うシーンで、彼は普通ではないのです。そして私はこれが欲しいのです…御心ならば、私は次の主題についてお話ししたいと思います。何故牧師が居なければならないのか。そして今、私たちがみことばに近づく直前ですが、それ(御言葉)が神であると信じています。「初めに言葉があった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。(ヨハネによる福音書1:1)そして言葉は肉体を取って現れ我々の内に宿られた。」
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先週、または先々週フェニックスで言ったように、「この地球を通過する人々、今この建物を通過している人々がいることによって証明されています。」テレビがそれを証明しています。それは別の次元にあります。私たちの自然な目と私たちの五感はそれを拾うことができません。テレビは何かを製造するのではなく、チャンネルのみなのです。指で動かすことはできません。瞬きでもそれはできませんが、永遠に記録されることが証明されています。私が立っているのは…または、オーストラリアの男性が、テレビ画面を持っているだけでなく、話したり、指を動かしたり、瞬きをしたり、着ている服の色を映したりすることができます。この壁に; 彼はアフリカ、オーストラリア、世界中どこにでもいるのです。見てくださいね、エーテル波の周期があります。私はそれを説明することはできませんが、私はそれがそこにあることは知っています。誰もそれを本当に説明できるとは思いません。だから、テレビはこれを引き込み、いくつかの機器によって、壁に反射させることが出来るという現実を作り出すのです。5
さて、同じことがアダムがここにいた時にありました。エリヤがカーメル山に座った時、テレビはここにありました。そこにいたのは、その若い司祭であるマーティン・ルターが聖体拝領を床に投げて言った、「それはコーシャです!そして義人は信仰によってのみ生きる。」とそれはその時ここにありましたが、私たちは今それを見つけているのです。そして、今夜私たちの前にいるのは、神、天使、超自然的な存在であり、私たちの自然な視覚で見る事は出来ません。しかし、いつの日か、テレビが今現実となっているようにもっと一般的なものとなるでしょう。さて、それが私がみことばを信じる理由です。イエスは言われました、「だれでもこの聖書に1つの言葉を加えるか、あるいは1つの言葉を取りだすならば、生命の書彼の名前は消されるでしょう。」
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それでは、それ(御言葉)を読む前に頭を下げましょう。厳粛に!肉体的な力を持っている人なら誰でもページをめくることができますが、それを明らかにできるのは神様だけなのです。そして今、私たちがちりを取って作られたところから頭を下げているからいつの日か戻られると、思っています..そして、この厳粛な瞬間に、私たちがクリスマスに近づいているとき、本当にふさわしくないと感じていて、この祈りの中で思い出されたいものがここにいるなら、あなたは(頭を上げずに)ただ神にあなたの手を上げて、こういってください?主よ、このクリスマスに私の事を覚えてください?」と神の祝福がありますように。
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最も神聖で栄光に満ちた天の父、全能の神、彼は初めから、星や原子や分子が生まれる前からおられました。あなたはあなたの御子であるイエス・キリストによってすべてのことを作られ、彼にあるものである我々にすべてのものをただで与えられました。今夜、主よ、あなたに我々が集まって聖霊に警告され教えられるこの機会を与えてくださったことに感謝します。そして、聖霊はあなたの言葉を取り、私たちにそれを明らかにします。なぜならイエスは言われました、「彼は真理の御霊が来られるとき、彼は私が言ったこれらの事をあなたに思い出させ、また来るべき事をあなたに示します。」と「神のことばは私的な解釈ではない」と書いてあるので、神よ、わたしたちの中にだれも。あなたのことばを解釈しようとするのにふさわしい人はこの地上には一人もいないのです。ですから、主よ、私たちは今夜、聖霊を私たちに与えてくださるように祈ります。あなたに近く歩むために、我々の飢えを満足させるに必要な分をここに居る全員に一人一人に与えてください。私たちは不適当で、汚れていて、ふさわしくないのです。ベツレヘムで生まれ、最も完全な人生を送った、地上で唯一の完全な人であった御子が、汚れた罪人を清め、父との関係に私たちを連れて来るために、今夜、身代金を支払われたのでした。彼の聖霊が(みことばの説教を通して)それを私たちのためにしてくださるように。
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主なる神様、今日の地には、私たちが今までに治療した最高の薬、最高の薬と最高の病院に直面している多くの病人たちがいます。それでも、我々の世界での偉大な科学的発見のすべてにおいて、歴史上これまでに知られているよりも多くの罪と不信仰があるので、世界がこれまでに知っていたよりも多くの病気があるのです。今夜私たちを助けてください、偉大なる医師である方、私たちの中に居る病人たちを癒してください。そして、御霊、真のクリスマスの御霊を我々にお与えください。今日の…異教の儀式、クリスマスツリーが崇拝されたとき、サンタクロースと呼ばれる男性とイースターのウサギの物語、そして商業の世界が利用している様々なファッションによって、神様は、脇に置かれるようになるかもしれません。みことばであるキリストに入りましょう、彼の御名と栄光のためにそれを願います。アーメン。
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聖書のルカによる福音書の第二章の朗読のために開きましょう。聞こえますか?マイクでの移調がありますか?後ろの方の方々は聞こえていますか大丈夫ですか?聞こえて居たら手を挙げてください。よろしくお願いします。ルカによる福音書の第二章。
そのころ、税金を払わせるために全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
(そしてこの税に関して最初に知らされたのは…シリアの知事でした。)
そして、彼の国の全員に対して課税されました。
ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、課税を登録するためであった
そして、それは、彼女がそこにいた間、彼女が解放されるべきことを成し遂げられるべき日々でした。
そして彼女は長男を産み、おくるみも包み、飼い葉桶に入れました。 宿には彼らのための部屋がなかったからです。
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。
そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。
人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。
しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。
羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。
主が御言葉の朗読に祝福を加えられますように。
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さて、それは…なぜこの素晴らしい出来事が羊飼いに明らかにされたのでしたか?それは私たちにとっては驚くべきことなのです。いくつか書かれた聖句があり、皆さんに知っている限りの理由を説明するために書き記したメモもここにあります。そして多分この後、今夜、主は恵みを持って、疑問が私たちから取り去られることになるでしょう。しかし…私たちのほとんど全員が、一度かそれ以上に、この史上最大の出来事が羊飼いたちに明らかにされたのはなぜだろうと思ったと思います。。なぜそれがその日の神学者ではなく羊飼いに明らかにされたのでしょうか?彼らはそれを聞くように訓練された人達でした。そして、なぜそれは金持ちを迂回して貧しい人にやって来たのだろうか?また、なぜそれは学識のある賢明な人たちを迂回して、謙虚で未学の者に来たのだろうか?この中には、いくつかのその何故に対する質問があります。11
そして、私が言うかもしれないもう一つの理由は、その赤ん坊はベツレヘムで生まれたことです。ヘブライ語の解釈ではどのベツレヘムの事なのでしょうか、数年前にここで見たように、ベツレヘムは「神のパンの家」を意味します。そして我々は聖句の中で彼が他のどの場所にも来られないことを証明しました。ベツレヘムはラハブと彼女の夫によって設立されました。ラハブはエリコを奪った後、イスラエル軍からの将軍が守った娼婦でした。そして信仰によって、彼女は神のメッセージを自分の状態で信じたことのゆえに、彼女は救われたのです。そしてそこから、ヨシュアがそれぞれの土地を分けた時、…12
そして、いつか私がそれらの赤ん坊を出産するヘブライ人の母親たちに関してツーソンにもたらすことができることを望んでいる素晴らしい教訓があります。彼女は赤ん坊の誕生の痛みにうめき声を上げたとき、彼女は赤ん坊の名前を呼びました、そして約束された地に置きましたその部族もです。すばらしいことは、すべて神のことばが一致していることです。それが合わない場合、それは神の言葉ではなく、あなたの考えがその言葉に合わないからなのです。それはすべて一緒にうまく合うのです。13
ですから、先週フェニックスで、または先々週教えたように、彼は命のパンでした。そして命のパンである彼は、「神のパンの家」以外で生まれることはできなかったのです。それが理由でした。さて、イエスはベツレヘムで生まれました、そしてベツレヘムには会堂がありました、ベツレヘムには偉大な宗教指導者たちが住んでいました。偉大な王であり羊飼いのダビデはベツレヘムで生まれ、父のエッサイもベツレヘムで生まれ、祖父であるオベドもベツレヘムで生まれました。また、先にずっと戻ると彼はベツレヘムの出身だったのです。またこのように、ダビデの子イエスは、大聖堂の影の真下である、ベツレヘムで生まれました。それから、それらの人々が訓練されていて、このすべての年の間救い主を探していたなら、 四千年の間、救い主が来ると預言されてきたのでした。そして、もし救い主が大聖堂の影の中で生まれたなら、なぜ彼らは山に戻って、たくさんの無学な訓練されていない羊飼いたちにのところに偉大なメッセージ、最初のメッセージをもたらさなければならなかったのでしょうか?そして任命されていた羊飼いたち!賢い訓練された者達ではなく、羊飼いたち。おかしなことではありませんか?しかし、どこかにその理由があるはずです…理由はありますが、今は答えが必要です。そして答えは神を救うことを誰も知りません。彼が唯一答えを知っている方なのです。
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さて、覚えておいてください、救い主はすでにその町にいて、その町の偉大なる教会の建物のまどなりの馬小屋で生まれました。 大祭司、神学者、そして賢者、そして訓練された人たち、すべてが救世主を待っていました。そして彼はそこに、彼らの真ん中にいました!しかし、なぜその時、彼らはユダヤの丘の外に行って、何も知らない、訓練されていない、文化もない、最も貧しい人々に行ったのでしょうか?そのような仕事に最もふさわしくない人のように見えましたがメッセージを明らかにし、メッセージをもたらすために彼らを送りました。私の意見を知っていますか?それほど多くはないかもしれませんが、私は私の意見を言いたいと思います。神の知恵だからと私は信じています。神が彼らのようなメッセージを受け取らないと彼が知っていたのは神の知恵なのです。彼らの学習の趣味ではありませんでした。それは違っていました。彼らが彼がそうであると信じるような訓練されたものではありませんでした。それは彼らの神学的理解に反していました。彼らのすべての訓練、彼らの学習はすべて無視され、無になってしまうのですから。彼らがそのようなメッセージを受け取らないことを知っていたのは神の知恵であったと信じています。
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つまりその救い主はここにいました、そして誰かがそれを認めているにのは間違いのない事実です。そして、彼はそのようなもので混同されていなかった人々を知っていました。彼は、彼のメッセージを無学な者のグループに届けることができます。彼は、神のことばでさえ、何も彼らを変えることができないような方法で設定された混同したグループよりも彼のメッセージを得ることができるでしょう。そして今、クリスチャンの友人達、この質問をさせてください。全身の誠意と愛を込めて。彼が今夜同じことをするのかと思って、この世代に私たちに約束されている言葉を送りますか。神学者と教育者は、メッセージを同じように否定しないのではないかと思います。彼らがしたようにするのでしょうか?人は変わりませんが。神の言葉も変わりません。彼は不変の神です、彼は変わりません!
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気が付いてください、天使が来て…天使が来て、そのような低い地の人に彼らのメッセージを与えるとき、そこには、これらの貧しい、文盲の羊飼いよりもはるかに多くの(地上で考えられている)人々がいました。羊飼いは誰よりも文盲でした。彼は自分の羊のことだけを知っていれば他には必要はありませんでした。彼は数学を知っている必要はありませんでした。彼が、原子を分割する方法を知っている必要はありませんでした。彼は奨学金を必要としませんでした。彼に必要だったのは彼の羊を知っている事だったのです。そして神、偉大なる知恵、そしてすべての知恵の泉と資源は、そのような人(むしろ、その人達として)を選び、そういったことを知るために訓練されたすべての学者たちは避けるでしょう。彼らが間違った分野で訓練されたという事だけが分かるのです。地のすべての重要なものをおしのべて: 重要な人々、偉大な教師、大祭司カヤパ、他の多くの偉大な人、イスラエルのすべての力強い学派、すべての教派、そしてすべての自慢の神学者たちがいました。神は彼らのすべてを避けたのでした!さて、それが神の知恵です。17
気が付いてください、最も高い天は地の最も謙虚で無学の人々を称える事を推し進めているのです。天で最も高い方が降りて来て、彼自身を地の最下層に知らせました。 これらの一普通の羊飼いたちに史上最高のメッセージを与えるために来たのです。多くの偉大な使者たちがいました。私たちはノアの時代、そして預言者たち、そして偉大な司祭たちなどがいた過去の時代のことを考えていました。偉大な学者、王、有能者、君主、しかしここに彼はすべてのメッセージの中で最も偉大な者と共に来られるのです。そのメッセージとは何でしたか?「救い主は今ここにおられる!」分かりますか?そして、それを知られるようにするために、彼は訓練された者すべてをわきに置いて避け、それを謙虚な羊飼いに知られるようにしました。考えてみてください。すべての聖職者、すべての教会員、すべての教師、すべての神学的に訓練を受けた者達、すべてのお金が費やされ、すべての教会、教義、宗派は全て避けられたのでした!彼らが費やしたすべての学習、すべての宣教師、すべての改宗者、すべての会員、そして彼らが神に敬意を払ったと思っていたすべてのものですが、すべての重要なメッセージは彼らを避けて行ったのでした。奇妙ですね!何故なのでしょうか?分かりますか?
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そして、それだけでなく、そのようなイベントのための最もありそうもない場所で起こったのです気が付いてください。さてそのメッセージを受け取ったものは羊飼い達だったのです。そして今、メッセージがどこにあったかに気づいてください:誰もがそれが来ることを期待されることが最もありそうもない場所にでした。そして、私は今夜、私たちが主イエスの真のメッセージを探していたら、それはありそうもないグループにあるのではないかと思います。今日、偉大な文化の高い世界と教会は、ああ、異端者のあつまりと思われるような場所にではないでしょうか?それ私たちが彼を見つけられる場所ではないのでしょうか?最もありそうもない場所、そして最も資格のないスピーカーのところに。羊飼いは話すことを何も知らず、ただ羊を呼ぶだけでした。 まあ、多分それがメッセージが来る理由だったのです19
しかし約束の言葉がありました。気が付いてください、それが再び行われる可能性があるのです。それは土地のすべての気位の高い者達を避けていきました。それはすべての気位の高い者達を避けて、あなた方に明らかにされました。偉大な神性を持つ医師、そして心理学、そして高度な教育、そして偉大な大聖堂やもので飾られたすべての気位の高い者達は、皆避けられて小さき者達に明らかにされたのでした。全能の神の無限の知恵は、彼らにこれまでにない最大のメッセージを知らせるために行われたのです、「救い主は今地上におられるのです」。なんという知恵でしょう!知恵を知っている神からのみ来ることができます!すべての知恵とすべての教育、そしてすべてが今や無駄にされ、神の偉大な知恵によってそれらは避けられたのでした。深く掘り下げてもらいたいので繰り返し続けます。すべてが無駄になった、それは良くなかったのです。神の知恵は正しい方法があり、それら全てをさけたのです、神は何かを作るために何かを必要とはなさらないのです。
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ここで止まって、ヨハネについて話すことができます。エリヤのことをここで止めて話すことができます。エリヤがどこから来たのかを誰も知りません。彼らが知っているすべてについて言えば、彼はただその場に現れたのでした。預言者たちは時代を超えて戻ってきました、彼らは決して有名ではありませんでした。しかし、神はそれを…そして教会の倫理と教えを回避して、彼が神であることを示させたのです。彼はそれを使って何かをするために、何でもないものを用いるのです。そして彼は何でもないものを用いる事によって彼の知恵と神性を示します。彼が初めて人を創られたとき、粘土のボールを取り、それによって人を創られたのです。それは土にすぎませんでしたが、そこから彼は人を創りました。そして、神は今、何でもないものを取って、それによって何かをするのです。そして、私たちが何者かであると考える限り、神の手に使われることはできません。私たちは、かつて知っていたり、学んでいたことをすべて捨てなければなりません。[ブラナム兄弟が喉をすっきりさせます— 編集。](ごめんなさい。)偉大な聖パウロのように、彼が今までに学んだすべてを忘れなければならないそうすることによって彼はキリストを知るかもしれないと言いました。21
彼らのすべての教育、すべての彼らの教えなどは、彼らにとって最悪のものとなってしまっていた。それはついに彼を否定しました!彼等は彼を信じるための正にその学習は、彼を信じたのに、振り返ってしまい彼の最も最悪な敵となり、彼を十字架につけたのでした!歴史がしばしば繰り返されることを知っていますか?それは注目すべき事実です。それは私たちの側で再び起こるかもしれません。「ああ、あなたは、「もし私がその時生きていたら、……」と言うでしょう。さて、今、もしあなたが何をしたかを知りたいのであれば、今のあなたの現在の状態を見てください。 そして、それは絶対に明らかになるからです
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彼の言葉を信じるように訓練されて、そして彼の言葉が彼らの目の前で立証されたとき、彼らはその立証された言葉を否定しました。神が彼が何をするかを証明し、彼が何をするかを言い、彼が何をするかを証明した時、彼らは振り向いてこの人を「悪霊」と呼びました。(それが彼等を皆呪ったのです。)何が起こったのか考えてみてください!それらの原因を考えてください。 彼らの訓練はその日のために正にその御言葉が肉を造られたそのことを認めない理由となったのです。 彼らが学校で受けた訓練と、最高の教師たちと言われる者達によってです。そして、「えっと、今日、私たちはそれをしません。」とあなたは言います。彼らの教師は今日の私たちよりもはるかに最高で(むしろ私たちの教師よりも優れていました)、そして彼らは滅びたのです。今日のように、彼らには946の異なる組織はありませんでした。彼ら3つくらいあっただけでした。そして、3つの中で、3つとも従っていて、そして、3つの誰もそれを認めませんでした!ただ人間が神にとって愚かであることを示すためだけの事なのです。分かりますか?
