65-0217 主の御臨在から逃げ出す人

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • アメリカ合衆国インディアナ州ジェファーソンビル
  • 録音番号:65-0217
  • 年:1965
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頭を垂れて祈りましょう。親愛なる神よ、今日の午後、もう一度集まるという特権を得られる幸せを感謝します。そしてあなただけが、主よ、私たちの心がこの時間にあなたの人々の前に立つとき、このメッセージを分け合う事がとても緊急であると同時に重大だと感じて高鳴るのをご存知です。今ここ数日割り当ててくださいました、又私たちは祈ります、親愛なる神様、憐れみの手によりまっすぐ導いててください。主よ、私たちの必要なものをお与え下さい、私たちの心がよりあなたを知りたいと切望するためにです。
白く熟した大収穫地が見え、穀物が収穫の時期に備えて準備が出来ていることがわかります。親愛なる神様、あなたが周りから殻を開け、これから数日の間御子のご臨在の中に居られますように、そして神の国が熟すように祈ります。
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ここで歌われるすべての歌を祝福し、すべての祈りを祝福し、祈るすべての祈りに答えてください、主よ。失われた人々すべてを救ってください。生きている神の家に呼び戻し、さまよってでて行った人々をフェローシップに戻してください。
祈ります、神様、この屋根の下に来るすべての病人を癒してください。聴いて下さい主よ。これらのミーティングが終わる時,この中に脆弱な人がいないようにしてください。
そして私たち自身のために、この終りの日にこの素晴らしい交わりの仲間であるために呼び出された者たち、世界中のバビロンから出てきた、世界中の人々であると私たち自身が主張します、そしてそのような方法で心を祝福してくださる方である神に祈ります。本当に飢え乾いています、主よ。そして私たちが知っている世の物を全てを無くしてきました。主よ。我々を悩ませているすべての重みを脇に置き、そして今忍耐をもってこの戦いを走らせて下さい、それは我々の前に置かれています。それをお与えください、天のお父様。そして、この礼拝の終わりには、入ったときよりも充実し、より強く、より良いクリスチャンに成れるようにしてください。神に全ての栄光を帰します全てをイエスの御名によって求めます。アーメン。
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この夜はしばらくの間待っていた壮大な特権の一つだと思っています。先日、妻に話していたのです、「幕屋に行くのを待つのはとても緊張します。」と言いました。私はただ…他にも友達がいます、もちろん世界中にいますが、この幕屋について何か違っているのです。この辺りにある埃を取り払って、神がこの地上で私に命を与えられたのです。そして、神が許されるのであれば私がどこかで埋葬されるのであればここにのどこかになると思っています。彼が来られるとき、ここのどこかで私を見つけられるだろうと。
しかし私がジェファーソンビルについて考えに行くとき何かがあるように思うのです。先日とても寂しくなりました。私の妻に言いました、「僕はホームシックにかかっている、そしてそれが私のために祈っているそれらの人々でない限り、ホームシックになる理由が分からない。」と言いました。「そうだね。私がすることがわかっていることは、戻って数日の集会を開くことだけ。もし主から何かを見つけることができないならば。多分、彼は何か知らせたいのだと思う。」そして、私たちが今前に持ってきた大きな命題は、「結婚と離婚」なのです。そして、質問があるのなら、答えがあるはずです。答えがなければ、質問はできません。それが何であれ、答えがあるはずです。そして、もし主のご意志ならば、日曜日の朝にそのことについて話してみたいです。
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そしてそれから明日の夜に私たちはここに来ると思います…その学校の名前は何ですか?パークビュー講堂。なんでしょうか?パークビュー中学校ですね。それがどこにあるか知っている人はどれくらいいますか?ええと、私は彼らがサインアウトするでしょう、そうですよね、ネビル兄弟?それはここのちょうど4分の3マイルくらいでここの上の方です。看板があるでしょう。その道を折り返して下さい。素敵な高いビルです。あなた方が腕を広げたり、書きたいことや物事のメモをとることができる場所があります。そして、幕屋での集会でちょっと混みあっているより、もう少し楽しんでいただけると思います。十分なスペース、十分な駐車スペースがある事でしょう。
さて、彼らには多少の我々が従わなければならない事を約束した守るべき規制があると思います。それは6時半までそのグラウンドに来ない事。私たちが6時半にそこに着くように行くのは良い考えだと思います。今、彼らはここに6000人を収容できる別の講堂を持っています。もしとても良い見本であれば、多分この夏かいつか私が海外から帰国した時に大きなミーティングをそこで開かせても貰えるかもしれません。
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皆が着席できると思います…何人くらいの人がそこに座れるでしょうか?4000人許容です。分かりますね、十分スペースがありますね、急ぐ必要がなくなりますね。そして6時30分に来てください。そして、全員が丁度いいタイミングで一緒に入れるでしょう。そして、きっと良い席をとれると確信しています。そしてこのように高くなっていて、ここの様に書いたりメモを取ったりすることができるような場所なのです。そして、もし主のご意志であれば始まる事でしょう…、
今夜は水曜日の夜の祈りの集会だと思います、場所はもういっぱいになっているのですだから、明日の夜それを始めたらいいと思います。ここがいっぱいになるほど人が十分いるであろうと予想していたので期待してそれを借りました。しかし、私はもっと増える事が最善だと思います、あなた方はそう思いませんか?ネビル兄弟、明日の夜そちらにいけますね?そして、何人くらいの人がそれ良い考えだと思いますか?そして、十分なスペースがあります。もう借りました。それはここ教会の何人かの兄弟が支払ってくれました。それは一晩に50ドルしかかかりませんそれは私が願っていた多くの人たちが座れることそれが、一晩に50ドルで新しいビルで素晴らしい建物で可能になったのです。しかし、私たちは…
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もちろん、私たちは献金を集めるだろう、と思います。そして人が彼ら自身だけでお金を払うのは望みません、彼らに返済します。しかし、我々が経費や必要な物資を手に入れたときには、当然のことながら献金をやめます。しません…
もし我々の中に知らない人が居れば、決して物乞いをせず、あきらめないで、お金のために人々を後援するという方針を取りました。私たちは献金箱を回します。それはただ…それは宗教的な行為です。私は全く献金箱を回さないようにする様に何度も試しましたけどそれはうまくいきません。わかりますか、与えることは私たちの宗教の一部だからです。私達の義務の一部なのです。それが10セントであろうが何でも、またはあるいはペニーであれ、そう言う事なのです…
ですから、ある日、富んだ人達が自分の財産の多くを財宝に入れているところで、このやもめが通り過ぎて、多分2人位の小さなお腹を空かした子供たちが彼女のそばを歩いていたので、彼女が持っていたすべてつまり3ペセタを渡しましたイエスがご覧になったのを覚えていますよね。イエスは言われました、「誰が最も多く払ったのでしょう?」と
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さて、もし私がそこにいたとしたら、「そんなことしないでください、姉妹。見てください、私たちはたくさんのお金があります」と言っていたでしょう。しかし、彼は決して彼女を止めませんでした。彼は、彼女のためにより大きなものがある事が分かっていました。それで、結局のところ、彼女には行こうとしていた栄光の家がありました。彼は決して彼女を止めませんでした。彼女に3ペセタを入れさせました。それはまさに…彼女がしたかったことで、彼女は子供達、そして未亡人と共に、そして生活するためのたった3ペセタでそれをしたかったのです。彼女はそうしたかったのです。ですから、人々が与えたいと思うとき、あなた方は彼らにそうする機会を与える必要があります。
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しかし、これらの立場を考える時又、人々は言っています「誰が50ドルを与えますか?誰が20ドルを与えますか?」それはあなた方の知性にとって有害だと思います。集会を開くにはお金がかかることを人々は理解していると思います。そして、私は彼らにその責任者にそれをさせたことはありません。私は言いました、「それをしなければならないときはいつでも、私は幕屋に戻るべき時が来たのでだからそれをする必要はないと信じています。」しかし私たちがそれを達成するために供え、完全な宗教的な礼拝のために献金箱を回すべきだと思います。
そしてそれで、彼らはたぶん毎晩小さな献金の皿を回す事でしょう、そしてこのような事を言うのです「さあ、今献金を集めます。」と。そして彼らは献金の皿を回してそれで礼拝の最後になります。
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そして各晩、主のご意志であれば、主が心に教会への非常に明確なメッセージを下さったと思います。数日間祈っていました。先日、本当に素晴らしい現象が起こったのですが詳しくは話しませんが、それについて話したくてワクワクしているのです。そして今、私が思うに、彼らのほとんど全員が必要としていたのは、結婚と離婚に関するものでした。それは素晴らしい主題です。それをどのように話すのかがわかりませんでした。そして私はそれについて祈るために上がっていき、そして私は主に会いました。そして、私はそれを持っていませんが、神は私にお与えくださいました…私は今それを持っています。神は私に正しい答えを与えられました、分かりますね、そして、私はそれが真実だと分かっています。
さて、私はまだ正確にはわかりません、おそらく日曜日に私たちの姉妹に彼女達だけでの集会を辞めるように尋ねるかもしれませんが、今は分かりません。結婚した女性が夫と一緒に来たいかどうかによるのです。そのことについての真理を語る必要がある、話さなければならない…、本当に重要なことがいくつかあります。私たちは絶対にそれを「このように主は言われました、」と押しなべておきたいのです。そして私はそれをなさることにおいて神ご自身に信頼しています。
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そして今、私は先日ここのレストランにいました。そしてジェリーと彼ら全員があなた方全員を探していました。彼らは言いました、「さて、私たち…」男の子の1人が起きて、「この人が言っていました、『今週はかなり上手くいくでしょう』」と言っていました。と言いました、「この後次の2週間は…」と言いました、「彼らはここでバスケットボールか何かその他の集会があります」と言いました、そして「そこにいるブラナム氏がそこで集会を開く予定です」と言いました。彼は言いました、「私はたくさんに人に食事を出すつもりです。」牧場の家はそれらの場所の1つです、そして彼らはいたのです…本当に素敵な時でした。
そして、私は皆さん全員を感謝しています。なぜなら彼らはあなた方のことを自慢してステキなことを言っていました。
先日の朝がそこの牧場の家の責任者が来て会いました。アリゾナから2時30分頃来て、「さて、ブラナム兄弟」と言いました、「別の集会を開くつもりだと聞いたので、より多くの助けを得ました。」と言いました。そして「それから、そこから来た人々は本当にいい人たちだ。」と言いたいのです。さて、それはあなたについては本当に気分良く感じていますよ。結局のところ、あなた方が私のキッズの様に感じているのです。あるいは子供たちです。だから、私は…キッドとはヤギのことを指しており、あなた方はヤギではありません。あなた方は私の小羊です。彼が私に養わせようとしている主の小羊で達です。そして彼が私にそうさせるということを信頼しています。私たちはその道を進み続けていきます。
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そして、この結婚と離婚については、あの7つの封印の時からずっとそれについて話したいと思っていました。お分かりのように、すべての奥義はそれらを7つの封印、聖書のすべての奥義を解くことにより知られるようになっていたはずです。そして私は今考えているのは、ある意味年を取るようになって、思うに…少なくとも何かが私に起こったとしたら、「彼の頭の中で何を考えて、何を言おうとしていたのだろう?」と教会は不安に思うかもしれないのでテープに残すべきであると私は考えました。そして、かなり難しいにと思われるすべての主題は、主の助けによってそれらをあなた方に渡せるようにしています。そしてもし何かが起こって彼が来られる前に私が行く事になるようなことがあれば、それらの記録を持つようになるでしょう。
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私たちは新しい本を数冊出版していたと思います。べイル姉妹が見えます。私はドクターがここにいるかどうかわかりません。彼はここにいますか、べイル姉妹?彼はおそらく会議中ですね。私は彼を見ていませんが…ああ、そうです、あんな後ろにいました。そしてベイル兄弟が一冊本を書きました、そしてそれは思ったのですが、今日言ったと信じています、2冊ですね。ベイル兄弟、そうですか?今ここに2冊ありますか? 2冊の本。さて、私が理解しているのが正しければ、それぞれの方にコピーを分け合う事になっています。だから、その様に私は理解していますが、間違っているかもしれません。
そして「7つの教会時代」は終わりましたね(そうですよね、ベイル兄弟?)。そして今、印刷中です。そして、皆さんがそれらを手に入れたいと思っていることを知っています、それらが心にあったたくさんの質問に答えるからです。その後、私たちは書物の中で「7つの封印」が開かれるようにしようとしています、ご存じのように本の中でひとりひとりがご自身が望む形で読むことができるように…それを理解し、勉強することができます。それが書き出されたとき、私はそれが…
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最初に、私たちはテープの書かれた同じ方法でテープから取り出しました。または、話しました。そして、ご存じのように、説教は説教するのです。それから本を書くことは別のことです。分かりますね、あなた方に言いたいのと同じように、私がある主題に偶然に触れるよう、分かりますよね。私は「さてサーパントの種(子孫)」「さて、その書物の読者は、もしそれをはずしたら、「サーパントの種(子孫)とは何ですか」と不思議に思うでしょう?わかりますか?そして、彼らは知りませんね。もしそれがたまたまプリンストンのような場所かどこかに入ったとしたら…、彼らは私たちが知性のない人々であると思う事でしょう。それで、私はべイル兄弟にこれを手伝ってもらい、同じ考えの線を引いて文法を確かめてもらいました。そして私の文法は間違いなく、彼らにとっては不可解だったと思いますので、べイル兄弟はそれについては本当に上手です、それで彼は…として。
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そしてその点で、私たちの貴重な兄弟はどういう訳だか少し余分な霊感を拾ってしまったに違いありません。彼は自分の本をそれらに関して2、3冊書くつもりだと言ったので、「20世紀の予言者」と呼ばれる本を書きました。もうひとつは、「ラオデキア教会」だと信じていますあるいはそのような感じの物でした。
そしてビリーが今夜私に言いました、それらの何千もが今日到着しました。誰かが彼らをテキサスからもってきました。だから、ここに来る事になるでしょう。そして彼らはそれを発表し、それら何であろうと、私は思います。私は彼らが後援していると思います。よくわかりません。そしてもし彼らがそうであれば、あなた方に配られるでしょう、すごいですね、無料です。そして、楽しんでいただけることを望みます。もしそうなら、べイル兄弟の手を握って、どれほど感謝しているかを彼にしめしてください。私は自分で読んだことは一度もありません。それらを読めば私はそれについて私の考えを変えるかもしれないので、私がすることができれば私が機会が得られれば今週それらを読むことにします。
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さて、水曜日の夜、私たちの集会は正式に明日の夜に始まります。しかし、私はあなた方の中でここにいることを知っていながら家に留まっているだけのことは出来なかったのです。まさにそのような、ご存じのように近い人達の何人かがやってくるのと同じように、あなた方は知っています、そして彼らに会うために車線の最後まで走って行き、そして、私はただ走りおりて、あなた方をジェファーソンビルに歓迎したいのです。それで、この最後の週、私は…ごめんなさい、それは3週間前に、私家に戻りました。アリゾナを通っていくつかの集会に参加しようとしていました。そして、私はリラックスしようと戻って、狩猟旅行に行き、そして、アリゾナ州で記録的なライオンを捕まえました。私は彼を得るために彼に20マイル森林を走らせました。
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しかしその時、少年時代には決して考えなかったことを思ったのです。主は数か月そこにいられる小さな場所を私達にお与えになりこの様な事が起こったのが分かります。そこで小さなが子供達の為の学校があり私は小さな少年でした、思うに今晩ジミーポールがここにいると思います。そして多分彼のお父さんビッグジムもいるはずです。僕らはそこで一緒に学校に行きました。そして覚えているのは小さなちょっと外れた子供として靴、テニスシューズを履いて、つま先がそこから出ていて、一人から紙を他の人からは鉛筆を借りていました。
  以前私は詩をよく書いていました。ここでウッド夫人がこの午後それを私の古いフォードについての詩を読んでくれました。ご存知の様に、それは良い物でした。彼女は「これをフォード氏に送るべきだと」いいました。
  私は、「あまりに多くの真実が入っている」と言いました。前側のがたがたや後輪の滑り、ステアリングギアの中国製のパズル。。など。しかしいつも言っていたのは、私がしなければならなかったのは4つのタイヤを数えてエンジンがスタートするのに十分なだけ振る事。「それで丘を登り始めた時は良かった、すごくゆっくり行かなければならなかったけどそしてこれを言わなければ「出来ると思う、僕には出来る、出来る」そして反対側にスタートして言っていました「出来ると思っていた出来ると思っていただから出来た」それがこの丘を登れた方法でしたまるで「巡礼者の歩み」の様でした。
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こんな感じの小さな詩を書きました。それには…今、ただ思うに、私はまだたったの12歳位でした。そして先日その峡谷を見上げて、ライオンがガラス窓の中で窓の外を見てこのライオンの巣の中に座っているのではないかと思っていたのです、ある小さな詩をの事を考えていました。戻っていって作り上げたのですこんなような感じになりました。
ただ神様がどのようであるかを考えてみてください。あなた方は神のすべての霊感を信じますか?神は歌を書かれたに違いありません。歌の中に神がおられると信じますね?イエスはそう言われました。ダビデにかんして言及されました。「ダビデが詩篇で言ったことがわかりませんか?」皆さんご存知です。「そうではありませんか…?」
悲惨なキリストの十字架刑を見てください。ダビデはそれを詩篇第22章の中で歌いました。 「わが神、わが神、なにゆえ私を捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。彼らは私の手と私の足を刺し貫いた」(詩編22章1節、17節、16節、口語訳[翻訳者]) そしてご存知の様にそれは歌でした。詩篇は歌なのです。
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そしてこの詩の中で、それがどのようにして起こったのかを見てください。借りた紙の1枚の紙に少し年上の子供がいると私が描きました。
私は寂しいです、ああ、とても寂しいです
南西部の遠く離れた
山頂上の
深く影が落ちた場所に
周りに潜んでいるコヨーテがいるのが分かります。
紫色のもやの中で