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今、彼らはそれを認識できませんでした。さて…そして、彼らは再び同じことをするでしょう。ひと…動機は良いのです、それは常に良いのです。そして人は決して姿勢を変えません彼は決してやり方を変えようとはしませんでした。 私は世の人の話をしています。人間は常に、神を賛美し、宗教的な人は、常に神が何をされるかを指示したり、彼がなされることのために、そして、神がなさっている事を無視しています。分かりますか?それはただ人なのです、彼はそのように作られました、彼はいつもそのようにされてきましたそして、今晩の聖書の読者たちであるあなた方は、それがみことばによれば「正しい」ことを知っています。彼らはいつも神がなさったことのゆえに神をほめたたえ、神が何をするかを言い、神がなさっている事を無視しています。それはただの人間の習慣です。
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彼らがこれをした理由は、教師たちなのです、今の私の意見では;彼らはみことばを解釈したのです、なぜなら、彼らは皆、来るべき救い主は信じていたからです。すべてのイスラエル人はそれを信じました、彼らは今日もまだそうなのです。しかし、彼らが彼を認識しなかった理由は、彼のメッセージが彼らの教会の適合性にあっていなかったからなのです。彼らは…彼らがみことばについて持っていた彼らの解釈、救い主は彼らが彼がそれをするだろうと彼らが解釈したような方法で彼自身を決して表されなかったのです。ですから、彼らは彼を認識しませんでした。私が以前言ったように、そしてもう一度言います、「神は御言葉を解釈するためにほかの誰も必要とされません。彼は彼自身で解き明かされるのです。」25
さて、聖書はこう言っています…それが真理であることを証明しましょう。預言者イザヤは、これが起こる百七十五年前に、預言者イザヤは言いました、「処女がみごもり、子を産むであろう」。その時代の誰もがイザヤが言ったので、彼らの娘がその女性になると思っていたことに疑いはありません。しかし、それはそれから700年後のことだったのです。しかし…その時、神には、だれも彼の言葉を解釈する存在を必要とはしていませんでした。彼はそれをするだろうと言われ、そして彼はそれをしました!26
神は彼が…イザヤで終わったと約束しました、また、私は28章:18節を信じています。そして、ヨエル2:28において、終わりの時、最後の2000年で、彼は彼の御霊をすべての肉に注ぐと言われています。彼は言った、「あなたの息子と娘は預言する。若者は幻を見るだろう。老人は夢を見る。」イザヤはまた、「彼がすることは、私がこの人たちに話しかける口唇や他の舌を使って話します。これが残りの部分です。」と言いました。しかし、彼らはそれを聞きませんでした。彼らは頭を振ってそれによって歩きました。彼は言いました、「すべての食卓は吐いた物で満ち、清い所はない」そしてそれがエルサレムの状態ではなく、救い主が来るべき時の教会であるなら、それは今日の状態と同じなのです。繰り返されるだけです。さて、神がある事をすると言われた時、彼はそれをされました。他の人がそれについて何を考えているか、誰が何を言っているかに関係なく、神が何かについて語るとき、神はその御言葉であるご自身をご自身が解釈する義務があります。そして、みことばの彼の立証は彼自身の解釈です。彼の救い主のメッセージを立証している事に注目してください。彼は彼が来るとき救い主が何をするかを約束していました。そして彼が来たとき…
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東の賢者たちがバビロンにいるところから南西に見下ろしていた所から、雄大な星を見ました。歴史の汚点などはどこにもないことをご存知ですか?天文台はどこにもありませんでしたが、(彼らが星によって時間を守っていた場所でさえ、これらの星を研究した偉大な人)…誰もその星を見たことがないというような歴史には全くないのです。何故でしょうか?それは彼らには与えられなかったのです、彼らはそのようなものを探してはいなかったのです。しかし、これら賢者たちは、ヤコブの星が上がることを知りそれを探したのです、そしてそれはイエスがベツレヘムで生まれた時から過ぎ去ったのでした…さて、私は我々のキリスト教の伝統を知っています。それは私たちの教会のようですそれとはさかさまの事があるのです。あなたはここに出て来られます、そしてあなたは赤ん坊を崇拝するために賢い人が来るのを見ます。 聖書にはそのようなことは書かれていません。2年後、彼らはそこに着き、平原を下り、ティグリス川を渡りました。彼らはその赤ん坊を崇拝するために来ることはありませんでしたが、2歳くらいの幼い子供でした。なぜ、ヘロデは同時に2歳以下の子供たちを全員殺害したのですか。彼が救い主を捕まえられるかもしれなかったから。ほら、彼らは…神はみことばによって立証されました。
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そしてこれらの賢者がエルサレムに来たとき…星が彼らを世界の宗教的な首都、エルサレムに導いたのでした。そして、彼らがそれらの門に入るとすぐに、その星(彼らを導いた超常現象)は彼らにそれ以上の事を示すことを拒否したのでした。通りの上下で、これらの立派な男、立派な布で覆われたラクダを持つ金持ちの男などが、通りの上下で「ユダヤ人の王である彼はどこにいますか」と言っていたのです。私たちは彼の星を東側に見ました。」そして、その偉大な宗教の中心都市では、羊飼いのメッセージの2年後、まだ答えもなく、それについて何も知りませんでした。すべての宗派の頭は答えを持っていませんでした。だから、それはサンヘドリンを妨げました、そして彼らは律法学者に来て読むように呼びかけました。そして彼らはミカの話を読みました、預言者はこう言っていました「 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。とそして、その聖句が読まれた後(そして、まだ彼らの目の前で立証されていたのです)、聖句がそう言っているにも関わらず、彼らはまだそれを受け入れませんでした。もし今日約束されている聖書が明らかにされるとしても、彼らが今日そう(信じるようになる)するかどうか私はかなり疑っています。私は二度とあなたに説教しないかもしれません、が私はあなたにこれを理解して欲しいのです。それでも彼らは信じないでしょう!
父の偉大な知恵は、人間の知恵を愚かにさせまた、彼はそのような人間を軽視します。彼は実際にそれが人間を自分自身をとても恥ずかしく感じる場所に来て、彼(人間)は「間違っている」ことを認めるほど大きな人格をしてはいないのです。父がどれだけ彼の言葉が真実であると証明し、約束したことをしていたとしても、彼はまだ彼の話を続けているのです。人は彼の知恵が神より優れていると考えます、もしそれが彼の知恵に従って来なければ、「なぜ、それはそうならないのか。」となるわけです。それはすべての時代に当てはまりいまだにそうなのです。さて、問題全体が今にどれほどあっているかわかりますか?
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それらの牧夫に大いなる霊感を!天使たちは牧夫たちに話しかけるために降りてきて、神の天使たちが群れの羊飼いに話しかけるために来ています。羊飼いと話をしたり、羊飼いと一緒にいるという特権の期間はあったのでしょうか?もしそうなら、私は自分の言いたいことがあるから言いたいわけではないのです、というのはそれを暫くしてから言う事を決めていますから、羊飼いは羊のように笑うまでは羊と一緒にいるのです。羊、彼は羊のようなにおいがします。彼が羊と共にいるのですから、そうなります。彼が知っているのは彼の羊だけです。
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さて、立証された真理のことば。これらの羊飼いたちは、謙虚で教育を受けていない人であった時…生まれたての羊へのメッセージを受け取るのは、羊飼いにとってどれほど名誉なことでしょう。それは羊飼いに来る以外ありえなかったのです。それが彼が家ではなく馬小屋で生まれた理由です。羊は家やピンクの装飾が施された病室では生まれません。分かりますか?彼らは納屋で、そして畑で生まるのです。それが彼がカルバリーに導かれた理由なのです。あなたは羊を屠殺場までのその通路を歩かせることはできません。ご存知でしたか?屠殺場には、羊を導く山羊がいます。そして、羊が屠殺する場所まで上がると、山羊が飛び出し、羊を先に進めるのです。羊は導かれなければなりません、自分自身を導くことはできないのです。それで、それゆえ、羊飼いが彼の羊のためにやって来なければならないのです。彼らが御使いが言うであろう場所に神の赤ん坊を見つけた時、御使いがそこにあると言った正にその場所にそして彼らが飼い葉桶にこの使者(メッセンジャー)のメッセージを見つけた時。
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さて、私は人々が「天使が私に話しかけたので、彼が「まさにかように」」と言うのを聞きました。時々かなりあり得ないのです; そして、私は人々が天使が彼らに話しかけたと言い、そしてそれが「まさにかのように」それはみことばと全く反対であると彼らが言ったのを聞いたことがあります。さて、天使にそのような事がどうしてできたのでしょうか?それはただありえないことだったのです。そして、神があなたにある確かなことが起こるとあなたに言われたなら(あなたは彼があなたに言われたと言います)そしてそれが起こらないなら、それは神があなたに語られたのではありません。覚えておいてください、そうです。神は嘘をつくことはないのです。彼を嘘の中では見出せないのです。32
彼らが赤ん坊を見つけたとき、それは彼らにとってものすごい喜びだったに違いありません。天使が彼らにメッセージを与えたので、彼らは天使がそうであると言った通りに、そして天使がそこであると言った場所で見つけました。彼等に起こったことは正にすごい事だったに違いありません!飼い葉桶に、どうして?これらの羊飼い達が厩でどれほど落ち着いたかわかりますか。神学者はそこにいたと思いますか?彼は鼻の上にピンを置いて、「この場所から私を連れ出してください」と言ったことでしょう。分かりますか?彼にはとても場違いだったでしょう、彼はみじめでした。
しかし、ご存じのように、それは羊飼いにとっては「家にいるかのようにくつろげる場所」だったのです。神は彼のメッセージをどこに送るかをご存知です。分かりますか?まさにその通りです。この状態で、羊飼いたちはその時、彼らの子羊と一緒に馬小屋にいて、彼らが聞いたメッセージを立証したのでした。なんて美しいのでしょう。救い主の前で、彼らのメッセージの言葉を立証しました。羊飼いたちは、救い主が地上にいることを聞き、自分たちの環境の中で彼の臨在に来たとき、そしてそのメッセージが真実であることがわかり、そこで立証されたのです。神は彼らのためにこの素晴らしいことをされたことを言い出すために彼らはものすごく素晴らしく感じたに違いありません。
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だから、そのような状況下は学者たちにはかなり場違いだったでしょう、彼らは急いで去ったことでしょう。どうして?メッセンジャー(使者)は一般的な羊飼い達のところに来ているのです。多分彼らは…これらのことさえ…できなかったかもしれないこれらの牧夫の何人かは、自分の名前を書くことさえできなかったかもしれません、とても疑わしいのです。あなたは、イエスが地上にいる時に選ばれた群れを知っています。「ペテロ私をこれらの物よりも愛しているか?」「そうです、主よ、あなたが私を愛していることをご存じです。」
「わたしの羊を養いなさい」そして、聖書には、ペテロは無知で無学なものだと書かれています。それでも羊飼いたちを選んでいるのです。
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あの昔の教会のメンバーたちや、そして司祭たち、そしてその日のよく訓練された社会の人々は、馬小屋の中では、かなり場違いに感じたことでしょう。さて、多くの人(多分あなた方都会の人たち)は、ユダヤでの馬小屋の匂いや、どのように見えるのか、その馬小屋に住む動物の様子、何が起こったのかを理解できたのかどうかはよくわかりません。どういうわけか、今日のこれらのいわゆる世的な一流の人たちにはそれほど場違いであり、ドアにさえ入らないことでしょう。しかし、それは神の無限の知恵によって、それを受け取るような者が明らかにされることにより神を喜ばせました。学者、そしてその時代の賢者と呼ばれた者達は確かにそれを受け取らなかっただろう。彼らにはそのような場所に居る事が見いだされる事さえも屈辱的でした。どうして、そもそも彼らが自分の教会に戻って、そのような集会に出席し、教育を受けていない羊飼いがそのような現象をもたらすと信じていたら、彼らは彼らの教会から破門されたのでしょう。彼らがベツレヘムの社会から追い出されたのは、これらの羊飼いがそうであったように、彼らがそのような無学の人々の集まりを聞いているので捕まえられたからです。屈辱を間違いなく受けたのでした。もし彼らがそのような一般の人々と関係していて、神が彼のメッセージを教育を受けていない多くの羊飼いに持って来ると信じるような異端を受け入れている事が分かったならば、彼らはすべての準備ができていました。彼らは所属を失い、書類を提出しなければならず、その日の彼らのグループの社会の中で認められなかったでしょう。 彼らはそのようなことと結びついていて、より良い心との関係など関係がなかったからです。
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「なんてことだ!」 司祭は言っただろう「あなたはここで私のようなレベルの域に入ったのです。そのような異端で、愚かなことで、そこからは学んでいない無学の田舎者はそれをを通って行かなかったのです。初級を通してでも。そして、「天使が降りてきて、彼らに話しかけた」というようなメッセージを信じますか?」しかし、もしその人が「私は彼のメッセージが立証されたのを見た」と言ったらどうでしょうか?
彼は言う事のなるでしょう、「あなたにあなたの書類をすぐに差し上げましょう。そしてこの社会から出ていけ!」と時代は変わりますが、人々は変わりません。それはおそらく今日もまた起こったでしょう、彼らは彼らの教会から捨てられることになったのです。
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しかし、羊飼いたちは神の子羊と一緒にその場所で完全にリラックスしたのでした。そして、どんな良い羊飼いも同じようにするのです。良き羊飼いが羊の上に立つ時、神のことばが明白に理解できるようになり、彼が約束したこととして羊飼いがその場にいたので立証されました。私は他の誰かが何を言っても気にしません、「神はそれを約束されました、そして神はそれをされました」。と彼らは「奇跡の時代は過ぎ去りました。霊のバプテスマのようなものはないのです。使徒たちのためにあった、聖霊のバプテスマのようなものはありません。」と言います。
しかし、みことばの真の羊飼いに、復活の力によって、イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わることが無いと宣べ伝えさせてください!ペテロはペンテコステの日(五旬節の日)に言いました、「この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」と彼が呼ぶところはどこでも、その約束と同じ祝福は真実なのです。そして、正真正銘の御言葉によって養う羊飼いは、世にいる神学者たちにはそれを、彼から奪うことはできない御言葉は立証されている事が分かっているのですと言うのは。 神がそう言われたのを知っているからです。それだけのことなのです。それは常に神の言葉だけなのです。彼のことばは肉を取って現れ、彼らの間に住まわれました、しかし彼らはそれを知りませんでした。
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彼はこの時代にも同じことを約束していました。私たちはそれを認識しているのでしょうか?誇り高く賢い人達は、そのようなことを受けたことはありませんでした。そして、もし地上に救い主ような存在があったとしたら、それは確かに彼らの宗派に粉えればならないと信じていました。彼らのグループがそれを受け取るか、あるいは「それは正しくなかった」のです。さて、ただよく考えてみてください。それが彼らのグループに属さないなら、それから…気づきましたか?神は彼らのグループから何も選ばなかったが、彼はそれらとは関係のない人を選ばれた。あるグループは「あなたは我々がしたことをお分かりですか?」と言ったからです。そして彼らは今日も同じことをするでしょう。しかし、神はなんでもない者を選ばれたのです、それが彼が羊飼いを選んだ理由です。その羊飼いたちは完全に、神の子羊が彼らの真ん中にいてくつろいでいました、彼の言葉が彼らの間に肉体を作ったのでした。誇り高く世的に賢い人達は、通過してそれを受け取ることはありませんでした。38
そして、私たちは今日のため、またはあらゆる時代で同様に言うことができたのです。マーティン・ルターの時代も同じでした。ジョン・ウェスリーの時代も同じです。ペンテコステ派の時代も同じでした。しかし、神は人の組織のために立ち止まることはありません。彼は御霊を動かして御言葉を立証します!彼ら自身の評議会に来なければならず、そうでなければ彼らはそれを受け取らないでしょう。彼らは今日非常に頭が固いので、すべての教会は彼らが「そのようなことをして、すべての教会を団結させようとしています」。もし彼らが今メッセンジャーを探しているなら、その人がプロテスタント、カトリック教徒、そして正教会の全てを団結させて、一つの大きな教会を作ることができます。39
さて、兄弟たち、私は何百もの異なった宗教に説教する特権を持っていました、そしてそれらのすべてに善き人達がいます。しかし、あなたは覚えていますね、私は預言しています、「すべての組織はこれを受け入れなければならないそうでなければ、組織ではないでしょう。それをあなたに強制しています。」今日、カトリックの司祭たちが按手を手伝う...ミズーリ州のプロテスタントの聖職者の按手を助けているというツーソンの新聞を読みましたか?そしてそれを誰が認識していたのですか?長老派、バプテスト派、ルター派、そしてアッセンブリーオブゴッド教団。今日のツーソン紙に載っています。ああ、衝撃的です!それはそこに居る人間に関することではなく、教会の政府の首脳が、そこにあるものをひねり、そのシステムが、あなたが望んでいるかどうかに関係なく、あなたをそれに投げ込みます。あなたはもはや組織になれず、地球上に起ころうとしているこの怒りを逃れることはできません、そしてあなたはそれが正しくない事が分かるのです。私はそれが起こったときにはいないかもしれません、これらのテープの1つを振り返ってください。そしてもしそれが起こっていなかったのであれば、私は偽りの証人です。もしそうであれば、私は真実を話しました。
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彼らはそれを彼らの前向きな考えに対して「ある意味悪霊の働きとして」呼ぶこととなるでしょう。あなたは今日、ポジティブな考え方についてとてもよく耳にします;あなたは何かに心を置き、それについてポジティブに考えるのです。悪魔はそれをすることができます!すべてを支配するのはたった一つのものであり、それこそが神の言葉です。みことばに反して考えているなら、あなたの考えを忘れてください。みことばについて考えなさい。「救い主」は、「そのような場所で見つけられないであろう、そのような汚い場所では」と彼らは考えたのでした。
神学で磨かれた、立派な大祭司や聖職者が肥料でいっぱいの馬小屋に降りてくることを想像できますか?そして、教育を受けていない貧しい、謙虚な羊飼いのメッセージを受け入れ、そして「あなたにそれを証明することができます、これは赤ん坊です、これは使徒です」と言うでしょうか?