おおかみがぐるぐる回るのが分かりそこには
ロングホーンが放牧されている場所。
そして峡谷のどこかでライオンが泣いているのがを聞こえる
カタリナ山脈から遠く離れたところで
アリゾナのラインにおいて。
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40年後、あの峡谷の向こうに座って、そのライオンが私にその表情で私を見ています。ああ、神よ!川の向こうのどこかに土地があります、友よ。それはただ…そこにあるべきなのです、もちろん。話すことがありすぎます。これらすべてのことは単なる神話ではありません。彼らは事実なのです。現実です。これらの人々と一緒にいること又今夜ここにいることをとても嬉しく思っています。私は永遠に向こうにあなた方と共に暮らすことを希望しているのです。
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さて、わたしは御言葉を少しでも読まなければ全ての集会を終らせられないと思います…ネビル兄弟、私はここまで歩いてきました。ビリーはあなた方が私に話させてほしいと言っていました。そうでしたか、ネビル兄弟?当たり前に物事を取りすぎていたかも知れませんが、ただそれについてとても気分が良かったのです。それで、今、あなた方は歌や物事があり、ネビル兄弟は歌うつもりでそこに持って、そしてたった30分しか時間がなかったのに、そしてこれらの本当の深いメッセージを正しく得ている時、そして、主が何をされるかを見る事が出来るのです。そして私は信頼します…
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我々は真理があると信じています。それに満足しています。そして、完全な…小麦であると信じています…それからその殻は取り去られています。わかりますね?そして見てみましょう、あの明日の夜にちょっとした前置きを話す可能性があります。つまり、小麦から殻がとれる方法についてですね。しかし小麦は熟すために太陽の下に居なければならないのです。そして、それで私たちがここにいる理由です、友よ。ここで小さな人々の集団が、それがキリストにとってとても熟したものになり、それが彼のテーブルの上のパンになるまで、御子の前にとどまるのです。それは私がしたいことです。
そして今、御言葉に入っていく前にー詩の暗唱をした後に、もう一度祈りましょう。それでは、テキストに入っていきます。
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親愛なるイエス様、いくつかの御言葉に仕えていきますので、今夜又今私たちを助けてください。そして、あなたの恵みと慈しみが私たちと共にあることを祈ります、主よ。私たちの心をやわらかくしてください。すべての殻、いばら、アザミを取り去って、神の祝福された太陽光が御言葉に注がれますように、主よ、又、救われていない人がいなくなるまで、そのような素晴らしい集会となる様にしてください、すべての子供たちが神の国にいるでしょう。そして、聖霊のバプテスマを受けていない人々は、それを受けることになるでしょう、父よ。この時代、私たちが知っているはずのすべての大きな奥義が明らかにされ、自分自身がそれによって振る舞い、行動を起こし、自分を矯正し、我々の教会の体に属するメンバーを御言葉によるしつけに連れて来る方法を知るようになるでしょう。私たちはこの時代に主イエスキリストへ向かう方法を世に生きる方法を知ることになるでしょう。
今夜御言葉を読むにつけ、主よ、不完全な教育のゆえに、いくつかの御言葉を読むことができ、そしてたぶんいくつかの言葉の発音を間違えるかもしれませんが、主なる神、あなただけがそこからの正しい文脈を引き出せる方なのです。それができるのはあなただけです。人間にそれをやる方法はないのです。主よ、それはあなたの手の内にあります。ですから、キリスト教の例として、私たちが住んでいる時間に応じて、私たちがより良いクリスチャンであり、生きるために、あなたの御言葉に隠されていることを毎晩彼らに与えてください。主イエスの名によって求めます。アーメン。
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さて、あなた方の多くに、ご自分の聖書でヨナ書を開いてほしいです。それは…ヨナが背教していることとすべてのことについていつも話しています。いつもヨナ書から取りました。ヨナが背教したとは。それを信じません。信じているのはそれは…時々それを使うだけなのです。「彼はヨナです」というのです。しかし…ヨナをどのように考えていたかを語るのは別の方法で反してきましたどのようにヨナについて考えて来ていたかが…起きたことです。
さて、主の言葉がアミッタイの子ヨナに望んで言った、
「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪が私の前に上がってきたからである」。しかしヨナは主の前を離れてタルシシへ逃れようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシヘ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシヘ行こうと船に乗った。(ヨナ書第1章1-3節 口語訳[翻訳者])
悲しい結末ではありませんか?「主のご臨在から逃げている男」、それが主題です。
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さて、まずこれを考えたいのです。ヨナは…その理由、私が信じる主な理由は、彼がここでこの素晴らしいことをしたのは、ヨナがユダヤ人だったからであり、異邦人の町に叫びに行くように神に求められたのです。異邦人は、「このユダヤ人は私たちに何をしたいののですか?」と考えると思うので、彼は受け取らないだろうと考えましたしかし、あなた方は、別のことを見れば、それはここで見るべき素晴らしいことを与えています。神はユダヤ人の神だけでなく、異邦人の神でもあるということです。神はすべての人の神です。彼はただユダヤ人を選びました。
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ユダヤ人は神に選ばれた人々と呼ばれました。それらは特定の要因で選ばれました。そしてその要因は彼らに律法を与えることでした。そして彼らはそれを守ることができませんでした。そして彼はその人々によって律法を守ることができないことを示しました。そして彼が義の神であったなら…そして律法は義を要求されましたが、律法には人を連れ出すための恵みはありませんでした。律法によって罪科が支払われることはありませんでしたが、律法が制定された場所でその罪科を支払う為の恩赦で払う恵みを受けたのでした。
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そしててここでヨナが呼ばれました、この…聖書の中の小預言者のひとりとして、この町に行くように求められたのでした。そしてここに私たち全員の例が見つけられるのです。我々ひとりひとり、私たちはいつも何かから逃げています。問題から逃げるのです。責任から逃げます。私たちは皆それをしがちなのです。立ち向かうよりも逃げやすい傾向にあります、分かりますね。私たちはただ…逃げているのがわかります。時々、仕事から逃げやすい傾向もあります。我々は働きたくありません。仕事をしなくても生計を立てることができると思う人もいます。しかし、ソロモンは、ここでアリを見て答えを見つけることができると言ったのだと思います。
お分かりのように小さなアリ、すべてのアリが働かずに、遊んでいれば、そのアリもその冬も食べられないのです。だから、誰もが働かなければなりません。
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やらなければならないことがたくさんあります。皆が一定の責任に向き合うことになります。
あなた方は、妻を選び、結婚するかあるいは、夫を選ぶところになったら責任を負わなければなりません。そして、覚えておく必要があります。…多分家を建てます。とても素敵な家です。そして、結婚した女性として、子育ての責任について考えなければならないことを忘れないでください。それらのかなり滑らかな壁の至る所に少し汚れた手形が押される事になるだろうと考えなければなりません。それから子供を教育する責任を得ました。服と食べ物を与える責任を負いました。すべてが責任です。そして責任に直面すると逃げ出したくなるのはよくある事なのです。
そして、結婚にはあらゆることにおいて責任があることが分かります。
我々がこれは言うのは難しいですが、それは真実です。彼らがそれに向き合うとき、牧師は何度も真の神の御言葉に立ち向かうための責任から逃げるのですのです。彼らはその責任から逃げるのですます。神の御言葉の真理が私たち人間と対峙するとき、私たちは…私たちは最後の資産まで振り返り逃げ出してしまうところがあります。
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私はちょうどそこで私の小さな甥と話し会えたのです。彼はカトリック教徒です、そして彼は…そして私が数年前にここでイエス・キリストの御名のもとにそのバプテスマを授けました、そして彼はある小さな女の子と一緒になってカトリック教徒になりました。そして、そこで亡くなる間、私は彼の母親の手を握っていました。彼女は私に言いました、「メルビンの面倒を見てください」最後の言葉でした。そして彼はただ夢を見ています。彼はただできないのです…先週毎日夢を見ています。「私はあなた方の教会に歩み寄りました、ビルおじさん。あなた方はそこで説教をしていました。私は告白を始めようと走り始め、目を覚ますでしょう」と彼は言いました、「私が間違っていました。」
「メルビン、君はそれのために解釈する必要はないのだよ。君の場所は君が属するところにある。」と私は言いましたそうです、その通りです、ね。
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しかし、責任に立ち向かうために、時々そうすることは私たちのかたくなに隠すようになるのです。あなた方の子供に鞭打ちを与える責任がある父親として、彼らは小さな人達であり、そうしたくありません。しかし、父親あるいは母親として、その子を育てる責任に直面しなければなりません、なぜなら聖書は語っています「鞭を控えるとその子をだめにする」そしてそれはまだしっかり事実なのです。世界中にいるすべての心理学者の目には、それでも神の真理として残っています。その様にことが行われていたとしたら、私たちはこれほど多くの未成年者の非行およびその他の事柄、そして今日の世界にある腐敗はなかったでしょう。しかし、家庭にある古い黄金律はずっと前に破られていて、子供たちに何でも望むことをさせているのです。
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しかし、私が言ったように、牧師達へ、彼らは真理と向き合ってきて、そしてそこから立ち去るでしょう。分かりますね、彼らはただ持っています…まさに彼らがそれに向き合いたくない何かがあるように思えます。
多くの時に人々は来て言います、「それはその通りだと分かりますよブラナム兄弟よ。でも、そうすれば、彼らは私を教会から追い出してしまいましたよ。」それはどういうことですか?そうでなければ、彼らはそこからあなた方を追い出すつもりです、それでどこかに追い出されるようになってしまうわけですよ。だから、それに向き合ってみたほうが良いでしょう。そこから逃げる代わりに、「まあ、私はここに行きます。私は戻りません」と言ってみませんか。戻って、まちがいなく、もう少しそれに耳を傾け、聖句を探しなさい。イエスは言われました、「あなた方がたは、聖書の中にある永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」(ヨハネによる福音書第5章-39節 口語訳[翻訳者]) しかし、私たちは人々がそれに向き合うことはない事が分かります。
神のご臨在の中に立ち、神が約束をされたとき、そして神がその約束を守られる義務があるのです、そして神がその約束を守られたとき、人々はその時代のメッセージに対処する責任に立ち向かうことを恐れます。私たちはどこでもそのことがあるのが分かるのです。
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ルター派のあなた方は?どれほどの人がルター派の人々が彼が正義化について彼が話した真理について怖がっていたのでしょうか?、成長してルターの真実に向き合うのを恐れていたのですか?出てきて、イエス・キリストを告白して、ルター派になるには、あなた方に何が、おそらくあなた方ご自身の人生にはコストがかかるのです。
あなた方を見てくださいメソジスト派、あなた方のやり方はすべて聖なるローラーと呼ばれていました。あなた方がそれを知っていると思います。そして彼らは御霊の下に入って行き来します。そして愚か者がいると言いました。いいえ、それはペンテコステ派ではありません。昔からメソジストでした。そして彼らは震え、神の力の下に落ちました。そして自分たちの顔に水を投げかけ、扇風機で扇形に広げました。そして今、あなた方は聖なるローラーの束と考えられていました。しかし、あなた方は…母親と父親はそれを受け入れるか、真実と事実に向き合うか、あるいは却下しなければなりませんでした。
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あなた方賜物の回復を受けたペンテコステ派はどうですか?聖霊のバプテスマで異言で話し、聖霊の賜物が教会に戻って来たのでしょうか?メソジスト派たちがなぜあなた方を追い出したがっていたのでしょう?。しかし、それに向き合わなければなりませんでした。それはしなければならなかったことです。それがイエス・キリストの御名でする水のバプテスマについて出てきて、真理がそこにあるのを見たときの問題はどうですか?あなた方はそれに向き合うか、それについて何かをしなければなりません。責任を持っています。誰もが持っています。そしてこれらのことに向き合う必要があります。分かりますね。
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(29:36)
そして、今この時代において、神の御言葉が約束していることが起こっていることを理解するあたり、それを直面するか、それから離れてしまうかを決める責任を負っているのです。あなた方はただ中立で居続ける事はできません。それについて何かをしなければなりません。何かの動きをしなければならないのです。その教会の扉に入って、入った時と同じ状態では出られません。そこに出入りするたびに、離れるか神に近づくかのどちらかになるのです。
ああ、人々がこれらのことから逃げる事をより簡単に考えています!そして、明日の夜に正式な礼拝を始目る時に、これらについて考えてもらいたいのです。何かに向き合ったときに気づいてもらいたいのです。それについて質問がある場合は、必ず答えがあるはずです。
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たとえば、私が西に向かっていると言ったとして、あなた方は私にこのように指示しました。まあ、まず皆さんお分かりのように、目標に向かって垂直にいきます。私は北西ですにいます。さて、誰かがこの方向を指し示したら、そちらにいきます。再び目標を通過します。南西に行きました。さて、どちらの道が西であるかという質問がある限り、どこかに直接の答えがあるはずです。そして、これらの質問が聖書の真理について私たちと向き合うとき、どこかに正しい答えがあるはずです。そのとおり。それはそこにあるべきです。
そして、何かが提示されているのを見たとき、ただ逃げるのではなく、次のように思います。「ああ、ばかばかしい、そのようなことを信じることができませんでした。それを信じられませんでした。」聖書を取って座って、それに向き合ってみませんか。それを勉強してください。あなた方は今集会に参加しています、見てください。御言葉で自分の目で確かめてください。御言葉で御言葉を確認してください。それが真理を真理に語らせる唯一の方法です。そしてそれは創世記から黙示録までの真理を語らなければならないからです。
キリストは聖書全体の啓示なのです。キリストである彼は、聖書のすべての預言の成就は、キリスト・イエスによって肉体の中で明らかにされて無条件に満たされているのです。
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さて、これらのことを見つけるとき、集会に入ってそれらに直面するとき神の力が動き、実行し、超自然的な働きをし、それが実行されるのを見て、そして聖書の中を見て、それがこの時代に約束されているのを見て、それからそれらのことを見るとき、それを受け入れるか受け入れないかを決める責任に直面します、私たち自身の事を意味しているのです…。
さて、多くの人が共感しています。多くの人がそれが正しいと言いますが、それがそうするわけではありません…それはあなた方が責任を負うものではありません。
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例えば私が若い男性で、結婚する妻を探していると言ったとして、ここにある女性が必要だと思ったすべての資格を満たす少女が居たとしたらどうでしょうか?なぜ、道徳的に彼女は女王であり、そして素敵で、そしてすばらしい人格、本当のクリスチャン、私を良い妻にするために考えることができるすべてのものを持っていたとします。例えどれほど完璧で間違いなく正しい女性だったとしても、私が彼女を受け入れるまでは彼女は私のものではなく、そして彼女が私の妻であることの責任も負いません。
それはメッセージと同じことです。あなた方はそれが正しいか、これか、それとももう一方か、そして「私はそれに共感します。私はそれが真実だと信じます。」と言うかもしれません。しかし、それを受け入れなければならず、そしてそれは一部になり、それの一部になります。あなた方は受け入れて得ることによって…そしてそれはあなた方のものとなるのです。
あなた方が選んだこの特定の女性と結婚するとき、その時1つとなるのです。そしてそれがキリストと共にいる方法なのです。主が現れ、現実にされたのを見るとき、あなた方は主の一部であり、そして主はあなた方の一部です。そして一緒にあなた方はメッセージの一部となるのです。
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おお、これらの時代のヨナのためにどれだけ多くの宗派の船を得ようとして我々はタルシシに下っててきたのか。900とかそのくらい、、簡単な航路を取る船は、それに直面したくありません。ヨナは異邦人のところへ行くことに向き合いたくありませんでした。彼はそこにその残酷なメッセージを伝えたくありませんでした。「あなた方が悔い改めなければ、40日以内に滅びるでしょう。」彼はそれをするのが嫌でした、「彼ら異邦人に、何をするかを言うのは難しい。」と彼は思いました。しかし彼はそれに向き合わなければなりませんでした。見てください、しかし彼は安易な船に乗ってタルシシまで下り、船の船体に入って眠りにつきました。簡単な航路、簡単な方法を取りました。
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それは人々に人気のある方法です。誰もが肩をたたいて、あなたは良い人だと言うのは簡単で、「この方は何某さんですそして間違いなく…」そして世界はあなた方を見ています。人気のある方法に行くの簡単です。しかし、あなた方が違うことをしなければならないとき、真理であることがわかっていることを、信念に立ち向かわなければならないとき、難しい部分、人の心を逆撫でする可能性がある場所があります。
(34;28)ああ、私たちがしばしばその古い歌を歌ってきたように
穏かな海を航海するのはいかに簡単か。
エホバの大きな腕の力を信じる為に。
しかし、ああ、波が立ち始めます、
風が吹き、又波が打ち上がります、
その時あなた方は何をしますか?
ある女性に一度言われたの似ています「馬の背にのり馬車と共に居た日々に教会から彼女と一緒に出ようとしたら馬が逃げ出した。」と「何をしたの?」と言いました。
「そのラインが壊れるまで主を信頼していた」と言いました。そのラインが壊れた後こそが、主を信頼する時です。それらが壊れるまで、あなた方はそのラインに信頼していますね。はい!
39
そして、また、船がタルシシまで下って行くのには、簡単な方法がたくさんあることがわかりました。無責任、それはただ流れに従う、すべてのものが来ていて、誰もがあなた方を好きで、そして皆同意します。誰も反対はません。さて、それがおかしいのでなければ!そのとおり。簡単に倒され!張り倒されるのです!なぜ誰でも…私はあなた方が誰なのか、何のために立ち上がっているのかも…。私は気にしないのですが…。実の所、正しい事への信念の為に立ち上がるならば、きちんとした思考の人々があなた方のことをより良く考えるようになるでしょう。!