そして、あなたは人々が言ったことを知っていますか?「その人は正直です、彼は彼の言っていることをとても誠実です、しかし彼は絶対に間違っています!」
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人々が信じなくなるまで、良い生活を送るのを見てきました。彼らはそれらについて何も言うことができませんでした、しかし彼らは言いました「彼は誠実でいながらも間違っています。彼は自分が何を話しているのかわからないのです。神様はそのようなことはなさらないでしょう。」しかし、ここには証拠がありました!そして証拠の後、「馬小屋に行って、あの赤ん坊がそこに寝ていないかどうか確かめなさい。」
彼らは言います、「あなたはある悪霊に魔法をかけられていたようですね、それが理由であなたにそのようなことを言わせたのです。」しかし、それは神のことばによるのです!そして彼らは、彼らの神学が彼らを盲目にしたので、それを見るにはあまりにも盲目にされていたのでした。なんという悲劇でしょう。
「そのような場所で捕まったとは?このような汚い場所の中で?厩舎で?」彼等が来るための美しい場所があった時、彼らは彼が来る為に全てが整えられ、そして彼が降りてきて行き、そして先生達にメッセージをもたらさない事について考えたのでした。「そして、それをたくさんの無学な羊飼いに与えるのでしょうか?そして、彼自身の息子を連れてきて、馬小屋で生まれさせるのでしょうか?普通の貸馬屋で?さて、干し草の飼い葉桶で?いやいや、そんなことはあり得ないでしょう!」彼らはそれを信じませんでした、なぜならそれはあまりにも質素だったからです。
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そしてそれはとても単純なので、賢いと世的に言われる人がいつも見落としがちなのです。それはあまりにも単純なので、彼らを困惑させるのです。彼等はそこを神がここにおられるときに出る道を探していたのでした。分かりますよね?彼らはそれが今ここにあるとき、その先の何かを探しています:キリストは死からよみがえられたのです、昨日も今日もいつまでも変わることのない方なのです。彼らの素晴らしいことすべてが無視されました。しかし、「救い主がおられた」というのは真実だったのです。今日私たちはそれを知っています。今日はそれを信じています。我々は、今日それを受け入れているのです。
しかし、もし神がこのクリスマスのために何かを約束し、この日のために何かを約束し、そしてそれがそうであることを証明し、それから私たちがまだそこから離れているなら、私たちは彼らが避けたのと同じ状態にいるのです(その日に戻った状態) ; なぜなら、それは私たちの宗派的な好みに来ることはないからです。それが、私たちがこのようにクリスマスを混乱させている理由なのです。
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イエス・キリストは死んでおらず、生きておられます。彼は今日ここにおられるのです!聖書には、「彼は昨日も今日もいつまでも変わることのない方」と書かれています。彼はヨハネによる福音書の14:12で、「わたしを信じる者は…」(信じさせる者ではなく、自分を信じる者と言っている)「わたしを信じる者は、わたしがする業もするようになるであろう。」と言われました。又、私が父のもとに行くのでこれ以上のわざを行うであろう。」ともそして、私は彼が私自身の人生で、この聖書のページに書かれている(彼がされた時)よりも多くの同じ働きをされてきたのを見てきました。そしてそれは今日の一番偉い人や賢者たちを越えて、イエス様がちょうど祈られたように学ぶことになるような赤子たちに明らかにされるでしょう。確かに、彼は彼よりも多くのことを成し遂げたのです。私は、33年間の私のミニストリーの中で、聖書の中で読んだことよりも多くのことをしてきたのを見てきました。 同じことをより多く。44
しかし、その時彼が何をしたとしても、サンヘドリンが彼を信じたと思いますか?「まあ」と彼らは言いました、「あなたは魔法にかかっているのです」しかし、彼らが間違いを犯したのは、、みことばが彼等の時代に救い主がに何をするかをみことばが言っていることを見つけるよりも彼らの信条をより重要視したことでした。そして今日、私たちが間違い御犯す場所は聖書を調べない事にあります。イエスは彼らに言われました、「聖書を調べてください。その中であなたは永遠の命を持っていると考えるようになります、そしてそれこそが私を証しするのです。」聖句は私が誰であるかを告げています。」45
気が付いてください、神は彼らがこれをすることを予見していました、それが彼が羊飼いに連れて行かなければならなかった理由なのです。彼は彼らはそうをしないことを知っていました、彼らは受け取ることはなかったのです。さて、なぜ羊飼いでなければならなかったのか分かりますか?なぜ羊飼いだったのでしょうか?神学者はそれを受け取りません。なぜ羊飼いが再び?それは彼の言葉に反するでしょうか?そんなことはありません!彼らは羊飼いで、羊を知っていました。 そして、それは彼が生まれたのは、羊、子羊としてだったのです。。注目してください、彼は子羊でした。彼らが、彼を受け入れる唯一の種類だったのです。子羊を受け入れるのは羊飼いだけでした。彼らは世話する方法を知っていました、そして今日私たちが子羊のメッセージを受け取ったときもそうです。46
さて、かなり印象的です!馬小屋でエマニュエルを崇拝する最も謙虚な無学の者。最も…そして、同じ時代に彼らの神学を教える人々がそこにいました。大きな群衆は、至る所から引き寄せられて、地中のどこからでも、エホバが「わが鼻の煙」と言われた場所に捧げものをささげに来ます。そして、ここには謙虚な羊飼いたちが、馬小屋で、エマニュエルを崇拝しに来ていました。 神ご自身が肉体を持たれて、馬小屋に寝かされました。素晴らしい学習で私たちがどのように頭を突き動かしているのか、私たちが何かを知っているように、そして神がすべての事を無視されるのです。分かりますか?彼は約束したことをします、そして彼はいつもそうされます。しかし、これらの小さきものである羊飼いたちが今Emman-を崇拝していることを考えてください。馬小屋におられるインマヌエル。最も印象的です。間違いなく!47
それから…彼らが彼を崇拝し、そして彼らが説教していたメッセージが立証されたことに気づいた後、彼らはそこにいて…天使の最も信じられないメッセージとともに神を賛美していました。それを今日と比較してください。ちょっと止まって考えてください。人は神を崇拝し、彼らが見たこと、聞いたこと、彼らが知っていたことが真理であることを神にほめたたえ、知的な心には信じられないメッセージを持っていました。それはすべての教会の考え方に反していましたが、それでもそれは真理だったのです!それこそが真理なのです!彼らはそれを信じた。そして今、人間の知恵はなんと愚かなことでしょう!その時天使の聖歌隊が彼らに最初のノエルを歌ったと言いました。想像できますか?彼の名前さえも書くことができなかった羊小屋のようなにおいのする羊飼いが、通りを歩いて、叫びました。「いとたかき神に栄光」私たちは彼が地上にいることを知っています!」司祭は言いました、「あの男は気が狂っている。各種の本を見て、彼が私たちの会衆のメンバーであるかどうかを確かめてください。彼は確かに彼の非倫理的な教えによって私たちを困惑させます。彼を私たちから遠ざけてください。私たちは人々の間で恥ずかしくないでしょう。」
さて、あなたは人々の中で恥ずかしめられても、神の御前で栄光を受けることができます。 あるいは、選択をしてください。なぜなら、その時代の教会の好みは神の御言葉に合わないからです。それの996の異なる考え方はありません。それは一つの考え方、一つの言葉、一つの神なのです。それだけのことなのです。
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天使たちが彼らに最初のノエルを歌ったと言い、「天使からのメッセージを得た」と言いました。ある天使が彼らに現れ、彼らにメッセージを与えました、そして彼らは行って、メッセージが真実であることを知りました。そして、「それ以外に、その御使いは私たちに最初のノエルを歌いました。」と言っています。「想像できますか?」彼らは言います、「そのかわいそうな人たち」。彼らの間でそのようなことが起こることは一度もなかったので、ご存知のように、彼らにとってはそれは奇妙な教義だったのです。そして彼らには聖書の中でそれを見つけることができなかったわけです、それは彼らが見つけるためのものではなかったからです。賢者たちには信じられないことですが、彼らにはそのような経験はなかったのです。信じられないけれども、それが真実だったのです。それこそが真理なのです。私たちはそれが真理であることを知っています。考えてみてください!キリストの最初の改宗者と最初の会衆は聖職者ではなく牧師でした。 羊飼い、牧夫たちだったのです。なぜ羊飼い達だったのでしょうか?
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注目してください!神を彼らが見たり聞いたりしたことをほめたたえ、栄光をささげ、天使が初めて人間に向かって歌うのを聞いたのです。天使はそれまで人間に対して歌ったことはありませんでした。そしてそのクワイヤーを見ると、彼らはどれほど立って訓練し、それらの声を訓練して、「彼らは救い主の誕生を歌ったのです」、そして彼らは皆無視されてしまったのです!そして、天使たちは降りてきて、聖職者の服を着ているものではなく、羊飼いの服を着て、一般的な羊飼いに歌ったのです。そして、最初のメッセージを受け取った人を見てください、それは信じがたいほど素晴らしい事です。そしてそれが与えられた所は、大聖堂ではなく荒野で、主の天使が来た荒野の外でした。教会ではなく、荒野だったのです。彼は教会ででさえ歓迎されなかったのです。彼らは彼がそうであると思いました、そして彼らは彼らがそれを持っていると思いました、しかし神がそれが間違っていることを証明しました。「彼はこれらの石を使ってアブラハムの子供たちを起こすことができます。」その通りです。
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天使たちが初めて祝賀で歌ったのは天国でした。ヨブ38:7を見ると、(あなた方の何人かがメモを取っているのを知っています)神が初めての創造物である地球を創る計画を立てた時の事が。ヨブは素晴らしくて賢い人でした、そして彼にはあらゆる種類の知恵がありました。彼は言いました、「私が市場に行くとき、若い王子たちは皆私の前で頭を下げ、ただ私の知恵の瞬間を望んでいるのです。」とそして彼はなぜ彼がそのように扱われなければならないのか理解できませんでした。そして神は彼に尋ねました、「私はあなたと話をするために降りてくるので、男として身を上げなさい。」とそして、神が旋風の中で降りてきたとき、彼は言われました、「ヨブ、私が地球の土台を築く前に、あなたはどこにいたのか?かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。その時あなたはどこにいたのであるか、ヨブよ?」そして彼はその時に小さくされたのでした。「あなたはどこにいたのですか?」
分かりますね、天使たちが初めてお祝いで歌ったのは天国だったのです。しかし、彼らが地上で初めて歌ったのは、地上でインマヌエル神の誕生において羊飼い達に対してでした。 人間が天使の歌を聞いたのは、謙虚な羊飼い達だったのです。
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化粧をしている女性達、ボブの髪、ショートパンツを着て、教会のローブのようなものを振り回して、立ち上がって何かのように歌うとき、神はそれをお聞きになられると思いますか?彼は天使たちは彼の後ろに従えて、彼が人間にされる前にさえ、喜ばせたのでした。ええと。そこを出て住み付き…そして神が嫌悪感を抱くような服を着て。それらが神のものであることをどうやって期待できるのでしょうか?あなたは「まあ、私は…に属している」と言います。「私が地球の土台を築いたとき、あなたはどこにいましたか?私がそれらをどこに留めたのか言ってください。彼らが回そうとする車軸はどこですか?その時あなたはどこにいましたか?」あなたは神が私たちの知恵のいくつかを求めなければならないと考えていますね。私たちの知恵は彼にとってただ愚かなものにすぎません。彼はすると言われたことをされるのです。
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さて、神は別の創造物を作ることを決めておられることに気が付いてください。彼は死すべき大地、死すべき命を創造してきました。天使たちは天国で歌うのです。しかし、ここで彼は人のために新しい命、永遠の命を創造し、天使を通して彼の主題について歌っています。 天ではなく地において。天国は永遠のいのちを持っていたのです。分かりますか?そして彼は歌いました…彼らは死すべき創造物が入ってきた時に天国に歌いました。 そしてここに不滅の創造物がやって来て、今や彼らは地上の人々に歌っています。初めての時は、羊飼いに。印象的ですよね?53
彼は新しい創造を始めました。それは何でしたか?彼自身の創造物。神は肉体を取って我々の中に住まわれました。それは…聖書には、「神は初めに天と地とを想像された」とあります。神は人間の形で造られました。 イエス・キリストに彼の御子の中に、神が住まわれていたのです。彼は肉体と骨の幕屋を創られ、その幕屋に住回れたのです。 神、インマヌエル「神が我々とともにおられる。」彼は自分自身を家として建て、そこに住まわれ、彼の御言葉を彼の信じる者に対してそれを通して反映されたのでした。あなたはキリストを見た時に神が何であるかが分かります。54
覚えておいてください、王の誕生時には歌が常に歌われるのです。何人がそれを知っていましたか?もちろんあなたは知っていましたね。さて、あなたは、この王がそこで生まれたなら、女性がどこかで大聖堂に走りに来て、「ベッドをすぐに準備して、医者を連れてきてインマヌエルを地に生まれさせるから」と言ったらどう思うでしょうか?ナザレ出身の貧しい女性、最も低い町、ツーソンや他の誰よりもちいさな女性。しかしこの小さな女性は大祭司のところに駆け寄り、こう言いました。イマヌエルの誕生のために私は定められている。」彼らは彼女を刑務所に入れました。彼らは確かにそうするでしょう。彼らは確かにそうするでしょう。彼の人々の間にもたらされるそのような異端教を、彼はそれを支持しなかっただろう。今日も彼はそうされないのです。しかし、同じことが起こっています。全く同じなのです。55
気が付いてください、歌う必要があります。王たちは…彼には歌われなかったでしょう。彼らは彼を信じなかったので、人々は彼に歌わなかったでしょう。それが理由です…それはここに来るのです、あなたはそれを手に入れられるかも知れません。それが今日、人々が神を賛美することを恥じている理由です。彼らはキリストを恥じているのです!偉大な大聖堂は聖霊のバプテスマを受け取らず、教会的な方法で設定しているので、受け取れません。神は、彼が賛美を得ることができる誰かを見つけるでしょう。ヨハネ書から再び引用しますが「彼はアブラハムの子供たちを石からでも起こすことが出来るのです」気が付いてください、彼の臣下たちは彼に歌わなければならないのです。そして、彼の臣下たちとは彼の天使たちでした、そして彼らは彼のメッセージを彼の羊飼いに持っていくために歌ったのでした。
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誰が最初にそれを聞くべきだったのでしょうか?もちろん、彼の臣下たち。王の歌を最初に聞くのは、彼の臣下たちなのです。そして、彼の臣下たちとは何でしたか?ある意味印象的ではないですか、兄弟たち?それは彼の聖職者たちではありませんでした。それは神学者たちでもありませんでした。そうなのです。それは宗派の人々ではありませんでした。いいえ、それは羊飼い達だったのです。その理由は?羊が生まれました、それが理由だったのです。分かりますか?神が信じると知っていた彼の臣下たちがそれを聞いたのでした。神はそれを信じる者にメッセージを送られました。彼はすべての知恵です。彼は信じるであろう人々のところに彼のメッセージを送るべきことをご存知なのです。いとたかき天国は、地上の最も低いとされる人の元に送られたのです。イエス様はマタイ書の5章で、「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」と言われました。マリアが居たのは…聖句を書いているなら、それはマタイ5章にあります。そして、あなたが聖句を書き留めているなら…私がここに書いたものは聖句なのです。
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マリアはルカ1:52で、聖霊に油注がれた時、聖霊が彼女に言いました。「権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、」マリアは、イエスの母である彼女は、「権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、」と言いました。ルカはまた、「大ぜいの群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた。」と言いました。エリートでも、神学者でも、法律や神性の医者でもありません。 しかし、一般の人々(群衆)は彼の言う事を喜んで聞いていました。
すべての清められた聖句を通して、贖いのメッセージは羊飼いと羊から与えられたのです。
閉会の時間に近くなってきているので、さて、私は終わらせなければなりません。わたしはあなたがこの考えにたどり着けるように、多くの聖句を飛ばしています。
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すべての聖句を通して、贖いは羊飼いと羊によって表されてきました。その通りなのです。私たちは皆、それに同意します。なぜでしょうか?それは影とタイプの中にありました。そして何でも…もし自分の手を見たことがなく、ここで自分の手の影を見下ろしていて、5本の指を持っているのを見ると、それが反射していることがわかります。 マイナスはプラスを映し出していたのでした。そしてそれがメッセージがいつも羊によって贖われた理由です。なぜなら、最初からそうだからなのです...…そして彼が彼自身を明らかにしたのは羊を通してそして羊飼いによってでした。すべては影とタイプだったのです。59
さて、初めに目を向けましょう。アダムとイブは、神のご臨在の中に立って、彼らへのメッセージを聞くために、羊の皮を腰に巻き付けたのでした。最初のメッセージは、神がアダムとエバのために殺して包んだ死んだ羊皮の上に与えられたものです。彼らがイチジクの葉の宗教を作ろうとしたら、それはうまくいかなかったのです。ささげられた羊は、最初の贖いのために羊として犠牲の捧げものとして制定されたのでした。さて、ここで締めくくって、なぜそれが羊飼いでなければならないのかを示します。 なぜそれが羊でなければならなかったのかをです。
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さて、旧約聖書の預言者たちは、羊皮を身に来るべき完璧な子羊の彼の御言葉への彼らの信仰を署名するためにまとっていました。それが預言者たちである理由です。さて、神のことばは神学者には来ません。それはないのです…彼は台無しにします。そうです。そのような事を今まで言ったことはありません…あなたは「まあ、この男は神学者だ」と言っています。それは私が知っていることよりも彼をみことばから遠くに離してしまうのです。分かりますか?主なる神の言葉、不変の神は決して変わらないのです。聖書のどこにも、神のことばは常に預言者のもとに来ました。神学者や博士にではなく、預言者に!そして、いつも、常に拒否され拒絶されてきました。
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預言者は普通、牧夫でもありました。預言者たちは羊の皮をかぶっていました。というのは彼らは集められた羊の皮を着ていたのです。そして、非難された世代への最初のメッセージは羊の皮の上にあったのでした。預言者たち、もう一度言いますが、自分たちの周りに羊皮を身に着けていました。なぜなら、彼らはそのささげの犠牲のために完璧な子羊が来ると信じていたからです。そして神のことばがそれらの羊の皮の上を着た者の上に来たのでした。これらの牧夫たちは…あるいはこれらの預言者は通常牧夫だったのです。アブラハムは羊飼いでした。イサクは羊飼いでした。ヤコブは羊飼いでした。モーセは羊飼いでした。ダビデは羊飼いでした。神を表す者達は皆、羊飼いでした。62
それでは、それが羊飼いに来る理由を調べてみましょう。彼らは羊飼いが彼らを導くことなくしては羊が無力であることを知っていました。彼らは…羊は完全に無力で一人で行くことができません。それが神を信じる子供たちを羊にたとえられた理由です。彼らは導かれなければならないのです。しかし、何があなたを導いているかをしっかりと見てください!山羊になってはいけません、山羊はあなたを屠殺場に連れて行きます。神は決して私たちに山羊を与えず、私たちを導くために御子(聖霊)を与えられました。彼は私たちの導きであり、一部の人工的な羊飼いではなく、羊の餌に羊を与える神から与えられた羊飼いなのです。63
さて、あなたは豚を連れて行き、この豚に「私はあなたを子羊にします」と言うのです。そして、あなたは彼を洗います。そして、あなたは彼の足指の爪などを塗るのです。そして彼に羊のような食物を与え、彼特定の種類の食事を与えてください。そして彼を床に、あるいは…羊の群れやアルファルファの畑などに置いてみてください。泥の穴がどこかにある場合、その豚はその泥の穴と同じくらい真っ直ぐにいくことになるでしょう。分かりますか?何故でしょうか?彼の性格がまだ豚だからです。そして、それが今日の教会員が世の事柄にふけるのは、彼らの性質が変えられていないからなのです。彼らは全ての種類の教会の神学的な一品を食べますが、神のことばには耐えられないのです。彼らは入って行って、みことばを聞きます…
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ご存知の通り世界で最大の偽善者は、古いカラスです。聖書では、2羽が箱舟から出ました。彼はハゲワシ、腐食鳥なので、古いカラスは出て行き、彼は二度と戻りませんでした。彼は死んだ死体の体に座り、死んだ死体で彼の腹を満たしました。しかし、彼が鳩を放した時、鳩はその悪臭に耐えることができなかったので、彼女は父の家とノアに戻り、ノアが鳩を迎え入れるまでドアを叩きました。さて、カラスはここを出て、死んだ馬で一日中食べて、畑で飛んで鳩と一緒に穀物を食べます。しかし、鳩はそこへ飛んで死んだ馬を食べて穀物を食べることはできません。 そうしたら彼は死んでしまうでしょう。ほらね、鳩には胆がなく、消化できないからです。
そして、神の鳩、みことばを食べる鳩や羊、清い獣があなたに世の物を与えようとする時、彼らは主人が言った事を知っています。世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。」あなたは彼に神のみことばに反する何かを与えます、彼はそれに耐えることができません。しかし、悪魔はそれと世も取り、それを神のすべてと呼ぶことさえするのです。油と水を混ぜることはできません。ただ混ざることはないのです。
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彼ら、これらのすべての羊飼い、彼らは羊が羊飼いなしでは無力であることを知っていました。そして彼らは羊飼いであり、彼は導かなければならないことを知っていたのです。今日、彼らが羊に食べさせようとしているとんでもないものを見るのは残念なことです。しかし、ある羊はそれを食べません。いいえ、しないのです!ほら、彼らは羊に餌をやろうとしていたのです。そして、みことばが来たとき、彼らはあまりにもその餌に慣れ親しんでいて、みことばを知りませんでした。そして、それが今日の状態なのです。同じことが、神が特定のことをすることを立証し、証明したのです。それから彼らは餌に慣れていて、あなたにまで餌が供給されていました...まあ、彼らと話すことはありません、彼らはそれを聞くことはありません、それだけの事なのです。犬ども…聖書には、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。」とあります。
みことばを聞いた後で、同じ古い泥沼にもどったのです!そして、「ああ、それは狂信的なものです。そのようなことを信じないでください。」と言うのです。
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神…羊は今日も同じことをします、彼らはみことばの食事療法に信頼しなければなりません。彼らは他の食事療法は受け入れないのです。宗派教会の食事を、本物の羊を与えることはできません。出来ないのです!いいえ!あなたは彼らに、「さて、私たちは皆一緒にいるでしょう。さて、イエス様は私たち全員が「一つ」になるように祈られました。」と言うでしょう。ツーソンで同じことを数日前に聞いたばかりですが、それはうそなのです。イエス様は決して祈らなかった…彼がいかにして…どうすればみことばそれ自身に非難させることができるのでしょうか?そうなると神が他の人と変わらなくなるのです。イエスは言われました、「人は同意しない限り、2人は一緒に歩くことができますか?」メソジスト、バプテスト、長老派、カトリックをどのように取って、すべて一緒に投げて一つにすることになるのでしょうか?あなたは人の下に仕えているかもしれませんが、イエスは言われました、「彼らは私とあなたが一つであるのと同じように、一つになるかもしれない」。さて、彼は我々が皆御ことばである彼(主)の中で一つになることを望んでおられるのです!アーメン!「私と父は一つである」なのです。そして父も子も同じなのです。そして、それは同じことばであり、みことばは現れされたのです。それは、あなたがたも一つであるかもしれないことを、他の日と同じように、この日にそれ自身が表しているのです。
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気が付いてください、彼は言われました、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたを遣わす。」彼を遣わした父は御言葉を確認するために彼の中に入られたのです。そして、彼の民を遣わすのと同じイエス様は、彼が遣わす人々の中に行きます。 そして「わたしがする業をあなた方もするようになるであろう」と言われています。確かに、彼は私たちが一つになるように祈られました。 組織とともにいる者ではなく、神と共にいる者のためにです。体制を持つ者ではなく、神を持つ者。というのは、神の御ことばは神の中で一つであり、イエスと神は一つであり、あなたと私とことばは一つでなければならないからです。そうなのです。私たちはみことばに同意する者でなければならないのです。他の誰かが言うことではなく、これは自分勝手な解釈ではありません。それを受け取り、それが言うことを信じてください。 そして神が立証され、それが正しいことを証明してくださいます。あなたはそれが弟子たちだけのためだと思っていますよね、御言葉をそのために受け取り、一度試してみてください。あなたはそれが彼が約束したのと全く同じようにあなたのためにも働くことがわかるでしょう。はい、その通りですね!彼らは餌は食べないのです、彼らは羊の食事をする必要があるのです。ヨハネ書10章は、「わたしの羊はわたしの声を知っている」と宣言しています。そして、もし彼がみことばであるなら、彼はどんな声を持っているのでしょうか?「私の羊は私の声を知っている、他の人にはついていかない」分かりますか?イエス様は言われました「知らない声には従わないのです」ですから、彼の羊は知らない人の声に従わないのです。彼らは彼らには従いません。
預言者、羊飼い、羊は皆、再臨を証ししています。
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さて、今日の彼の御言葉の不変の計画の中で不変の神を見てみてください。さて、数分考えてみてください。不変の言葉です。今見てください!もしモーゼがノアのメッセージをもって来たとしたら、それでは、うまくいかなかったのです。バプテスマのヨハネがモーゼのメッセージを伝えていたら、それではうまくいかなかったのです。イエスがモーセやノアのメッセージをもって来られたなら、それではうまくいかなかったでしょう。そしてウェスリーがルターのメッセージをもって来たとしたら、それではうまくいかなかったのです。もしペンテコステ派がウェズリーのメッセージでやって来たとしたら、それではうまくいかなかったのです。 その証言を聞いたばかりです。今も、神はただ動かれ続けているのです。みことばを見るだけで、私たちが今どこにいるかが分かるのです。
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それなら、なぜ羊飼いの最初の通知をしないのでしょうか...…もしこれらのすべての預言者、これらすべての偉大な人が羊飼いだったとしたら、なぜ神(不変の方)がここで神の方法を変え、神学者たちにそれをもたらすことがあるでしょうか?それは羊飼いだったのです。罪の報償への支払いである完全な子羊の到来は、羊飼いに来るべきなのです。羊飼いは彼の羊を誰よりもよく知っています。誰も羊飼いの様に羊の事を知っているものはいません。彼はそのために訓練されているのです。また、彼らがどんな食べ物を食べるかを知っていました。彼らは…彼は羊が何を食べるかを知っていました、そして彼は彼らが何を食べるかによって彼の羊を知っているのです。…羊が残飯の器に行って残飯の餌を食べ始めるのを見ると、「腐食食いを行かせろ」と言うでしょう。分かりますか?つまり、神は彼らをどこに送るべきかをご存知だったのです。
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さて、エホバの偉大な羊飼いの預言者の1人を呼んで、神が羊の皮を着ているこれらの預言者たちの中におられる事を確認しましょう。今しっかり見て行きましょう。まずモーセを呼びます。彼を見てみましょう。彼のミニストリーは彼の羊飼いの預言者の中にエホバを示して下さるのです。さて、次の10分間は、時間があれば、たぶんもう一人について話していきます。彼ら二人を取り上げますが、多分これで大丈夫でしょう。モーセ; エホバはご自分をこの羊飼いの預言者にここに示されています。彼は彼の働きを立証し、イスラエルの長老たちとパロに呼びかけるために3つの賜物を与えられました。今、この羊飼いの預言者に注目してください。彼はいつも、彼の預言者たちに超自然的なしるしを与えて、彼らの内に神がおられることを立証しました。 なぜなら、超自然的なことが起こらない限り、神の臨在はあり得ないからです。エホバは、神の後に続く超自然的な表れなしには決して現れませんでした。それは必ずなければならなかったのです。ですから、彼はいつも、預言者たちが神と一緒にいたことを、彼らの預言者たちが預言していることが神の御言葉によるものであるかどうかを通して立証し確証されたのでした。
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さて、彼が最初に与えられた最初のしるし…は、この預言者である羊飼い(見てください)が彼の杖を蛇に変えました。第二に、彼の手はライ病になりました。
第三に、エジプトのナイル川から水を取り、それを血に変えたのです。
さて、主は彼に3つのしるしを与えて、エジプトに、そしてイスラエルにも、彼が神の語られた言葉であることを立証しました。
さて、覚えていてください、モーセが創造を呼び求めたのです!そうなのです。砂を拾って空中に投げ捨てると、「ノミが来ますように」と言い、ノミが来ました。「ハエが来ますように」と言うとハエが来るのです。「カエルが来ますように」というとカエルが来ます。彼が創造にもたらしたのです!さて、人は創造することはできませんが、そもそも人ではありませんでした。それは預言者羊飼いの中にいるエホバでした!アーメン!