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気にしなくてもいいです、ある女性について彼女はとても魅力的ではないかもしれませんそして彼女がどうあれ女性の理論の下に立たせるべきなのですそして貴婦人の様に彼女を立たせるのですもし男性が男として彼の理念があり彼女を連れるのであれば、絶対的にです。我々は誰でお真理を信じ正しいと思う事の為に立ち上がる人を感謝します。
何といい加減なのでしょう!っ協会に加わって彼らの名前を本に書いて何か飛び上がったり叫んだりしていればいいかの様なメロドラマの様なクリスチャンが今日多すぎるのです。クリスチャンだとそういったものを呼んでいるのです。
本当のキリスト教というのは日々、厳しい人生を送り神の為にこの世界に生きる事なのです。継続的に火を燃やし神の愛を心に火をつけて周りの人々をクリスチャンに改宗させる事をするのです。
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責任!しかし、世が進んでいくように行くのは簡単なのです。流れを下るのは簡単です。そこへ出てご自身の船で川を下るのですから。あなた方は自分の声を聞き入れ、流れに逆らって引き上げ始めます。多くの時間を費やさないことにいおり、それは難しくなります、しかし一度だけオールから手を放して、木が下っていくのをどれくらい早く流れていくのかを見るならば。しかし行くところを見てみて下さい!!物事が簡単に流れている時、覚えておいてください、そこに何らかの種類の偉大な問題に向かって行っているのです。滝に向かって進んでいて、そしてその滝を乗り越えるには長い時間はかかりません。世と共に浮かんでいるだけの、簡単な流れに逆らわない生き方そんなものは欲しくないですね。いいえ!しかし、あなた方は責任を受け入れなければなりません。
さて今、それを信じ、それを真理と考えるのです…。
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また神がこの時代にこのメッセージを我々に与えたその責任、、そして
私は年を取りーー分かっている様に私の時は短くなってきています。今まで以上により大きな責任を感じています。我々の行くべき場所に必ず行って人々にイエスキリストが再来するというメッセ―ジを人々に伝える必要があるのです、又彼が神であり彼がまもなく来るという事をです。主の再臨以外の希望はもう世には残されていないという事を。
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主の御使が私と一緒にいたある友人達と一緒にいた時に来られた時のことを振り返っています。…これらの少年たちはここに座っていました、彼らがそこで起こった場所を見つけたと、私は信じています。そして、その日、私たちが丘を登っていたときに、主がウッド兄弟に言われたことをただ覚えていています。そして彼の妻が病気だったので彼はちょっと泣いていました。そして主は言われました、「その岩を拾い上げて空中に投げ入れなさい。」そして言いなさい、「主がそう仰せられる。」とそして、私はそうしました。そして、ウッド兄弟は証人として座っています。
そして、私は言いました、「ウッド兄弟、何かが起こるのが分かるまでそれほどかかる事にはなりません。」そして、翌日そこに立っていました、私たち全員で…そして今夜ここに立っている多くの人々がいました…。
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そこにはある若い説教者がいて、そして彼は…私は気づいたのです。私は前の晩彼に会ったばかりです。彼は私たちのキャンプにいました。私たちと一緒にいるようになりました。そして私に言いました、彼は言いました、「ブラナム兄弟、あなたはこれまでにこのような幻を見たことがありますか?」
私は言いました、「ええ、先生。しかし、私はここから出て、少し離れてちょっと休息します」彼は言いました…「まあ、」私は言いました、「もちろん彼は私にここで物事を見せてくれました」そして私は言いました、「ちょうど7人の御使たちが丘の向こう側に現れたのでした。」
彼は言いました、「はい分かります。」 と言いました「私はカリフォルニア州での集会のスポンサーの一人でした。」
私は言いました、「まあ、確かにそれを知って嬉しいです。」
そしてそこに立っている間、周りを見回し、彼の目を見ているある凄い医者を見て、そして彼が言うことを聞きました。「アレルギーがあるので、目を失うことになるでしょう。そして私は2年間見てきたけれど、あなたはその目を失うことになるでしょう。私は言いました、「目を失う事になるだろうと先日あなたの医者が行ったからと言ってその理由はありますか」
そして彼は言いました、「その通りです。」
そしてそのように周りを見回して、そして、私は彼の母親がつま先の間にぶら下がっている小さな腫瘍が彼女のストッキングの1つを脱がせて、彼女の足を伸ばしたところで見て言いました。足を伸ばして足を支えて見ました。そして言いました、「ブラナム兄弟に会うなら、このために祈るようにお願いしなさい」そして私は言いました、「あなたのお母さんはそのように足を突き出し、つま先のあちこちに小さな腫瘍があると言って、「ブラナム兄弟に祈ってもらいなさい。」と
「ブラナム兄弟、それが真理だ」と彼は言いました。
振り返っていました。私がそうするとき、彼がそこに立っているのを私のように見て、彼の目がちょうど同じくらい明るいのを見ました。この秋に彼に会いました。キャンプの誰よりも良い目をしていました。主は彼を癒され、元気にされました。
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私がそこに立っている間に、主は私に何が起こるのかを示されました。「西海岸が打たれることが決められている裁き」。そして彼は言いました、「あそこに行ってあの炉のそばに行きなさい。」
そして私は手にシャベルを持っていて、そちら側にを歩いていきました…ロイ・ロバートソン兄弟、私たち全員が彼がここにいるのを知っています。私が知っている限り彼は今夜ここにはいません。彼はアリゾナにいます。ここでの評議委員会の会長です。そして私は彼がベテランであることを知っていました。そして何かが起ころうとしていました。あるとても美しいまだ午前10時ごろの朝、そして私たちの10人か12人の男の子たちがそこの周りにみんないました、テントを降ろし、そして豚やものの皮を剥いでいたのです。それで、私は歩き回って、「ロイ、早く隠れなさい。何かが起こるのが決められている!」と言いました。私はそれ以上彼に言うことができませんでした。そしてちょうどそこに着いたとき…。そして天から降りてくる神の旋風がやってきて、丘の上を揺さぶり、その山の中を走り、私の頭の上に5フィートほどのところにすじを切って、岩が落ちるかのようにそれらの木を切り落としました。そしてもうひとつの大きなバプテスマで再び降りて、そして山を越えて降りていき空中に上がっていったのです。、そしてそのように岩を捨てました。それが3回あったのですそして又空中に上がっていきました。それからバンクス兄弟が私のところにやって来て言いました、「あれはあなたが昨日言ったことだ。」
私は言いました。「はい、まさにその通りです!」わかりますか?そしてアラスカが沈んで2日後、ちょうどそのあたりでした。そして西海岸は上下している形で雷鳴と襲撃などあらゆることが起こっています。近いうちに、海の下に滑り落ちることになるのです。その通り!何でしょうか?我々は主の再来の時代に生きているのです。
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私たちが主義主張や物事、そしてこれらのさまざまなことが起きていることを見ている時こそ、これに対する真の答えがある事を知っているのです。この国には、洞窟の様な所に出かける人々がいます。「3月16日に(あなた方は新聞でそのことを読んだ事があるはずです)主の再臨」あなた方はそれがそうではないことをご存知のはずです。イエスは、誰もその時や時間を知らないと言いました。
これらすべてのことや物事が正しい方法で行われているのを見ると、どこかで真の答えを得ることになるのです。真理があるはずなのです。東と西がひとつずつありますが、南東と北西とかひとつかそれとも何かがありますしかしながら、その問題に対する正しい答えは確実にあるはずなのです。
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これから逃げ出しますか?私たちは、神の御子の再来の時に生きていることを人々に伝えなければなりません。私たちは神が全ての時に動いておられある正しい答えを与える準備が出来ている一人の人に与えるのを見たいのです。
それはいつもその形なのです。エデンの園でのアダム以来、人々は責任逃れし神から離れていったのです。アダムがエデンの園にいたとき、彼が選択をする責任に来たとき、彼は神と一緒にいるか彼の妻と行くか、の決断をしなければなりませんでした…責任は彼次第でした。自分の妻が言ったことを取るか、あるいは神が言ったことを取るかを決める必要がありました。そして彼の妻の道を行くことを選んだとき、そしてそれをしたとき、それから彼は元来の状態を失いそして全世界を死への対象とすることになってしまったのです。彼の妻とは反対の新しい光を受け入れる否かについて責任を取る必要がありましたであるとわかった新しい光を受け入れることのどちらかの責任を取る必要がありましたああ、神様!考えてみてください。神は彼らに守るための約8〜10の言葉だけを彼らに与えられました。「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。」(創世記第2章17節 口語訳[翻訳者])、彼らが守らなければならなかったのはそれだけでした。そしてそれだけの神の言葉さえも、彼らは破ってしまいました。だからその後アダムは向き合わなければなりませんでした。「私の妻が言ったようにするか、または神に言われたことをするのか?」それから彼は目を開いて出て行きました。責任を取らなければなりませんでした。それは人類全体を死に追いやることになってしまったのです。
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そしてもう一人のアダムであるキリストが来たのです!他には彼の様な存在はありません!誰かは彼は神ではなかったと言いいます!彼の独特さは彼が神であることを証明しました。彼のような創造物は一切いませんでした。彼自身が世の中に住んだのでした。自然の領域外で生まれました。ハレルヤ!彼自身が肉を造った創造者でした。彼の立った位置に誰が立つことができるでしょうか。誰が彼のように話すことができますか?誰が彼の言ったことを言うことができるのでしょう?誰が彼のしたことをすることが出来るのでしょう?彼の独特さは彼が神であることを証明したのです。墓から死者を呼び戻し、そして空を止めてやりたいことをすることができるのです、預言者も他の誰もそのような事が出来る人はいませんでした。彼は神でした!誰が彼の立場に立つことができるでしょうか?その完全不滅の神が肉となり、私たちのうちに住まわれたのですが、彼は何になり得るのでしょう
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彼と比べられる様な人は誰もいないのです。彼自身が世に住んでいました。誰も彼のように話した人はいません。彼がただ口を開いたとき、何か他の人とは違うものがありました。彼はただ普通の人だと誰かが言いました。私はそれに反対します。彼は神でしたから。それは彼が彼のように語った人は誰もいません。誰も彼のように話すことができませんでした。なぜなら、彼は生きた御言葉そのものであり、肉体となったからです。神の完全な現れなのですから。
私は彼らに預言者が彼らのメッセージを持っていたことを認めます。その時彼らはもっていました。今それらを持っています。しかし、そこに体現された神聖の完全さがありました。彼は独特な人でした、そして彼が持っていたすべての偉大な力で問題に向き合わなければならなかった人でした。そして絶対に世界の王となれたことでしょう。彼はそうなる事でしょう、そして彼は…彼の聖徒たちの中に今いるのです。
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彼はそこに立っていました。貧しい人で、自分の頭を横にする場所すらないにもかかわらず、魚がどこでコインを飲み込んだのかさえわかっていました。どんな人が彼らに大きな水差しの中に在る水をワインに変えらたのに、頭を置く場所がなかった人がいたでしょう?自分の手に与えられた責任に向き合わなければなりませんでした。4日間死んで腐った後に墓から一人の男を生き返らせることができるのはどんな人でしょうか?彼は自分自身を救えなかったのでしょうか?確かに可能だったのですが、もしそうしたのなら、私たちが救われなかったのです。彼はその責任に向き合わなければなりませんでした。そして、アダムの不従順であった御言葉への従順のゆえに…そして彼は近道をとり、タルシシへと向かいました。しかしイエスは自分自身の花嫁にするために異邦人へのニネベへの道を取りました。私は彼がそれをしてくれたことを今晩とても嬉しく思っています。そして、私たちは神に属すものであるという事実に向き合い、世を捨て去るべきです。アーメン!