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しっかり見てください!主が彼に与えた3番目の印は彼の仕事とは関係がありませんでした、またそれは彼の人格にも関係がありませんでした。 彼の3番目の印です。注目してください、最初の2つの印は彼、彼自身と彼の仕事に関連しているのです。そして、それらが聖書に「声があった」と書かれている唯一の二つのしるしだったのです。もう一方の印には声はありませんでした。しかし、彼自身と彼の人々から与えられた二つのしるしには声がありました。しかし、3番目の印が、さて注目してください、それは与えられた…印でした、3番目の印は、死のしるしでした:水が血に変わったものでした。もしあなたであなたのものであるならば、あなたの血が水に変わるならば、あなたは死ぬことになります。そして、血が流れているところに血が流れているのは、死のしるしです。 それはパロへの印でした。三つ目の印はナイルの水を血に変えることでした。それはパロに我々の神がナイル川の神以上であることをパロに伝えるメッセージを示すことだったのです。彼はすべてのものの神であり、彼はその国に死をもたらすでしょう。そして、それが血のしるしだったのです。オーなんという事でしょう!死の直接的な印:血!73
しかし、他の二つの印は預言の声を持っていました。(私は -私は -あなたが今行間をつまり私が言っている事を読んでいて下さる事を望んでいます。)しかし、他の二つのしるしはイスラエルの将来に関する預言の声を持っていました。(さてあなたがたは、岩が投げられたとき、それほど前ではなく山に登っていました。)さて、彼は性質を変え、彼らのためにそれがうまくいくようにさせるつもりでした。柱を見て、蛇を見て、紅海を見て、そしてなんでも彼が今現在までにされたことをしっかりと見てください。彼らのために行く道を作っているその羊飼いの群れを見てください。その杖は羊飼いの手にあり、神学のあらゆる部分と司祭が言ったすべてのことを無視しました、そしてその羊飼いの杖が彼らをすべての不可能なことを超えて(人に)直進させました。パロが「山々の噴火が起こりそれが水に来て血に変えた」と考えようとしていたその時に、神は天から火を降らせました。そして、彼は天から雹を降らせました、そして彼はそして地球とすべてのものの上にシラミを雨のように降らせたのでした。
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彼は何をなさったのでしょうか?その羊飼いの杖によって、教科書でもなく、神学者の考えでもなく、羊飼いの杖によって!私たちは間もなくそれについて話していきます。 羊飼いの杖、主がそれをなさったのでした。宗派の祈りの書ではなく、羊飼いの杖でです。羊飼いの杖は彼の羊を導き、彼らがその土地で約束されたみことばに向かって行ったときの道をはっきりさせました。今日、羊飼いの杖が、羊を約束の地に案内するなんて美しいことでしょう。 この世界のすべての神学と他のすべて、そして世のこと、そして宗派、すべてを無視するのです。 道を開き、彼の言葉が真実であることを証明します。 羊飼いの杖によって進んでいるのです。75
そして注目してください、羊を案内していた同じ羊飼いの杖が…それを信じますか?彼は確かに羊を導きました、彼はその杖を手にして彼らをエジプトから解放したのでした。私たちはそれについてもっと多くを言うことが出来るでしょう。しかし、ハイライトを打つため、彼は羊を導き、それを拒絶したものの上に裁きを送りました!ある人にとって祝福となる杖でも、他の人に対しては呪いになるのです。彼を救った同じ水(ノアの説教の)は世を罪のゆえに裁きました。イスラエルを約束の地に導いた同じ杖は、預言者羊飼いに従うことを拒否した人々を有罪としました。その通りです、裁きの杖になったのです。性質; 神がご自分の性質の中でどのように語られるかに気が付いてください、。もし時間があったら私はそこでメモを取りました:神は彼の性質の中で語られたのです。我々にはそれを証明する時間はありません。
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しかし、後で証明されているように、羊飼いの羊の群れにいる真ちゅう製の蛇が、荒野でこのヘビを包み込みました。これは、病気と罪のためにやって来る真の贖罪の事を語っているのです。その杖自身はパロの前で蛇に変わりました、そして同じパロが魔術師によってそれを模倣しようとしました。今日の現在のパロとして、そして信仰を偽る者、メッセージの肉欲的な偽装者も同様に、メッセージの出所を知らずに同じことを真似ようとしています、そしていくつかの宗派や何かに空中にあるのと同様に自由になっているときに投げ込んでいるのです。はい!しかし、模倣しようとする、模倣するだけ。
しかし、注意してください。この同じ羊飼いの杖は他のヘビを食べ尽くしています。それらのヘビはどこにいたのですか?彼らは床の上の棒で、拾われたのは一本の棒だけでした。「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」とイエスは言われました。罪のために来ている真の贖罪について話しています。
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また、イスラエルの未来が提供していたのです…そしてそこで私はイスラエルの未来について話しました、そこで彼らは預言者である羊飼いによって死の束縛からの解放を与えられたのでした。彼らは杖を持った預言者である羊飼いによって束縛から連れ出されました。分かりますか?それは、私たちが語る羊飼いの預言者により、死と地獄から救い出すイスラエルの未来の救い主について語っていました。さてそのすべてに対して、我々皆が知っているように、イスラエルは預言者であり羊飼いの御言葉を受け取らなかったのです。イスラエルのすべてがそれを受け取りませんでした。さて、注目してください、彼らは不平を言っていました。「ああ」彼が奇跡を行っていた時、「彼は偉大な人でした」、しかし彼のメッセージに関して言えば、「それは違う物だった。」と言ったのですすべての大きなしるしは、新しいメッセージの到来が伴っています。私たちはそのことを知っています。荒野で彼らは不平を言ったので、荒野で何千人もが死にました。率直に言って、これまでに経験したのは二人だけではなかったのです、250万人うち2人だけが救われたのでした。
あなたは言います「それは...彼らに何が起こったのですか?」と彼らは永遠に消え去ったのでした。
「彼ら全員、ブラナム兄弟?」イエス様がそう言われました。
彼らは言った、「私たちの父たちは荒野でマナを食べ、岩から飲みました。」と。
そして彼は…イエス様は言われました、「彼らは皆死んでいる」と永遠に隔てられているのです。分かりますね、皆です。
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彼らが神が与えられた道について不平を言ったのが彼らの死んだ理由であったことに気づいてください。(ここで、最後のいくつかの発言を見逃さないようにしっかり聞いてください。)彼らは不平を言っていたのです!荒野で彼らを死に至らせたのは、神から与えられた道、すなわち一人のメッセージ、預言者、一人の男のリーダーシップによるものに対する不平だったのです。神がグループを使って主導した時があるならば私に教えて下さい。あなたは聖書にそれを見つけることはできません。一人の男性(人)、彼らは…みことばはモーセに来ました!コラ:我々は皆そのことが分かっていますー彼自身について又神が不正だと言って不平を言ったのです、そのやり方についてメッセージを携える一人の人に対してでした。彼は、「私たちは皆神聖です。なぜ私たちは宗派を持ってはいけないのですか?そして、なぜこれを設定し、あれこれを実行することができないのでしょうか。」と言ったのです。
神はモーセに言われました、「彼から離れなさい。私はそれを十分それについては持っているから。」そして、覚えておいてください、終わりの時について、ユダが同じことを話しています。そうです、「彼らはコラの利益を得てさばかれ死んだのです。」私たちはまた、コラとそのほかに何が起こったのかを知っています。そして、残りは神の言葉とその一人のリーダーシップの神の知恵に疑問を投げかけました:彼らは一人残らず死にました。
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さて、私たちは羊飼いの預言者の中にいる神と、次のしるしの声で神の将来の計画が顕されていることに気が付くでしょう。今、見てください。そこに見えます。さて次の印を見てみましょう。さて、気が付いてください、彼は兄弟たちによって奴隷として送られ、束縛の下で、救いのメッセージとともに神の与えられたしるしとともに主の主張を証明するために送られました。イスラエルは彼のメッセージのために行きました、彼らはそれを信じました、彼らの一人一人が、しかし夕方の時に…彼らは彼の奇跡のために行きました、しかし彼らに夕方の時に彼が彼のメッセージを与えた時、「それは違っていたのです。」そのメッセージを信じなかった人々はみな死にました。そうなのです。そのメッセージは何でしたか?メッセージは来たるべき裁きの事でした。夕刻、夕方、神はイスラエルの部隊を出て、人々が彼の羊飼いの預言者のメッセージを信じていたかどうかを確かめました。 そして、誰もがそれを信じていなかったのでそのすべてが死んだのでした。
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さて、気が付いてください、我々はそれをまもなく偉大なる羊飼いの話をしていきます。分かりますね?偉大なる羊飼いで預言者の働きに注目してください。彼の奇跡により、すべての教会が扉を開いて、彼を受け入れます。彼らは病気の癒しを望んでいました。彼らは素晴らしいことをしたかったのです。彼の人気はすごかったのです。しかし、夕方の時が来た時、彼が水をワインに変えて、何千人に対してパンを与え、奇跡を行った翌日、彼は落ち着いて彼らと話し始めました。そして彼に彼らに言われた、「私と父は一つです。「それなのになぜ父を見せて」と言うのですか。」と「ああ、兄弟!この人は自分を神と同等にしているのではないでしょうか?」それは彼らの教会の考え方にはきつすぎたのです。しかし、それは真理でした、彼はそうだったのです!分かりますか?しかし、彼らがそうしたとき、多くの人は彼についていきませんでした。
それから彼は振り向いて言いました、「人の子の肉を食べて、彼の血を飲まない限り、あなたの中にいのちはありません。」と
さて、あなた方、賢くて、知的な人がどのように思うでしょうか?私は神を神殿に持っていた祭司たちが主をそこに持っていたことをとても恥じたと想像しています。「ある人が立ち上がってそのようなことを言うと思うと、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む以外には。」「これは人間の吸血鬼です、分かりますよね「私の肉を食べ、血を飲む...」と言ったのですどうして、彼は人食い人種である。あなた方のような良い考えを持つ人々は…そんな狂気から逃れるでしょう。」と言ったのでした。
彼はそれを説明したことはありません、彼はそう言っただけでした!彼は彼らをつまずかせ、彼の羊を山羊から分けるためにそうしたのでした。彼は彼らを捨てるためにそうされました。そして、その後、誰も彼と協力したくありませんでした。それ以降、彼らには協力関係はありませんでした。分かりますか?
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夜の時に、神は陣地を通って出て行って、誰が信じていたかが分かりました。そして、彼は偉大な羊飼いの時代にも同じことをしました。偉大なる羊飼いの預言者の働きに気づいてください、しかし彼のメッセージの信者達はこれに気づいて下さい。しかし…この夕刻のメッセージを、彼らは信じませんでした。彼らは彼が神であるとは信じませんでした。彼らは彼を良い人にしたかったのです。彼らは彼を預言者にしたかったのです。彼はいい人で、預言者でしたが、彼はそれ以上のものでした。それが今日の一般的な教えです、「彼はただの良い人で、彼は預言者でした。」彼はインマヌエルに他ならない方なのです!彼は神であり、彼の御子イエス・キリストに現れて、彼と父を一つにされたのでした。彼がなされたのはそれだけなのです。82
ゼカリヤ書 14:7、。私は、夕暮とそのメッセージについて再び終わりの日に言うであろう。そのことに気づいていましたか?多くの人々がモーセに続き、シナイ山で彼を特定した火の柱を見ました。彼は証言し、茂みの中におられたこの火の柱が、彼にこのメッセージを伝えたことを話しました、彼らの多くはそれを信じませんでした。しかし、エジプトから彼に従って出て行った多くの人たちが(世の外に出て、分けられた紅海を渡り、荒野に行って)、同じようにその火の柱(彼が話していた)を見て、その羊飼いの預言者が羊の羊飼いとして立証された。彼らはそれを見ました、そして彼らの多くはそれを見た後もまだそれを信じませんでした。83
再び、不変の神、偉大な羊飼いの預言者が、彼と彼の働きを続けていた彼らを、どうやってオリブ山に連れて行ったかに注目してください。 偉大な羊飼いの預言者、私たちが話しているのはイエス様の事です。[テープ上の空白のスポット— 編集。]…?…そして父(同じ火の柱)が彼を立証するのを聞いた、それこそがモーセを立証したのです。モーセに話された同じ神が、モーセに来て、火の柱によって、彼がモーセを導いておられるエホバであることを証明しました。神は彼の羊飼いの預言者の中にいたのです。
ここで彼は他の羊飼いの預言者である偉大な預言者である本物の羊であるイエスを受け入れ、3人の男性(人)を選び、彼らをオリブ山の山頂に連れて行きました、そこで、イエス様が誰であるかを立証しました。そして、他のすべての人々から離れた元の彼自身でさえも、「これは私の愛する子、彼に聞け!」と言われたのです。そして、彼らが見上げると、イエス以外に救う人は誰もいませんでした。そうなのです。彼がその人だったのです。さて、私に関する限り、それによって落ち着くのです。分かりますか?
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[テープ上の空白のスポット— 編集。]…?…[テープ上の空白部分]…?…顔。モーセはシナイ山でシェキナの前にいました。それが変貌させました。彼が降りてきたとき、彼は―彼の顔の上にベールをかけなければなりませんでした、羊飼いの預言者モーセは エホバが彼の一部でだったのです、彼の顔。彼はみことばを口に持っていました。しかし、偉大な羊飼いがシェキナのご臨在の中に居た時の事に注目してください。それは何をしましたか?それは彼の全容を変えました。彼は神の一部ではなく、彼は神のすべてでした!彼はインマヌエルでした。
なぜそれが羊飼いでなければならなかったのですか?
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見てください!さて、全能の神が見て下さっているのです…むしろ、モーセによって羊飼いの預言者を描写しています。神がご自身をどのように知らされたかを見てください。(これは私の最後の発言です。)火の柱の臨在の御前で油そそがれた状態で立っている彼を見てください!山頂いるのはモーセとエホバだけでした。アーメン!アーメンは「その通りであること」を意味します。気を付けてみてください!「あなたの胸に手を入れなさい!」しかし、この2つ目の印で声を伴うものを今しっかりと見てください。「あなたの手を胸に入れなさい。」モーセが左利きであったと信じる理由はありません。ですから、彼は右手を胸に入れていたに違いありません。なぜなら、ほとんどの人は右利きだからです。彼は右手を置いた…今しっかりと見てください!羊飼いの預言者であるモーゼの中にエホバがおられるという絵はなんと素晴らしいのでしょうか!モーセは神を代表しています、なぜなら神はモーセの中におられたからです。彼が彼の…を置くのを見なさい「あなたの手を胸に入れなさい」なんという印でしょう!
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さて、彼はそこに立って、彼の右手を彼の心の上に持って(このように立って)、贖いの隠された秘密が世の初め以来隠されていました。これが羊飼い達である事の理由です。我々が皆知っているようにイエス様は神の右手です。モーセがイエスを正確に描写しています。彼は父の秘密を握って、私たちにそれらを示しました。気が付いてください、彼が胸から致命的なライ病で彼の右手を打たれるのを見てください。神が彼の右手で何をするかを示したのです。気が付いてくださいライ病には治療法がありませんでした。注目してください、繰り返しますが、これは単なる一般的なライ病ではなく、最後の段階にあり、雪のように真っ白でした。 彼の手は恐ろしいもので打たれていたのです。モーセは胸から右手を引いて胸から出て、ライ病で手が打たれた時のことを感じたでしょう。ライ病は罪を象徴し、不治であり、特にその最後の段階はそうなのです。87
そして、兄弟たち、それは神が彼の胸から彼の右手を引かれたときに世があった場所だったのです!世は致命的なライ病に打たれ、そのための治療法は全くなかったのです。彼等はその治療薬を受け取らないので、今晩も同様なのです。罪に対する救済策は既にカルバリーで行われましたが、人々は神の罪の処方箋の代わりに人為的な処方箋を取りたがっているのです。ライ病の経過とは異なり、徐々に進行することはありませんが、一度にすべてのことが行われることに注目してください。彼が手を引いたとき、それは打たれました、完全なライ病だったのです。神が言われたことに注目してください。「今、あなたは徐々に罪に流されることはないでしょう。 しかし、あなたがそれを食べたその日、あなたは死ぬのです。」そしてそれは正しいのです、「あなたがそれを食べる日」。
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気がついてください、自分自身を打ったのは預言者であり羊飼いである方でした。彼は神の戒めによって彼自身の手を彼の胸に入れ、ライ病によって打たれてそれを引き出しました。預言者であり羊飼いである方はご自身でそれをなさったのでした。そして、偉大な預言者であり羊飼いであるイエス様は、それをご自分自身で行われました。彼は偉大な羊飼いであり、偉大な預言者である羊飼いでした。「私自身がする以外誰も私からそれを取り去ることはできない」少しずつではなく直ぐにやって来ることに注目してください。偉大なる羊飼いご自身が私たちの罪を取り去り、彼自身を打ち殺し、私たちの罪を取り、それをご自身の上に置かれました。詩人が書いたのも不思議ではありません。表現を表す岩と暗くなる空、
私の救い主は頭を垂れたまま死んだのです。
神殿の幕が開かれて道が顕かにされ
天国の喜びと終わりなき時代へと。
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その秘密はずっとその間神の懐にあり、彼の右手であるイエスによって覆われていました。偉大なる羊飼いが私たちの罪をご自身がおって下さったのです。イザヤ書第53章6節には「主はわれわれすべての者の不義のゆえに傷つけられた主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。とあります。私たちの平和への懲罰は主の上に置かれたのでした。そして彼の打たれた傷によって我々は癒された」のです。神の癒しの秘密は、イエス・キリストの懐、すなわち神の上に置かれました、彼は神の右手だったのです、彼の懐に秘密を持っている唯一の羊なのです。それが、その前兆が常に羊でなければならなかった理由です!最初は羊で、最後も羊でした。それが、羊飼いのところに来て、羊の世話をする方法を知らなければならなかった理由なのです。分かりますか?注目してください、「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、」90
注目してください、それは即座にやって来ました。 そしてそれはすぐに去りました、すぐに2度右手が懐から引き出されてすぐでした。彼が二度目にそれを引き寄せた時、致命的な病気は消えました。そして、偉大な羊飼い、羊の預言者、彼が言ったとき…カルバリーの十字架で、私たち全員のための罪の罰を払った時、彼は「すべてが終わった」と言われました。罪は終わり、罪の報酬が支払われ、その責めは終わったのです!それには1年もかかりませんでした、あるいは、ついに、改革派やほかの日々に入っていきましたが、それはその場ですべてが終っていたのです!91
一つの言葉を壊すことにより、神の立法をへの崩壊により罪は一瞬で入って来たのでした。今夜、私の兄弟たち、あなたの魂は鎖につながれて地獄の上に居るのです。そしてその鎖は神学校の教えではありません。その鎖はあなたが生きている教派や信条ではありません。その鎖は神の言葉なのです!イエスは人類にみことばを生きるために与えられました、そしてエバはそれの一つの小さなつながりを壊したのでした。どの鎖も最も弱いリンクよりも強くはないのです。もし一つの言葉を取り出すと…それは聖書の最初のものでした。イエスは本(聖書)の真ん中に来られて言われました、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」。とそれはその本(聖書)のちょうど真ん中だったのです。
本(聖書)の最後の部分で、彼は言いました、この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに一つの言葉でも書き加える者があれば、または一つでも取り去るものがあれば、私は彼の名を命の書から消し去るであろう」とあなたは地獄を超えて、神のことばに繋がれているのです。何か主が仰せになられたことではない何かを誰かにあなたに入れ込みつぶされないようにしてください。
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ああ、なるほど…ええと、彼らは言います。「間違いなく、我々は全てしました。私たちはすべてのことをしました!」と。それが多分大祭司たちと彼らが大羊飼いの時代に考えていたことでしょう。それはエバの考えなのです。それはサタンが彼女に言った事です、「神は絶対に殺しはしない。」しかし、彼はそうしました、なぜなら主はされると言われていたからです。そして、それが主が今日再びそのようになさる理由なのです。彼が言ったように、「水によって8人の魂が救われたノアの時代のように、人の子の再来の時も同じようになるであろう」というのも不思議ではありません。分かりますね、本当に少しの人たちだけなのです、「 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(マタイ17:4参照)そうなのです。狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
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偉大なる羊飼いが降伏したとき、偉大なる羊飼いである預言者は、そこに降伏されたとき、「すべては終わった!」と言われました。そしてその瞬間に、この偉大なる羊飼いが打たれるとすぐに、それは終わったのでした。罪は解決されたのでした、もうそこには罪はありませんでした。彼らは清められ、罪の報償は支払われたのでした。命の書に名前が書かれている信者たちは、世の初めからあらかじめ定められていましたが、イエスがそれが終わったと言われたその正にその瞬間に終わったのでした。彼、その偉大な羊飼いは彼の羊のために来たのでした。全てが終わり、神の右手は彼の懐から引かれ、打たれたのです。それからイースター(復活祭)に、彼は戻ってきて(アーメン)、再びそれを彼の懐まで上げ、あなたと私に彼の言葉の形で拡張させ、罪が私たちを連れて来た元の庭で私たちを贖いました。彼の偉大な心の隠された秘密は預言者である羊飼いによって明らかにされたのでした。それは羊飼いで、預言者であり羊飼いである方によって明らかにされました。94
その日、山が飛んで叫んだのも不思議ではありません。太陽がその顔を隠し、喜びのために叫んだのも不思議ではありません。すべての自然が自由になり、風が木々を揺さぶり、揺れ動いて喜び、飛び跳ねたのも不思議ではありません。彼らは、その山の上で預言者であり羊飼いである方がが命の書にあるすべての名前を贖うのを見たのです。そして彼らは彼ら自身が贖われたのを見ました!彼らは叫び、飛び上がったのでした。そして地が揺れたのでした。そして、山が裂かれ、岩が砕かれた。そして太陽が沈んだ。そして、その後すべての事が起こりました。他の集会の時と同じように、その偉大なる羊飼いが「すべてが終わった!」とあなたに明らかにしたとき。そこに…95
私は飛びあがりや喜びの油を見てきましたが、誰も傷つきませんでした。山は荒れ果て、彼らは…太陽が沈み、すべてが起こりましたが、誰も傷ついてはいませんでした。そして、私は神の力が人々に「世と世の事から解放された」と明かされ、主の喜びが会衆に満たされた集会を見てきました。彼らは立って叫び、大きな声をだし、そして神の栄光のために彼らの最高の声を出して叫んでいました。何かを無秩序の中に見たことはありません。それらは常に正しい状態なのでした。 彼らがそれを認識していたのは、彼らの名前は、世の始まる前から子羊の命の書に書かれていたからなのです。偉大な預言者であり羊飼いである方は彼らにメッセージをもたらし、それらは伝えられたのでした、預言者であり羊飼い。他の教会の領域がそれについて何を言おうとも、彼らは何が起こったかを知っていたのです。彼らが羊飼いたちがそこに戻ったのと同じように、彼らは何が起こったかを知っていました。96
モーセがそうしたように、神学者がそれを説明することができないという根拠で神ご自身に会うまで、人は神の場所に正しく入るまでみことばを宣べ伝える権利はないのです。モーセはそこにいました!イスラエルの御使いたちがどのように言ったとしても、「ああ、それはナンセンスでした。あなたはこれを見て想像しただけです。 それはナンセンスだ」と彼は言ったのです。その方法を取りだすことは出来ないのです、彼は知っていたから。彼はそこにいました!彼はそれを起こした人でした!!そして、神学の学位や博士号を取得した人でも、神に面と向かって火の柱の中でお出会いするまで、説教壇の後ろに立ってイエスキリストのメッセージを主張する権利はありません。彼には自分をメッセンジャーと呼ぶ権利はありません。世界中のすべての神学者はあなたにそれを説明することができなかったのですから。それはあなたに起こったのです!あなたはそこにいたのです、そのことを知っています。他の誰かが言うこと、または彼らがどれだけ言うことができるかを気にかけてください。「その時代は終わった、それはそうではありません。」と、あなたはそれがあなたに起こったことであり、それはみことばによるとわかっています。97
はい、それがモーセがこの声が彼に話しかけている事が分かった理由です、御言葉の声だったのです。彼は神がアブラハムに「あなたの子孫は400年滞在するが、私は彼らを解放する」と言われたことを知っていました。そして彼はその400年が終わったことを知っていて、彼はそのために召命されていたのでした。男性と女性、神はこの終わりの時に彼がすべての人に彼の御霊を注ぐことを約束されていたのです。彼は聖霊のバプテスマを送ると約束しました、そして彼はしみやしわのない花嫁を呼ばれると言われたのです。彼はそれをすることを約束されたのですから、彼はそれをなさるのです。これらの雇われ羊飼いの言うことを聞かないでください。彼らはあなたを迷わせるでしょう。聖霊はこのみことばから羊の食事を与える羊飼いなのです。それは常に羊飼いによって来たらせられるのです。彼こそが私たちの羊飼いです。彼の言うことを聞いてください、あなたは彼の群れの羊です。 もしそうなら、あなたは彼の声を聞くのです。他の誰かが言うことではなく、あなたは彼が言うことを聞きます。知らない人の声、あなたはそれについて何も知らないのです。
98
ああ、私は力強い羊飼いである預言者に再び耳を傾けそれらを解釈し紹介するのです、ヨハネは言いました(彼がヨルダン川の中に立っていた時)見てください、彼は言いました(そこに立って宣べ伝えていたのです)ヨハネは、「その時は来ている....注目してくださいヨハネは司祭の息子でした。彼らはいつも彼らの父親の道に従いました、それが私たちが私たちの名を得た方法だったのです。彼らは何をするにせよ、彼らはそれによって呼び出されていたのです。そしてヨハネは彼の父のような司祭になることになっていました。
そして、ご存知のように、この母親は、主の天使が父親のザカリアに出会ってエリザベスの家に帰った後で、彼女が妊娠したとき、すでに母親になるために6か月の妊娠中でした。しかし、彼女にはまだ命がありませんでした。赤ちゃんが動かなかったので、彼女は恐れていました。それは低能な状態でした。
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そして、主の天使である聖霊がマリアに現れて、彼女は「まだ男を知らないのに赤ちゃんを産むのだ」だと言い、エリザベスの状態について話しました。彼女はエリザベスに話すためにユダヤの丘を登りました。そして彼女がエリザベスに会ったとき、彼女は「母親になるのですね」と彼女に言いました。そして彼女はそれを理解できず、「男を知らなかったのです」しかし彼女は言いました、「聖霊が私に下り、私から生まれるこの聖なるものは「神の子」と呼ばれ、私は彼の名前を「イエス」と呼びます。」そして、イエスの名が初めて母親の胎の中で死んだ赤ちゃんの人間の唇で語られたとき、喜びのために跳躍して叫びました。 母親の胎内に飛び込んだのでした。
イエス・キリストの御名は死んだ赤ん坊に命を吹き込んだのでした。新たに生まれたと主張する教会では何をすべきなのでしょうか?
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そして、私たちは漬け物のこぶと同じくらい酸っぱいものを決めさせて、そのようなことを続けさせているのです。そして、あなたの信念を高めて証言することを恐れ、そしてこのすべてのナンセンスを非難し、イエスキリストを昨日も今日もいつまでも変わることのない方のようにしてください。クリスマスの時期です。これらのサンタクロースやナンセンスなバカバカしいものを追い出してください。聖書の中でサンタクロースについて聞いたことがありますか。それはローマ神話であり、それには何もありません。そのような事実はないのです。子供にそんな馬鹿なことを教えないでください。ある日、それがすべて盲目的な話であると彼に言わなければならないとき、あなたはあなたの子供に嘘を吐いた訳です。そして、それはイエス・キリストについてのあなたの証を傷つけるでしょう、彼は「多分それは同じことだ」と言う事でしょう。クリスマスを偉大な羊飼いの預言者イエス・キリスト彼のものである場所に戻してください。101
注目してください、この預言者ヨハネがそこに立っているのを聞いてください。私たちは皆、彼が偉大な羊飼いの預言者であったことを知っているのです。さて、彼はメッセージを持っていました、天使は彼がイエスを紹介しようとしていることを知っていたのです。さて、彼はいくつかの神学校に行くことができませんでした。彼らはこう言います。「さて、あなたは何某博士を知っている、その人がその場所を取る人だとあなたは彼を紹介することになるのです。そして、あなたはそれを知っています…」分かりますね、彼は人とは混同できなかった。
9歳の時、彼は神の御前において整えられるために荒野に行ったと言われています。それが羊飼いが出た場所なのです。彼のメッセージは神学者のようなものではなく、ある程度の大きな、大きな言葉があったことを注目してください。主は言われました、「蛇、マムシの子らよ。」と宗教的な人に「あなたはたくさんのヘビだ」と言っています。それは荒野で見たものです、彼はヘビを見たのです。彼が見つけることができる最も低いものはヘビだったのです、そして彼は彼らをその日の司祭と聖職者と神学者と呼びました、「ヘビの集まり!」「誰があなたに来る怒りを警告しましたか?」と言いました。「私たちはこれに属し、私たちもそれに属します」と言い始めないでください。神はこれらの石をアブラハムの子らにすることが出来ると言います。」石、それが彼が荒野で見たものでした。「また、斧は木の根元に置かれていたのです。」それが彼が見ていたものなのです:ヘビ、木々、荒野。そして、それこそが彼のメッセージでした。彼はいくつかの有名な神学博士たちの言葉(彼はそれをすべて説明することができます)走りませんでした、彼は自然の系譜を正確に説教したのでした。
102
私たちがここで見せているのは、羊飼いの杖、羊飼い、羊、自然の系譜なのです。彼は何をしたのでしょうか?彼にはすごいものを持っていました、救い主を知っていたのです。彼は言いました、「私は言います、 『彼はここであなた方の中に今立っています。そしてあなたは主を知りません、あなたの神学にそんなに縛られているから、あなたはご自分の居場所を知らないのです。」
ある日、イエス様は歩き出て来られました、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊が来られる。」子羊!ハレルヤ!本物の贖罪!エデンの園から降りてきたすべての羊に影があります。普通の男が川へと歩いて行くのです。
103
彼らは言いました、「ヨハネ、どうやってそれを知ったのですか?何一つ違いは見出せませんでした。」「しかし、私は記録を持っています。神の御霊が鳩のように降りてくるのを見ました。そして、声が「これは私の愛する子、その中に居る事を喜んでいる」と言うのです。」
鳩と子羊を見てください。分かりますか?ええ。もしそれが何かだったら何になるのでしょうか?もしそこに狼が立っていたらどうでしょうか?さてと、その子羊は、その上に行くことができなかったでしょう...またはその鳩...神は鳩を用いてご自身を象徴しました、鳩は天国のすべての鳥の中で最も柔和です。 羊のそばにいる彼の子、地上のすべての動物の中で最も柔和なのです。見よ、カラスではなく、きれいな天の鳥。 ハゲワシではなく鳩なのです。豚ではなく子羊。他のいかなる性質も混ざり合わなかったのです。
そして、気が付いてください、鳩が子羊に出くわすとき、それが彼を導いたのでした。彼がする方法ではなく、父が彼(イエス様)を導く方法。それが今日の本当の子羊のやり方です。クリスマスの時の羊よ、神は御ことばによってのみ導かれることをご存知ですよね?それは彼の杖です。
104
何も起こらなかったことに気づきましたが、ヨハネは言いました、「彼らの残りはそれを見なかった、しかし私ははっきりと見た、「私はそれを見た」。初めに:「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」さて、ここで私のクリスマスメッセージを紹介させてください、そして私が閉めている間、「イエス・キリスト、昨日も今日もいつまでも変わることのない方」。それは同じ子羊なのです。彼は当時と同様に今の時代のための子羊でもあられるのです。彼の言葉は同じなので、彼がそこにおられたのと同様に今もここにおられるのです。「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。それがまさに彼が言われたことなのです。彼は決して変わりません、彼は神でありみことばであるのです。彼は決して変わりません、 まだ彼の羊に与え、彼の羊飼いであり預言者である方として彼の羊を初めから養ったのです。神学者にではなく 彼の羊たちに。
105
彼らは…どうやって他の人がそれを食べることができるのでしょうか?しかしその賢者は…これに注目してください!しかし、世的に賢明で知的で、よく訓練された者達はいまだに、サンタクロースがいると言いたがっているのです。そして、彼らが崇拝するあらゆる種類のフィクションやそういったものがあります。なぜなら、彼らは御言葉であるイエスを受け入れないからです。 彼らの宗派において、それは彼らの好み、その日の雇われ羊飼いに合わないからなのです。信条により雇われている者達、それはあなたを1匹のヤギの下で団結させたいと思うでしょう、それを信じないでください!彼らはあなたを屠殺場に連れて行こうとします。1900年前、今月に生まれ偉大なる羊飼いの話を聞いてください。いつの日か、彼のメッセージの中に、羊の世話をする方法を知っている真の羊飼いに来るのです。彼らがまだそれを望んでいる事に気が付いています。彼らは今日、それを受け入れていません。彼らが教会の趣向に合わないので、彼らがそれを受け入れなかったのと同じなのです。彼らはそのみことばを変えて、彼らの組織に合うようにします。彼らは神のみことばを説教しません。彼等は本当の説教をしないでしょう!彼らは言いました、「まあ、それは使徒たちの時代のことだったのです。それはこれを意味するものではありません。」とそれはまさにそれが言う通りのことを意味します、それを解釈するために誰もひとを必要とはしないのです…?