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すべての人はそれに直面する必要がありまた、神の御前に責任を負っているのです。霊を上げるとすればノアを上げます、モーセ、エリヤ、そしてあらゆる時代層の他のすべての人々は、責任に向き合わなければなりませんでした。そしてそうしなければなりませんでした。しかし、それは彼らの時代に送られた理由なのです…
彼の時代の科学についてノア、それほど科学的でないものに向き合わなければならなかった事を見てください。何故なら、非科学的にならないのかという理由はありませんでした。むしろ科学的ではありませんでした。もちろん、彼らは空から雨が降るだろうと言いました。天から一滴も降ったことがない時代でした。さて、今、彼はそれに向き合わなければならず、神は雨を降らすつもりだと言ったのでした。
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そして…それで、働きのない信仰は死んでいます。もし、「私はそれを信じます!」と言って…メッセージのようになにもしないとしたら。あなた方が、「私はそれを信じます!」といって行動を起こさないでならばどうなるでしょうね?ノアは彼の金づちを持って仕事に行き、話していた事を証しするために箱舟を建てたのでした。それは私たちもしなければならないことなのです。仕事に行き、働きによって信仰を証明しなければなりません。私たちの働きが信仰を証明するのです。
モーセはそうする必要があり、エリヤも同様でした。彼の時代のすべての預言者は立ち上がってこれらの責任に向き合わなければなりませんでした。しかし、彼らの多くはヨナのようにしませんでした。かれはにげだしましたし。彼らは責任ある行動をしませんでした。
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注目してください「敵対して叫ぶのです。」ああ、そこにはそれがあります。それが問題なのです。それに対して叫ぶ!チェック部分があります。彼はそれらの人々に話さなければならないことになりました、「言え、私はあなた方と一緒に参加するようになりました。ご存知の様に知っている、私は皆一緒にこれを齎すかあるいは敵対して叫ぶことになると信じています。何かに敵対して叫ばなければならない時、、、
さて、あなた方全員一緒に実現できると信じていて、あれ、これ、いろいろします。しかしそれに対して叫びました!あなた方が何かに対して叫ぶ必要があるとき…今、彼はそこにあったすべてに対して叫ぶ必要がありました。街に敵対して叫ぶ、彼らの仕事に敵対して叫ぶ、教会に敵対して叫ぶ、預言者に敵対して叫ぶ、牧師に敵対して叫ぶ、司祭たちに敵対して叫ぶのです。それに対して泣く、全ての事柄に敵対して叫ぶのです。
ノアは彼の時代に敵対して叫びました。確かに彼は自分の時代の教会にたいしてたちあがっていました。モーセも彼の時代、人々、祭司などに敵対して叫びました。彼は荒野を通してずっと叫んでいました。あらゆる分岐点で、彼は叫び、人々に叫び続けました。彼はその時代に対して叫んだのでエリヤは彼の時代にはあまり人気がありませんでした。確かにそうでした。
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バプテスマのヨハネは、彼の時代では非常に不人気でした。彼は時代に反して叫んでいました。彼は王に行ったのでした、その地の潜在的権力者である…彼は兄の妻と結婚しました。ある朝、結婚と離婚について説教しなければなりませんでした。それで、彼はそれに反して叫びました。彼は言いました、「あなたが彼女と結婚する事は合法ではありません!」そのことは後で彼を斬首刑で切られる犠牲となりました。しかし彼は叫んだのでした、そして責任のある仕事に立ちました。タルシシに船で行ったり言ったりはしませんでした、「さて、あなた方に同意します、ヘロデ。それは大丈夫です。彼女をいい女だと思う限り、彼女はあなたのいい妻になるでしょう。ああ、慈悲深い!それらのお皿洗い!分かりますか?ほんのちょっとしたことだ…それで、汚れた皿を洗う事以外何もありません。
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しかし、ヨハネはそうではなかったことに注意してください。それに真っ向から向き合いました。彼は言いました、「あなたが彼女を妻として持つことは合法ではありません!」はい、そうです、そして彼はそれに反対して立ち上がりました。
彼らは決して逃げませんでした。ヨハネもにげませんでした。彼らは立ち上がって事実に向き合いました。モーセはヨナのように1度逃げようとしましたが、神は彼を連れ戻しました。彼らの多くはそれから逃げようとしました。彼らは始めます…でも見てください、神があなた方を呼び出して、神がそのメッセージの中にあると確信しているなら、あなた方を元に戻すものは何もないでしょう。ヨナも決してもどりませんでした。いいえそうはしませんでした!
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老いたアモスは叫びながら言いました、「獅子は叫ぶとき誰が恐れないでいられようか?そして神は語られる時誰が預言しないでいられようか?」あなた方が神が語られている事が分かる時、特定なことが起こると言われました、…
獅子が叫ぶと皆こわがります。そうですね!もしあなた方がジャングルでこれまでに獅子の叫ぶ声を聴いたことがあるならば…、あなたはこれらのここの檻の周りで鳴いているのを聞いて居ました、彼らは獅子を飼いならすのですしかしあなた方は本物の野生の鳴き声を一度は聞くべきです。岩が500ヤード離れた丘から落ちるでしょう。そのげっぷがそれらの肺から出てくる場所は分かりません…彼は頭を下げ、その毛皮が上がります。私は何も聞いたことがありません…。彼の肺のその大きな轟音が出るときに大砲が発射するような感じです。怖くない人がいるのでしょうか?あなたがライオンに殺されたことがあるなら、それは無痛だと言います。彼はあなた方に近づく前にあなた方を怖がらせます。あなた方はそれに気付きません。彼はあの猛烈な叫び声であなた方を怖がらせ、そしてここで彼は一瞬であなたの上に上がるのです。
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彼は言いました、「ライオンが叫び声をあげました。恐れない事があり得るでしょうか?そして神は語られるとき。誰が預言しないでいられるでしょうか?」神が何かをしているのを見ると…「私は預言者ではないかもしれませんが…」とヨナは言いました…「私は預言者でも預言者の子でもないかもしれませんが、神が語られたときに預言しないでいられるでしょうか?」
私は預言者ではないかもしれません、私はこれではないかもしれません、それ、またはそれ以外かもしれません。私は神が何かをして御言葉の中で、そして神はそれを約束し、誰が彼らの平安を保ち続けることができるでしょうか?もちろん、彼はそれを行ったのです。
私たちは信条とここでの交わりのすべてを隠してタルシシまで隠すこともできないのです。私たちは彼らと交わりをしたくありません。
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しかし、アダムのように、多くの人が同じことをしているのです。彼らは間違っていることを知っているのにも関わらず、何らかの方法で代用品を作って、逃げ道を見つけて神に対して代用品を作るように試みます。真理に向き合って、彼の妻と続けて、神が彼にしてはならないと言われたことを行ったのでした。とにかく彼はすぐにおこなったのでした。それから彼は自分自身が裸であることを知り、ふたりともエデンの園にいました。彼らの目が開かれました。その時何が正しく、何が間違いかを知らされました。それから彼は自分自身でそれを覆うようなものの代替品を見つけようとしました。さて、それはまさに私たちが今日するやり方なのです。言い訳は、「まあ、あなたに説明すると、それがここにあった、あるいは、もし、もし、もし。」それだけです…見てください。しかし、あなた方はそれに向き合わなければなりません。それは正しいのか間違っているのか。そしてそれが正しいのなら、それを守りましょう。それが間違っているならば、それから離れなさい。それで全部です。何が正しいのか見つけてください。もう待つ必要はありません。それでは、真理と正しいことを見つけ出し、それにとどまりましょう。それが真理だということを私たちは知っているからです。
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さて、今日、人々がそのようであることを知っています…そのすべての誠実さが教会から出て行ったように見えるのです。
この教会に来ている貴重な姉妹の家に住んでいます。彼女はおそらく今夜ここに座っています。そして彼女は人々に貸し出したり、まさにその場所を私たちに持たせることについてもとても優しかったです。そして、それで、私は彼女の名前を呼びますが、彼女は私にそうさせたくないかもしれません。そして、私たちにとても親切にしてくれています、さて、私たちは確かに彼女を公開したくないでしょう。しかし、彼女はとても、大切な女性なのでした。そして家の中にはテレビが片側にありました。私たちは小さな二世帯住宅を得ました。私は大家族頑張ってありました、たくさんの若者を得て、そしてあなた方がご存じのように…そして彼らはベッドと沢山それらを持っていなければなりませんでした。そして、すべてが上に積み重なっていたので、出入りするにはこれを通り抜けなければなりませんでした。
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それからそこにテレビを持っていました。そして、このテレビでは、これらの子供たちが日曜日の朝にある種の賛美歌を見に来ていました。そして、ご存知の様に、あなた方をもしキリスト教と呼ばれるものを見せるのに本物のキリスト教がどこにもなければ恥ずかしい物となるでしょう。なぜなら、それはすべての誠意がそれから取り除かれているように思われます。なぜでしょう、彼らはそうではないようです…なぜでしょうか、彼らがそこに立って拳を描き、そしてそこでお互いに戦って、賛美歌とそのようなすべてを歌い、ほとんど船員ではない冗談を引っ張りだすことを試してみるやり方でただ酷いのです、そしていろいろなことを言って、そして子供と続けていくのです。あなた方は、キリスト教の神聖さがその場所を失うように見えたことが分かっているのです。
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さて、私は教会に行き、牧師がそこに上がるのを見て、不思議な事になるだろうと発表しました。これらの水着を着たすべての女性たちは、すべてそこにいました。彼ら競泳会を開き、これらの女性は、泳ぐのです。そして彼らはある種のパーティーを開くつもりで、そしてたくさんのチキンを揚げて遊ぶつもりなのです、そしてこれらすべてのことはそのようなものです。私にとって、それらのことがキリスト教から本物の誠実さを取り除くことになります。
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ここに来るにあたって分かったことがあります…この寒い国では、熱い国で見つけるよりも、私たちの姉妹がショーツをはいていることがです。それは事実です。本当に暑いところでショーツをはいている人はそれほど多くありません。しかし、ここは寒いところで、ショーツを履いているのです。分かりますか、彼らはそれが悪魔にやらされている事に気づいていないのです。さて、それが快適であるならば、それがあなた方自身を助けることであるならば、それは違います。男になりなさい。男が履いていると病的に見えると思いますが、…あなた方は男に何の注意も払わないでしょう。しかし…、あなた方女性は、彼女の体は神聖ですから、それをそのように保たなければなりません。そして、年をとるにあたって、、、
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今日人々のを見る事で理解可能でしょう。… ふたつの霊があります。そしてそのうちのひとつが聖霊です。もうひとつは邪悪な霊です。そして
人はその両方によって支配されているのです両方とも宗教的なのです。さて、それは奇妙な部分です。両方とも宗教的なところです。ちょうど
エサウとヤコブが宗教的であったように。カインとアベルのように、どちらも宗教的でした。ユダとイエスのように、どちらも宗教的でした。そして私たちは今日も同様なのです、双方とも宗教的です。わかりますね。同じ霊なのです。人々は死ぬが、霊は死にません。それはすぐ続くのです。どちらも宗教的です。一人は、彼らが生き、敬虔で誠実に歩むべきであるような人生を生きる聖霊と共にあります。彼らはあなた方をお金の所為で倒すことはないでしょう。そしてあなた方を助けるために、そうすることができるなら、誠実にすべての事をして助けたいと正直に思っているのです。そして他の人たちは、それの逆であることが分かります。それでも、どちらとも宗教的な霊です。それらふたつ、ひとつは聖霊でもう片方は邪悪な霊です。そしてもしあなた方が気付くなら、たとえ宗教を主張していても、彼らはあなた方をからかってあなたをホーリーローラーなどと呼ぶでしょう。彼らはできることなら何でもし、神の御言葉を、あたかも書かれたことのないかのように無視します。分かりますね。
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この様にいえるでしょう「さて、ここを見てください、もしバプテスマをして…私が聖霊を持っていれば。」そしてあなたの手にその葉巻を持ってそこに立って、喫煙しますか?「はい、私は聖霊を持っています。ちょっとしたアルコールや酒を飲むのは間違っているとは思いません。そうは思いません…」わかりますか?そして「私は思わない」というのです?気づきますよね?しかし、神は異なった考えを持たれていて、あなた方は彼の御言葉によると、彼らはそれを吐き出すのと同じくらい簡単です。その通りなのです。
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ダビデが自分の王位から破門されていたとき、その頃から這い出し、この古くて不自由な人と同じくらい多かったのです。彼はオリーブ山に登って出て行き、振り返って泣いていました。そして、この小さな年老いた人はそこを這い出して彼から分かれたのです。その警備は言いました、「私はその犬の頭を彼にとどまらせ、彼は私の王から分かれますか?」
ダビデは言いました、「彼を一人にしておきなさい!」なるほど、彼らは彼に唾を吐いたのです。約800年後、彼らは彼の息子イエス・キリストにも唾を吐き出したのです。そして今日でさえ、たとえあったこともないかのように、彼は再び主を吐き出します。それはなぜです?彼らはタルシシへの船に乗っています。まさにその通りです。
神のゆえに。。。。悪に対して叫ぶこと、罪に対して叫ぶこと、間違ったことに対して叫ぶ事が必要なのです。さあ、覚えておいてください、それはそうなるでしょう…
(言ってください、ご存じのように、この時間では、ご存知の様に、2時間の違いです。ツーソンでは7:00からわずか10分後です。私の場所でここから出かけるのですが。大丈夫です。)
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さて、覚えておいてください、私たちはそれに答えなければならなくなるでしょう。覚えておいてください、キリストに唾を吐く人々はそれに答えました。ダビデが逃亡から帰ってきたとき、逃亡者だったとき、そして戻ってきたときに、この人が彼の顔に落ちて慈悲のために叫んだことを。彼はダビデが出かけていくにあたって唾を吐いたのですが、しかし、彼が戻ったとき涙で彼の足を浸す準備がほぼできていました。そしていつかイエスを突き刺した人はそれがお分かりになるでしょう、そして今日彼を突き刺している人はそれも見るでしょう。いつかそれは戻ってきます。黙示録第22章を忘れないでください、彼は私たちに、書いたすべての言葉、つまりすべての御言葉を守ることを求めています。
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さて、神のご臨在がここにあることを知っています。それは証しされています。我々にはあるのです。私たちは次の週、それが私たちの間で証しされ続けるであろうと、病人は癒され、素晴らしいことが行われるであろうと信じています受けが良い考えは望んでいません。真理が欲しいだけなのです。そして、私たちは、神が言われたことが真理であること以外に何にも向き合いたくありません。しかし、あなた方の罪がいつもあなた方を見いだすことを確実にしてください。それがここにない場合は、裁きにあなた方が導かれるのです。だから、それはどこかであなた方を得ることになるでしょう。