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さて、この時に私たちの頭と心を大地のほこりそして、本当に急いで馬小屋に行きましょう。彼に向かってお辞儀をして、この言葉が羊飼いによってもたらす光を見て、受け取るために。偉大な預言者であり羊飼いである、イエス・キリスト神の御子の光を受け入れましょう。。私は長い時間話しました。私は聖職者のように自分の言葉をしっかりと定めていなかったかもしれません。そうするつもりはありません。私は彼がそれを私に与える事だけを話そうとしています。しかし、なぜ羊飼いでなければならなかったのか分かりますか?他の人たちは、それを受け取らなくなるまで、別の考え方で訓練されていました。そして今日、私たちはあらゆる種類の監督、地区の人、司教、司祭、枢機卿、教皇、世界のすべてのもの我々を導こうとしている人たちについて理解しています。しかし、神は私たちに羊飼いをお与えになり、その羊飼いこそが聖霊なのです。
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さて、しっかりと聞いてください。「彼が…」(思考ではない、彼は個人的な代名詞であるとき)「彼である聖霊が来られるとき(真理の御霊)、彼は私があなたに言ったこれらの事をあなたに明らかにし、これからすぐ来るものを示されるようになるのです。」それは偉大なる羊飼いの事なの¥です、それはイエスが残された羊飼いのことです。そして、聖霊が聖書を書きました、聖書にはこのように書かれています、「老人は聖霊に動かされて、みことばを書いたのでした。」さて、聖霊はあなたを信条に引き寄せることができましたか?それを引っ張ることができますか?この御言葉が言っていない何かがあなたを引き寄せられましたか?その理由は完全に不可能だからです。聖霊は、「これはあなたがすべきことなのです」と言われるのですしかし「いいえ、それは間違いであり、教会が言っていることをしなさい」と言うならば、嘘つきとなります。さて、もしあなたが何かを聞いていたなら、別の人があなたを御言葉、聖霊に導く本当の真の羊飼いから引き離そうとしたのですそして、あなたは経験をしておらず、証人もいないのです。あなたの人生の中の聖霊の証し、それは
108
神は一つなのです。神は永遠のいのちを持つ唯一の人であり、神こそが永遠のいのちなのです。そして、全て始まりがあったものには終わりがあるのです。そして、もしあなたが教会の会員であるなら、それには始まりがあったのです。しかし、神のことばには始まりがありません。神には…そして、あなたが神から生まれた時、あなたはみことばによって生まれ、そしてあなたは神の子となり、あなたの名は世の初めから子羊の命の書に記されていたのです。そして、あなた、あなたが持っている髪の色、あなたが持っている色の目、あなたの身の丈の状況、神は世の初めからあなたを見ておられたのです。そして彼はあなたと同じように、あなたが人間であることをご覧になっていました。百万年を超えて、何も神はあなたをはじめからあらかじめ定められた完璧なものに戻るのです、「私の羊は私の声に聴き従う、知らないものにはついていかない」109
そして、もし永遠のいのちを今夜受け入れていないならば、そしてあなたがあなたの周りにいる小さな子供が飼い葉桶とたくさんの賢人の中に横たわっているというフィクションの物語を見ているなら、あなたはそのようなことを信じています。そして考えてみて下さい、「まあ、私は良くなります。そして私はこれをします。そして、私は教会に参加します。そして、それは私がする必要があるすべてです。」あなたは道に迷っています。永遠のいのちを持っていないなら、どうやって永遠に生きることができますか?あなたはトウモロコシの粒をとることができます。それがどれほど完璧に見えるかは気にしません。科学はそれを切り開くことができるものを製造しました。それは同じ種類の湿気、同じ種類の心、畑から育った穀物が持っているのと同じもの、同じものを持っているのです。あなたはそれらを実験室に置くことができます、そして、あなたは他のものから一つを区別することができません:人は他のと同じくらいトウモロコシのパンを作るでしょう、人は同じ種類のコーンフレークを作るでしょう。しかし、あなたが彼らに言うことができる唯一の方法は、彼らを植える事によってなのです。人が作ったものはそこに留まり、腐って芽が出ることが無いのです。しかし、神が造られた者には、生命の芽があり、再び生きるのです。
110
あなたはクリスチャンを真似したり、クリスチャンのように教会に行ったり、クリスチャンのように本に名前を書いたり、クリスチャンのような宗派に参加したりするかもしれません。 それは大丈夫ですが、永遠のいのちがあなたの内になければ、良い羊飼いが彼のいのちに命を与えたのではない限りは、神がペンテコステ(五旬節の時)に降りてきたとき、彼は最初の羊飼いであるモーセにしたように、シナイ山でしたように火の玉で降りてきました。そして彼が降りてくるとき、彼は彼自身が舌の火の中でお互いの上においてくださったのです、神は彼自身を彼の人々を分けたのでした。そしてあなたが受け取ったものを除いては…ペテロは「それはあなたとあなたの子供たち、遠く離れた子供たちに」と言いました。111
友よ、再び生まれるならばいかなる神学的神話を聞かないでください。そして、あなたがいるとき、あなたの内にある霊は神の一部であり、神のすべての言葉が「真理」であることを証しするのです。その経験をお持ちでない場合は、御言葉である神の馬小屋に急いでいきましょう。聖書に、これらの装飾された神学用語の教会から離れて、本物の救い主に、救い主が知られるようにされた神の言葉に急ぎましょう。頭を下げて祈りましょう。
112
親愛なる神様、私が現時点で言うことはこれで全部です。私たちはクリスマスに近づいています。通りには男性、女性、男の子、女の子で混雑していて、押して、押し合ってプレゼントを買って、誰かにあげてお返しを期待しているのです。自分をクリスチャンと呼ぶ多くの人々でも、クリスマスプレゼントのためにタバコや酒を買うために通りに出かけているのです。神よ、それは彼らはあなたの顔にそれを投げ戻しているように見えます、彼らの子供たちにいくつかのフィクション、ローマ神話あ異教の聖ニコラスの神学、世に受け入れられやすい神話を教えています、そして彼らは本物のクリスマスのキリスト、本物の子羊の話を受け入れないのです。神よ、私は今夜、あなたが私たちを創られた塵に頭を向けて祈ります。あなたは偉大な預言者であり牧者であるアブラハムに、「アブラハム、出て行って、海岸にある砂に数を数えなさい」と言われました。
そして彼は「彼らは無数にいる、私は数えられない」という言葉を返しました。
その時あなたは言われました、「天を見上げて、星に数えなさい」。とそして彼はそれが不可能であることを知っていました。あなたは彼に言われました、「あなたの子孫もそうなります。」と私たちはその羊飼いであり預言者への「地の塵から天の星への」メッセージを見て、私たちを死に至らしめるために私たちの死すべき体には死があったとしても、私たちを星々に引き上げて下さる命がある事が見えたのです。
113
あなたが偉大な預言者ダニエルに言ったように、「自分の神を知る民は終わりの日に、堅く立って事を行います。賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。」(ダニエル12:2-3を参照)主なる神、偉大なる創造主、イエスの形で地上に来られて、神が何であるかを人に知らせて下さった方。そして、あなたは死の罰を受けることができる唯一の人でした、どの天使も、どのしもべもそれをすることのできた者はいなかったのです。ペナルティを課したのはご自身に対してであなただけがそれを正当に取り除くことが出来る方だったのです。そして御霊になることによって、死ぬことは出来なかったのです。しかし、あなたは死ぬことができるように肉体を持たれたのでした。 そして、あなたが贖われた者の罪を取り除くために、あなた自身の血によって彼らを贖わなければならなかったので、子羊となられたのです。
ああ、その物語はとても素晴らしいです、主よ、それは多くの人の頭(考え)を越えて行くものです。「小さなエホバは飼い葉桶に寝かされ、赤ちゃんのように生きなけれなりませんでした。」そのことを考えてください。厩舎で生まれた小さなエホバです。路上で子供たちと遊ぶ小さなエホバ。10代の小さなエホバ。学校に行く男の子だった、小さなエホバ。そして、力強いエホバ。」あなたはこれらすべての場所をお持ちだったのです。「そして、子羊のエホバ。預言者としてのエホバ。」そして、あなたは罪の罰に苦しむかもしれない、そして永遠のいのちを私たちに与えるために、あなたはこのすべてになられたのでした。
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神よ、世の貧しく、ふさわしくない生き物である、我々をお許しください。主よ、今晩あなたの我々のためにされたことを読みそのお返しに我々が殆ど何も出来ていない事を知るとき、恥じ入ります。偉大な宗教指導者の時代にあなたはどのようにして来られたのでしょうか!どのようにしてあなたは父の言葉の上に立ちそれを反映させることを喜んでされたのでしょうか!どれほどあなたが彼等の理論に全く妥協されなかったか!そして今日、目立ってみことばをまだ「みことば」と呼び、妥協することを望まない人を見出すことが出来ないようなのです。私たちは祈ります、神よ、あなたが私たちがあまりに無視してきたこれらのことを許してくださいますように。そして今夜、私たちがあなたを馬小屋の飼い葉おけに与えたように、私たちの心の内に与えて下さい。そして、私たちは十字架につけられたキリストが受け入れられるたびに、新しい誕生があり、生まれたばかりの羊がいて、天使が天国で歌っているのを知っているのです。一人の罪びとが悔い改めると天使たちが再び歌うのです。今夜ここに神の本当の贈り物として、個人的な救い主として、精神的な概念だけでなく、(あなたの霊から生まれた)新たな誕生によってあなたを知らない人がいることを祈ります。主よ、私たちの頭を下げて、彼らは今それを受け取りますように。そしてもし誰かが居るとしたら、主よそれがこれをしなかったはずです、彼らの心が今喜びを受け入れているならば、古の羊飼いたちがその時代の偉大なる羊飼い、聖霊として彼らのために立証されるような御言葉、救い主を彼らの心の中で馬小屋の中で受け入れた者と同様のものが居るべきなのです。これをイエスの御名で尋ねます。
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我々が頭を垂れている間に、そして心から信頼して委ねます、あなたは、あなたが私の教会のメンバーであるけれども、あなたは私の兄弟たちそうしますね....そして、私が私が言ったことによってあなたがたの心を傷つけていない事を望んでいます。私は…教会に属していても大丈夫です。私たちはそうすべきですが、兄弟よ、それを受け入れないでください。あなたは新しく生まれ変わらなければならないのです。それは偉大な預言者であり羊飼いである方が言われました、「誰でも新しく生まれ変わらなければならない」。と彼はある神学者に言いました「あなたは新しく生まれ変わらなければならない」と「そして、あなたが新たに生まれ変わるときと言うのは、それはあなたが信じているからだけではないのです。彼らは言います、「あなたは信じるときに生まれ変わらったのである」と。
しかし聖書には、「悪魔でさえも信じている」と書かれているのです。さて、注目してください、それだけの事では無いのです、それは経験なのです。
あなたは「まあ、私は良い人生を送ってきた」と言います。
使徒たちもそうでしたが、聖霊を受けるまで、彼らは生まれ変わりませんでした。彼らは聖霊を受けるまで改心さえしませんでした。あなたは裏切りの前の夜を覚えていますか?裏切りの時、裏切りが行われる直前の事を?イエスはシモンペテロに言われました、「それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。そしてペテロは三年半もイエスに従い、悪魔を追い出し、病人を癒し、福音を宣べ伝えていました。それでもなお(みことばによれば)回心(立ち直って・改宗)さえしていませんでした。
116
さて、あなたは今夜あなたの心の中に使者のようなものが欲しているでしょうか?もしあなたが本当にそれをしたいなら…それは他の誰かが言う事によって違いをもたらすことはないのです、それは本当です、兄弟、姉妹。私はそれが本当であることを知っています。あなたは、皆さんが頭をたれて、目が閉じられている間、私に対してではなく、私はただのあなたの兄弟でありただの人にすぎません、しかしキリストに対してあなたは手を挙げて「私はそれを信じます。そして、私は本当にそのキリストを私の心に入ってほしいのです。本当のクリスマスのキリストにですか?」と言います。今すぐ手を上げますか?神の祝福がありますように。いいですね神もあなたを祝福してくださいます。神の祝福がありますように。いたるところに手が挙がっているのを見ます。素晴らしい。兄弟よ。 姉妹; それが起こるかもしれません、私の友人; 神の御霊で満たされる事が、それは他の誰かが言うことで何か違いをもたらすのでしょうか?覚えておいてください、それはあなたの人生です。私たちはその朝地上に居さえしないかもしれません、私たちは今、鼻孔に息を吹き込んでいるもの以上の生命があるという保証はないのです。私達は自分で息吹を創ることさえ出来ないのです、神の恵みだけなのです。そして、あなたがどんなに良い人生を送ったとしても、そしてそれが何に?イエスは言われました、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
117
さて、私は生まれ変わったものという用語を知っていますが、彼らが生まれ変わった時に聖書で何が起こったかを見てみましょう。ペテロは信者でした。使徒たちは信者でしたが、聖霊がペンテコステ(五旬節)で彼らに降りてくるまで、彼らは生まれ変わりませんでした。さて、彼らは何が起こったのだろうと思っていました、そしてペテロは彼らの残りの者達と共に言いました、「イスラエルの人よ、これがあなたに知られているように、 ナザレのイエスは、しるしと奇跡と不思議とによって神のうちに認められた人でした。 あなたが邪悪な手で取り、十字架につけられた決定的な評議会によって、神が育てられた、そして私たちが彼の証人である、彼は予知されていました。聖書によると彼はあなたが今見聞きすることをこれを分け合っていました。」そして、彼らがこれを聞いたとき、彼らは心に打たれて、「兄弟たち、私たちは救われるために何ができるでしょうか?」と言いました。
ペテロは彼らに言った、「悔い改めなさい!」
118
さて、私のカトリックの友人がここに座っているはずです。私が知っている4人か5人がここで座っているはずです。私はあなたの司祭、おそらくあなたの司祭ではなく、カトリックの司祭の一人とこれについて話していました、彼は言いました、「イエスは教会に罪を取り去る力を与えました。 罪を取り去られた者は取り去られ、誰でも罪を犯す者は、罪の内に彼らに留まります。」」それは本当です。しかし、彼がそれをどのようにしたか、使徒たちがどのように彼の命令に従ったかを見てみましょう。lそれは今日の司祭のやり方ではありませんでした。しかし、最初の司祭が何をしたかもし彼をそのように呼びたいのであれば、ペテロ、御国のカギを握っていた方は、どのようにそれについて言っていたのでしょうか?彼は言いました、「あなた方一人一人を悔い改め、罪の赦しのためにイエス・キリストの御名によってバプテスマを受けてください。そうすれば、あなたは聖霊の賜物を受け取るでしょう。」約束はあなたとあなたの子供たち、そして彼らから遠く離れている子供たちへの約束です。誰でも我々の神である主が呼び出された者は全てです」そして、神がまだ召されているなら、あなたが同じ処方に従えば、同じ経験があなたにももたらされるのです。この会衆がそれを信じているなら、頭を垂れて「アーメン」と言ってください。[会衆は「アーメン」と言います。 — 編集。]すると、少しでも御言葉に反するものは、羊飼いによるものではありません。
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主イエスよ、彼らは今あなたの御手の内にあります。私は今夜、キリスト、救い主を得ていない(そしてキリストが御ことばであり、油そそがれた御言葉が顕現した方です)開かれた心がここにあることを祈ります。 唯一の本物のクリスマスの贈り物があります。神が世界に与えられ、羊飼いが羊のために世に罪の贖罪として宣言されました。そして、その心が今夜開かれているなら今日の御言葉、救い主、主の内にその心を置いてください。私たちは彼らをあなたの御子イエス・キリストの御名によって神であるあなたに託します。アーメン。120
あなたは彼を愛していますか?彼を信じますか?「あなたがたはまず神の王国とその義とを求めよ。そうすればすべてのものが添えて与えられるであろう。」友よ、解散する前に、これを言いたいのです。多くの場合、私はとても誤解されています。私は神からのメッセージを持っています、そして私は何であれそのメッセージを宣言しなければなりません。私はそれが誤解されていることを知っています。そうでなければ、それは神のメッセージではありません。 それはあり得ないのです。今日誤解されないようにするためには、あまりにも多くの大騒ぎとなるのです。私は神が世界のあらゆる宗派と組織に人を持っていると信じています、そしてそれは私が私の兄弟に反対しているということではありません。私は3年前にツーソンに来て、ギルモア兄弟のミニスター達と面会しました。そして「教会を始めるためにここに来ましたか?」と尋ねられました。
私は言いました、「いいえ、違います。私はあなたを助けるためにここに来ました。」としかし、私は3年間、いまだに尋ねられていません。しかし、それはただ同じことなのです、私はあなたを助けるためにここにいます。私はあなたと手を組むためにあなたと手を組むのではなく、あなたと手を組むのではなく、神のことばを越えてあなたと一緒に手と心を組んで、失われた魂と私たちの声の元にいるすべての貧しい人々に福音を宣べ伝えようとしているのです。
今夜、心を尽くし、神の内にあるすべてのものを神に捧げます。私には、与えるものはあまりありません。 乳香、没薬、金は携えられません。何も持っていないからです。しかし、私は、神が私に与えてくださったすべてのものを私自身が持っています。今晩、私はそれを新たに神に捧げます。 そして、その御言葉の上に立つことを約束します。もし私が立つことができるのと同様に忠実に、主が私にもう一年生きさせてくれるなら。 あらゆることを説教し、あらゆることを信じなさい。そして主よ私を助けてください私と同じことを一緒にしますか?
121
主よ、私たちを受け入れてください。私たちはあなたのクリスマスの贈り物、救い主、信仰や宗派に関係なく、主よ、私たちと共にあなたの存在を立証する油そそがれた言葉を受け取るのです。私たちは、今日、私たち自身は世界がバラバラになっていることに気づきます。ここで、偉大なる救い主は、彼の手を伸ばして立っています。イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わることのない方で、終わりの時に、ラオデキアにはいるまで教会が組織される事を約束されているのです。そして今日、我々はそれが分かります、主よ。親愛なる神様、私たちには何ができますか?私には何ができますか?主よ、世界中のみことばの羊飼いがこの来るべき年私とこれらの他の羊飼い達に主を宣べ伝えるのを助けてください。主よ、私たちを助けて下さる事を祈ります。あなたの愛とあなたの霊とあなたの光を与えてください。今夜、私たちはあなたの御言葉とあなたからの召命に専任します。イエス・キリストの御名によって、私たちはあなたのクリスマスの贈り物として、神の御言葉が肉体を取って我々の中に宿られた方を受け取ります。アーメン。
122
教会の歌が大好きです。パウロは聖書の中でこう言っています。「わたしが歌うとき、わたしは御霊の中で歌いました。説教するとき、私は御霊の内で説教するのです。わたしは何をする時も、イエス・キリストの御名によってすべてを行います。」さて、これはあなたにとって大変なチャレンジでした…そして、私はあなたに感謝します。私はこのメッセージとともに来ます。時々、私はそれを言うのが嫌いなように見えるでしょうが、それでも私はその義務があるのです、兄弟たち。私がそれをしなければ、私は偽善者になるのです。私がそれをしなければ、私は自分自身の良心、自分自身の神の言葉における自分自身の信仰にたいして裏切り者となります。私はそれをしなければなりません。異なるようになるためではありませんが、私の召しに忠実である必要があるのです。そして、私はあなた方全員を助けたいのです、私はできる限りのことをしたいです。さて、すべての時代における偉大な賛美歌の1つを歌いましょう。私はそれをとても愛しています、私は彼を愛しています。ご存知のように、もし私たち全員がただ彼を愛しているなら、私たちは主が私たちに求められたことを実行すると信じています。「あなたがたはわたしを「主」と呼び、わたしがあなたに命じることをしないでいられるのか?どのようにして私を主と呼びながら、私があなた方に告げたことをしないでいられるのか?
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むしろ、「あなたの名前を本に載せて参加しなさい。」と言う雇われの羊飼いに耳を傾けるのですか? この聖体拝領を取って、これを言ってください。それで大丈夫です。」というのでしょうか、偉大なる羊飼いご自身が「新しく生まれ変わることを除いて、彼は天国を見ることさえできない」と言ったときにさえですか?そしてただその時代の訓練された神学者を見てみましょう!聖い?聖い生活をしている?今日、我々にはその時の彼らの生き方と比較するものは何もありません。そして、偉大なる羊飼いは彼らを何と呼んだのでしたか?「あなた方の父悪魔から出てきたものと」彼らが主の言われた通りにしなかったので…言われたのでした。彼らはみことばを認めましたが、その時代の為のことばではなく、別の日のみことばを認識していたのでした。
彼らがノアの時を認めたなら、それは大丈夫です、それはノアの時のものでした。 しかし、それはモーセの時代にはうまくいかないのです。そして、モーセの時のものはキリストの時代にはうまくいかないのです。分かりますか?ルターの時のものはウェスレーの時にはうまくいかないのです。ウェスレーの時のものはペンテコステ派の時にはうまくいかなかいのです。又、ペンテコステ派は彼らの残りがしたのと同じことをしました。さて、過ぎ去った時代に誰が私を助けてくれましたか?あなたに尋ねています。
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草の葉が出てきた時、それは何ですか?小麦の芽が出てきたら…それは何でしょうか?イエスは言われました、「麦の粒が地に落ちない限り。」麦の粒…あるいは小麦が地に落ちるとき、何が起こるのでしょうか?最初に出てくるのは小さな芽です。それは粒がその中に入っているようなものではないのです。自然を見てください。それはその中に穀物は入っていませんが、穀物の命を運ぶものなのです。何かが来た…あの有名な著書「沈黙の神」を書いたばかりのその異教徒は、「紅海を開いて、千年の暗黒時代を乗り越え、小さな子供たちがライオンに食い尽くされ、人々がアリーナで殺され十字架にかけられる間何故、彼は口さえも開けられなかったのでしょうか?」と書いていました。分かりますね、御言葉は啓示なのです。
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その小麦は、その本物の小麦が初めに始まったとき、それは神に敗れたのでした。そして最後に、神の本当の反射鏡である小麦が来ました。それは、彼がみことばであるので彼のみことば全体を反映させたのでした。それから神は五旬節(ペンテコステの日)に彼に花嫁を与えました。 しかし、その花嫁は、本物の小麦がそうであったように、暗黒時代に地面に落ちたのでした。そして、なぜそれは行動できなかったのですか?それは地の下に隠されていたので、生命をもたらす前に腐敗しなければなりませんでした。しかし、マルチン・ルターという名前の小さな司祭が一度来て、彼は真実の言葉を発しました。「義は信仰のみによって生きる」、芽が出てきて。 それからほかの刃が続くのです、ツヴィングリが続き、カルビンとノックスがやってきました。
あなたが最初に知ったのは、芽が変わって房の中に入ったということなのです。さて、それは少し似ていましたが、地に行ったのは本物ではありませんでしたが、そしてウェスレーも共にやって来たのでした。ウェスレーからはメソジスト教会が、メソジスト教会からはナザレ派、キリスト同胞教会などが出てきました。それが何をしたのでしたか?それは再び落ちて、それをもたらしました、今、小麦の粒、本物のペンテコステのように見えます。
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さて、マタイによる福音書第24章24節のイエスを見てください。「 終わりの時に、二つの霊であるにせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」さて、その小麦の粒が出てきたとき、どんな小麦栽培者もそれが完璧に見えればそれが小麦の粒であることが分かるのです。しかし、あなたはそれを手に取り、それを開きます。それはただの殻で小麦が入っていないのです。しかし、後ろに戻ると、顕微鏡で小さな芽が見えますそこから粒が来るのです。そして、その殻は何をするのでしょうか?それは穀物(粒)を保護するのです。暑い太陽がそれを殺すのです、それは穀物が成熟するまでその穀物を保護するのです。そして、穀物が成熟するとき、殻はそれから離れるのです。しかし、あなたが気づいたのは、その穀物が出てきて、地面に入った穀物と同じ種類のものでなければならないということなのです。127
ルターのリバイバルの後、組織が出来たのでした。ウェスレーのリバイバルの後、組織が出来たのです。アレクサンダー・スミスの後、ジョン…アレクサンダー・キャンベル、ジョン・スミス、他残りのすべてが組織を作ったのでした。ペンテコステの後は、本物と同じだったのですが、それも組織となりました。それは何をしたのでしたか?主から引き離したのでした。私たちは15年間リバイバルを経験しましたが、すべての歴史でそれが知られることは決してありませんでした。そして、この15年間のリバイバルで、世界を席巻しました、それから一つの組織は構築されていません。それはどこで起こったのでしたか?(それは後の雨(秋、冬の雨)が始まったのです、それはその瞬間に死にました、それは死んだのでした。)これに従った組織はありません。何故でしょうか?それは穀物そのものなのです。これ以上起こることはないのです。そして今、からは既に取り去られており、協力関係も、誰もあなたを望んでいません。なぜですか?それはそれでなければならないのです。
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なぜその教会はそこに置かれたのですか?それをサポートするために。どこに…誰が協力したでしょうか?どのバプテスト派、または長老派、またはルター派が神の癒しのキャンペーンを支援したのでしょうか?さて、真理が明らかになったとき、何が起こりますか?殻ではなく しかし、人生は、殻から出て、穀物の中に、正に本当の真の命を送ります。組織はそこに立って死んでしまいます。それは、あらゆる時代にそうであったように、同じことになるのです。あなたは50年前にそこから出てきて、再びそれに戻っていきました!しかし、本当の命は穀物に従います。私たちは終わりの時に生きているのです、兄弟。129
何がそれを引き離したのでしたか?それは、御子のご臨在の前で穀物を運び、穀物を熟成させて主人のための黄金の熟成に至らせるためです。なぜ引き離されたのですか?ですから、イエス・キリストが聖書で約束されたすべてのことを明らかにするために、心が痛くなり、涙が出る事になるのです、s-u-n(太陽)の前ではなく、S-o-n(御子)が真の完全な福音に成熟するのです。今日教会の体が人々の中から立ち上げられたのです。そして、豊かなラオデキアに直接行くような組織はもうなくなります、。組織は何によって繁栄したのですか?数百万ドル、数百万の魂でした。そして、羊飼いは何から来たのでしたか?彼の兄弟を奴隷のような縛りから救い解放するため。私は知りません。 神様我々とともにおられ、助けてください。御言葉を学びなさい!聖書を調べてください!彼らの中に私たちは永遠のいのちがあると思っています、そしてそれらが真実を証するものなのです。分かりますよね、神は御言葉を各時代に割り当てられました。この時代はいつも…
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イエスは来られた時に何と言われましたか?彼は人々に言いました、「あなた方は偽善者である!偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。そして彼らがしたわざをあなた方もするであろう。」それは今までと同じなのです、私の兄弟たち。しかし、イエスがいつか来られるとき、偉大なる羊のための羊飼いがペンテコステ(五旬節/聖霊光輪の時)からルターを経てすべての時代を通して光を持たれていたのです。(はお子ぶものではなく、その光を受け入れたのです)彼(主が)贖いに戻られるのです。私は彼が再び来るのを知ってとても嬉しいですさて、あなた方は彼のグループの数として数えられていますか?あなたは数えられていますか?教会に参加するのではなく、彼の中に生まれることだけがその唯一の方法なのです。「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。」見てください、それでですべてですから、受け入れてください。彼は…それが私が知っている唯一のクリスマスの贈り物です、彼が世に与えた神の贈り物です。神のひとり子。そして彼は、昨日、今日、そして永遠に、みことばと同じで変わることがない方なのです。分かりますか?この時代において彼における聖書の完全な成就を信じなさい。
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七つの奥義が来る時…それらの7つの教会時代を通して、7つの隠された奥義がありました。私はそれに関する本を書いています。そして偉大な神学者が私に暫く前に「ブラナム兄弟…」と言いました分かりますね、サタンがあなたを道からはずそうとする方法を見てください?彼は言いました、「ブラナム兄弟、あなたは何を知っているのですか?主が私たちが次に何をすべきかをあなたに明らかにしてくださると信じています。これらの7つの封印の下に隠されているのは、いくつかの大きな秘密になるでしょう。」と私は言いました、「いいえ、それはそうではありません、兄弟」と
彼は言いました、「それはみことばでさえ書かれていないものになるでしょう。」と
私は言いました「いいえ!違います!あなたは「誰でも一つの言葉をくわえるか取り去った者は。」について忘れています。と分かりますね、それはすでにそこにあります、しかし、改革者たちはそれを見ることに失敗しました、彼らはそれを見るために十分に長く生きていなかったのです。
そして時代は今もう終わっています、私たちはここラオデキアの時代にいるのです。そして、覚えておいてください、ラオデキア教会時代、彼は教会の外にいて、扉をたたいて戻ろうとしたのです:エバは彼女のアダムを外に出してしまったのでした。神よ、私たちを助けてください。その陣営を超えて彼を見つけましょう。門のない主とともに苦しみましょう。彼の死、埋葬、そして復活の中において彼に行きましょう。 彼は昨日も今日もいつまでも変わることのない方ですから。
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この場所を出る前に賛美を一曲歌いましょう。良いですか?私は彼を愛しています。姉妹、キーを下さいますか?何人がその古い賛美歌を知っていますか?私は…もし集会に参加したことがあれば、私はその曲が大好きです。さて、目を閉じましょう。エホバについて考えてください。彼以外にはそれをするにふさわしく出来る方はいなかったのです。そして彼は降りてきて、小さな赤ちゃんとして来られました。彼は来る、ティーンとして。彼は大工、働き人となりました。彼は子羊になり、彼は捧げものとになったのです。彼は勝利を収めたのでした、エホバ。そして、モーセが彼の懐から彼の心から彼の手を引いたとき、神は彼の懐から彼の手を引かれました(彼の秘密)彼の息子は罪の病で打たれ、それは不治でした。 そしてそれを再び懐の中に突き刺し、それを引き出してあなたと私に伸ばしました。「イエス・キリストは昨日も今日も、そして永遠にいつまでも変わることのない方なのです」。
今こそ彼を見なさい。
私は彼を愛しています、私は彼を愛しています
彼が初めに私を愛して下さったから
そして私の救いを買って下さったのです
カルバリーの木の上で。
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さて何人がそれは羊飼いでなら買ったと知っていたことに対して「アーメン」と言いますか?[会衆は「アーメン」と言います。 — 編集。]絶対に!なぜ羊飼いだったのでしょうか?そうでなければなりませんでした。さて、この同じ場所を繰り返し歌いながら、テーブルの向こう側に手を伸ばしてください。今夜は、メソジスト、バプテスト、ルーテル派、長老派、カトリック教徒などがここに集まっています。握手をして、「巡礼者の仲間よ、今夜ここにいられて本当に嬉しい」と言いましょう。彼らに何か言ってください。わたしたちは今、互いに握手をしているので、「神の祝福がありますように」と言いましょう。今それを再び歌いながら。私は…
[テープ上の空白のスポット— 編集。]
…私の救い
カルバリーの木の上で。
さて、目を閉じて手を挙げて、彼に向かって歌いましょう。
愛してる、愛してる
彼が初めに私を愛してくれたから
そして私の救いを買って下さった
カルバリーの木の上で。
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そして今、神に形はありません。それでは、頭を下げて、それをハミングしてみましょう、小さな子供たちのように、あなたは神の子供たちですから。世が何を考えているのかを見ないでください。あなたは今、キリストを礼拝し賛美しているのです。ただ頭を垂れて、それを口ずさんでください。[ブラナム兄弟と会衆のハミング、私は彼を愛しています— 編集。]皆が精練されていると感じませんか?ただちょっと…何かが疑念とあなたから離れた世界を摩擦から離れた何かがありましたか?そのように感じますか?手を挙げてください。「私はただすべてが精錬されたと感じる。違う感じがします。私は彼の手から食べているような感じがします。私は…」ここで兄弟が証言したように、「食物、羊飼いの食物、羊の食物」。それこそが御言葉なのです。
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神の羊は彼の食物を食べます、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」。そして、これこそが聖書です。私たちはいくつかのことばだけでなく、すべてのことばを食べて進むのです。ああ、それはあなたを彼を愛するようにしませんか?今、私たちは永遠のいのちを持っていると思わせるのです!今後成るのではなく。今や私たちは神の子なのです。将来ではなく、今なのです!そして、それはキリスト・イエスのいる天的な場所に集まっているのです。そして、大きなテレビでは、人々(地球の周りを旅する人)をテレビのスクリーンで知られるようにするエーテル波があると宣言しています。偉大な神のことばと、神の御霊が神のことばをとるということは、イエス・キリストが天の場所で彼の羊に反映されているというのは、イエスは昨日も今日もいつまでも変わることのない方であると言う事なのです。彼は素晴らしいではありませんか?素晴らしい!神の祝福がありますように。136
さて、少しだけ立ちましょう。祝祷をして下さる方がいますか?さて、クリスマスの間に主イエスを礼拝し賛美することを覚えておいてください。彼の復活の力の内で彼を礼拝しましょう。そして、もし私があなた(あなた、あなたの牧師、あなたの教会、または何か)に好意を示すことができるなら、夜は決して暗くなることはありません、雨は決して強く降ることはないのです。先日の夜(ここに立っている女性がここにいます)私はとても忙しかったので、病やその他の事を取り上げていました…精神を患い気が狂っていたを80歳の女性がいました、..彼女は赤ん坊か何かを持っていることを考えていました、彼女は彼女の思いの外に居たのです。そしてビリーは、オフィスから私を呼んで、「パパ、助けられますか?」と言いました。
私は、「今すぐには、出来ません人々がいます…私にはただできません。」と言いました。
彼は言いました、「パパ、お祈りをしに行くことはできますか?彼らにあなたが祈っていると言います。」と言いました。
「はい」と私は言ったのでした。そしてその瞬間、彼女は自分に戻って来ました。彼女は眠りに落ち、通常の状態で目を覚ました。 通常の状態で、チキンの夕食をしっかり食べたのです。人がここに立ってそれを暫く前に証言していました。
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マック兄弟、私は彼を教会のどこかの場所でしばらく前に見ました。彼はここにいます、牧師の一人、地元の牧師ですね。とても親愛なる兄弟で、私がそのミニストリーを始めた時からずっとマック兄弟を愛してきました。そして私は彼に会いました…そして、私はブリティッシュ・コロンビア州に行っていました、 そして、神がどのようにすべてを正しく働かせるかを見せるためだけにでした。私はすでに馬に乗っていて、インディアンのグループ全体を神に導いた荒野に戻っていました。 彼らは皆回心し、イエス様を受け入れたのでした。
そして、2年前に彼のポニーを失ったインディアンの少年に言った預言によって、彼がそれをどこに見つけることができるか、それがどれくらい遠く離れているか、そしてポニーがどこに立つかを彼に教えたのでした。彼の母親は心臓発作で死にかけていました。彼女は癒されて救われました。そして、この男の子は、ちょうどそれを見に来ていました、そして彼が…彼の馬が彼に言われた通りに正確に見つけられたことを知っていて、そしてすべてを知っていたのでした。
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一つでもかつて主が語られた言葉で私はあなたに尋ねます、「彼があなたに何かを言うのを聞いたことがありますか、彼があなたに言うように私に言われたことを聞いたことがありますか、しかし正確には何が来るのですか?」もしそれがその通りだとしたら、「アーメン」と言ってください。[会衆は「アーメン」と言います。 — 編集。]分かりますか?分かりますか?確かにそれは一度として起こらなかったことはないのです。そしてマック兄弟は死にかかっていました、そしてたまたま彼の妻がビリーを呼び出しました、そして私の息子の妻です、そして私にどこにいたか尋寝たのでした。 その素敵な小さな女性と…彼の妻。そして彼女は…そして私の義理の娘は言いました、「彼はブリティッシュコロンビア州北部の狩猟旅行の途中です。」と
そしてその朝、どういうわけか、私はその馬に乗ることができませんでした。そしてビリーは言ったのです、「もう一度家に電話するだろうと信じている。」とそして彼は電話するためにその郵便局に行きました。そして、彼らはここに戻ってきて、小さなインド人がそこに立っているとき、その小さな方がポニーを持っていました、そして「兄弟マックは死の場所に横たわっていて、あなたを呼んでいます」と言いました。
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そして私は降りて、森の中に行き、ひざまずきました。私は言いました。「親愛なる神様、ツーソンにある晴れ渡ったアリゾナ州にある、国中の3千マイルのところにいる私の兄弟で、彼は死にかかっているのです。彼を助けて頂けませんか?」とちょうど何かが私に話しました、「すべては良くなった。」と
そして、先日マック兄弟のところに来て、彼に話しかけたのです、「何時に起きたの?」と尋ねました。 それは私たちが祈りに行ったのと全く同じ時間でした。
オーなんと素晴らしい主は…彼は素晴らしいではありませんか!彼は昨日も今日もいつまでも変わることのない方なのです。私はその王のご臨在の中に住んでいることを知ってとても幸せなのです。
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さあ、頭を垂れましょう。ここに大切な兄弟がいます。宣教師の弟、私の友達、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドのメンバー、ここに大切な弟がいます。私は彼を「クリーチー」と呼んでいます。彼はこのような素晴らしいことを話しました。クリーチ兄弟、あなたをそのために呼びます。私は何と言っていいのか分かりません、あなたはこの終わりの日のイエス・キリストの艱難を共にする兄弟であり、僕仲間です。神の祝福がありますように。そして、トニー兄弟は、私たちが頭を垂れている間、あなたがこのとき会衆たちを解散しようと言っていたと思います。大丈夫、来てください。