しかし、あなた方が真のクリスチャンであり、本当にヨナのように呼ばれているのであれば、神が既にその費用を払っているのです。とにかく、その船から降りて何とかしてタルシシに向かってください。神はあなた方をあらかじめ定めました。はいそうです。もしあなた方が真実ならば、神の子と呼ばれ、キリストに来るのです。彼の成就に来なさい。あなた方への道はどこに向けて支払われていたのでしょう?それはタルシシではなくニネベに対してです。あなた方は。あなた方の船があるのです…その道に進む唯一の方法はそれに乗り込むことです。そして、あなた方が神のようであるなら…あなた方には必ず平安があるでしょう。
68
しばらく前の私の小さな甥のようです。10年ほど経った今、彼は中心から役職へと転向しました。ある朝、彼はこの教会、このカトリック教会に行き、そしてこの教会を、ある神父がこの周辺であちこちこの辺りでそのことを語っていました。何だったのでしょうか、わかりますか?そして彼がまだ飢え渇いているのがわかります。私は言いました、「君の場所はそこの祭壇にあるよ、息子よ。」わかりますね、そこから抜け出す方法はありません。神があなた方を世話されなくなる時、ただ諦めて先へ進むことになるかもしれません、それがすべてです。
69
神が船の中におられたこと、神は嵐の中におられ、神が魚の中におられたことを忘れないでください。彼は至る所に、神はおられました、わかりますね。神はそこにおられるのです!そして神はただあなた方を追い続けられることになります。それで、なぜ私たちはもう待つのですか?この復活を始めましょう。そのとおり!あなた方は何を待っていますか?私たちは主の到来が近づいていると信じていて、そして彼は花嫁を持つつもりで、そしてそれは準備ができています。そして、私たちはどのタルシシへの船も必要としません。私たちはニネベに行きます。私たちは栄光に向かっています。アーメン!そのとおりです。神が祝福するところに向かっていて、そしてそれこそがしたいことです。
70
我々の心と共に(手の中はあまりなく)神のご臨在の中に置かれるのです、神のみ前で我々の心は神が栄光の光と彼の素晴らしさに入る事によって行くのですそして実に成熟していくもの他の人々にイエスキリストが生きている事を見せたいのです。何てこと!我々はそれを信じたいのです。
71
ヨナが行ったところ、神は船の中におり、神は嵐の中におり、神は魚の中におられたのを忘れないで下さい。神の完全なご意志が成し遂げられるまでヨナとまさに一緒におられ続けました。そのとおりです!そして、もし彼があなた方の後を追っているのなら、あなた方はあちこちを避けるかもしれませんが、戻ってきて最初に彼がしたことをするまで惨めな状態となるでしょう。神のご臨在から逃げてはいけません。それに向き合ってください。あなた方はそれが真理だと信じています。それからそれが…真理なら、生きるか死ぬかにかけて他に何もしないだけにふさわしい物なのです。そして、それが真理であると彼があなた方に示されたのであれば、どこからも逃げることはできないのです。彼はまさに同じ場所にいるでしょう。あなた方はそれが出来ません。
72
神が送られた預言者によって、彼はそこに降りてそのメッセージによって召命に定めました。さて、彼は別の預言者を送ることができたように見えました、しかし彼はヨナを定めました。そしてエリヤさえもしなかったでしょう、エレミヤはしなかったでしょう、モーセもしなかったでしょう。ヨナはニネベに行かなければならなかったのです。それがすべき全てなのです。神は彼に行くように命令されたのです、そして、彼がそこに行くと言うと、「ヨナ、ニネベに行きなさい」とヨナ以外にだれもそれをすることはできません。そして、神があなた方に何かを言われた時、それをしなければなりません!他に誰もいない…分かってください、それに向き合い、それをやる必要があるのです。
私たちは、神が動かれている時代に生きていると信じています。私たちは今、それらの間に生きていると信じています。私は今夜、会衆に説教しているのはただ成熟しているのを待ち心に置きたいのです。それを本当に全身全霊で信じています。同じように今そうだと言いたいのです。
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さて、私たちはヨハネによる福音書第14章12節が成就すべき時が来たと信じています。マラキ書第4章が成就する必要があると信じています。ルカによる福音書第17章30節が成就されなければならないと信じています。主が言われたこれらの予言はすべてこの日に過ぎ去ると信じていて、それらが成就されなければならないと信じます。そしてそれらが今成就されるのを見ていると信じています。その通りです。
逃げることを止めなさい。神のご臨在から抜け出さないでください。ただ神のご臨在に上がる。そのとおり。テキサス州とルイジアナ州から、そして至るところでライセンスを見てきて、私はそれがあなた方のやりたいことであることを知っています。それは私たちがここにいるということで、神のご臨在から逃げるのではなく、神のご臨在に走ることです。さあ、さあ、戻って、降りてください。もしあなた方がヨナであるなら、どの道を行くのか、どうすればいいのか疑問に思っていたら、今夜私たちと一緒に船に乗ってください。私たちは、タルシシに叫びに降りて行きます…ニネベで叫ぶために。彼らが望むなら、私たちはそのタルシシ船が沈むのを許しています。私たちには神の前に義務を負っています。それは私たちが責任を負うというメッセージです。
74
それで、今週、あなた方に知らせるための今夜のちょっとした序章を致します、私が叫んでいるとき、メッセージについて完璧に責任があります、兄弟。ここに座っているあなた方牧師達、私はあなた方の気持ちを傷つけるためにここにいるわけではないです。そして、あなた方女性と男性でこの結婚と離婚の問題があって来ている人達も、このメッセージについて神だけに責任があるということをあなた方に今夜忘れて欲しくないです。今日語ったこのすべてをあなた方に届ける為だったことを私は忘れないでほしいです。そしてまた、私にはあなた方に真理を語る責任があります。そして、神が私に真理が何であるかを知らせてくださる限り、あなた方に真理以外何も言いません。私が真理を知るまで、それについては何も言いません。そのことについて語る事は無いでしょう。しかし、私は神が私に結婚と離婚についての真理を示している事を信じていて、そして私は彼がそれを引き出させてくれると信じています。
75
そして今週私が語ろうとしている他のメッセージは、「メルキセデクとは誰ですか?」、「神は彼の名前を置くことを選んだのはどこでしたか?」、そしてそのようなもののうちのいくつか、それが来るメッセージです。そして、「産みの苦しみ」と、その順番に並んでいるいくつかのこと、そして妻を選ぶ男性がサポートして、そしてそれらのうちのいくつかのメッセージについて、今週紹介したいと思います。しかし、私はその為の会衆が欲しいだけです…ここに牧師がいるならば…私はここにいません、兄弟よ…私はあなた方にしたくありません…
あなた方の教会員の何人かはあなた方の教会に戻って言います、「ブランハムはこうこう言っていた。」全能の神から私に与えられたメッセージを語る義務があります。今夜私がここに立っている時、そして神はそれが本当であることを知っています。この川の真下に…おそらくここに座っている人々がいて、主の御使が降りてきたとき、私に神がなされたことを教えてくれました、1933年にこのスプリングストリートでここでその様なことがありました。もしあなた方がここにおいて見知らぬ人であれば、スプリングストリートのコーナーに行ってみて下さい。それが起こったところはそこなのです。それは1933年に行ったのです。それは約32年前の事でした。何とそれは32年前のことでした。そして、どのようにして彼はそれを完全に下げたか、すべて…そして私たちはメッセージを持って出かけました。病人が、盲人が、そして不自由な者が、怠け者、すべてが癒されるのを見ました。そして、死者でさえも確認され、死から蘇ったことを私たちは知っています。人々が死に、再び蘇ったのです、これらすべてのことがありました。
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もしメッセージが出るなら、しるしや奇跡があります、そしてあなた方はまだ知っている同じ古い学校の考え方を見ていますが、それは神から来たものではありません。神はただする必要はありません…神はあなた方の注意を何かに引き付けようとしています!
そして、イエスがそこに降りてこられ時、彼は病人を癒し始め、すばらしい働きと事をし始めました。彼はいつも…イエスがそれ等の事をしました。そしてモーセとイエスはそれを行い、そして残りはそれを行いました。そして彼がここに来た時、彼がしました。彼は今日も同じことをしています。彼がそのような復活のような集会を送り、地上で集会を始めます、そしてこれらのすばらしいあかしと驚くべきこと共に動き始めた時、そして同じ古い教育の学校に戻っていくのを見ると、どこかにいつも何か間違いがあります。何か新しいことが起きています。
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イエスが現れたとき、「彼はすばらしいラビです」と。彼は病人を癒していたとき、どんな説教壇に行って説教することもできました。彼らはあそこに彼がいる事が好きだったのです。しかし、ある日、イエスが座っていた時に言いました、「私と私の父は一人なのです」兄弟よ、彼はその後、人気がなくなりました。彼は言いました、「人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終わりの日によみがえらせるであろう。」(ヨハネによる福音書第6章53-54節 口語訳[翻訳者]) それ以来彼はそれほど人気がなくなりました。
そして彼らは言いました「この男は吸血鬼だ」「この男はベルゼバブだ」「それは彼らに物事をやらせる方法だ。彼は運命を語ることができる。彼らの心を見通して、彼らの考えを認識するのだ。彼は占い師だ。」しかし、彼は何だったのですか?彼はその時代の間に明らかにされた神の御言葉であり、そして義務を負わされていました。彼は言いました、「私の父にとって喜ばしいことをいつも行う。」神は私たちが同じことをするのを助け、それは父に喜ばれます。
そして私はあなた方皆が悟ってくれる事を願っています。あなた方がこれらのメッセージやことについて私に同意しないならば、それを覚えているでしょう…少なくともこの事柄について、私に責任はあり、そして私はタルシシには行きません。私はニネベへ向かう途中です。私は叫ぶ必要があるのです。主があなた方全員を祝福されます。
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今ちょっとだけ頭を下げましょう。いまほぼ9時半です。あなた方を留めたくはありませんが、もし私が今夜できるなら、私はこれを見つけたいと思っています。あなた方がキリストの中にいるべきである場所が間違いのない場所でないという方々がここにおられますが、あなた方はその場所に居たい、そうなりたいと願うなら手を挙げて、「ブラナム兄弟、私のために祈ってください」と言ってください。神の祝福がありますように。イエスは手を見られます。「ブラナム兄弟、神に近づくためにここにいるのです。」もしあなた方の頭が上げられるなら…私の手も上がるでしょう。それが私がここにいる理由なのです。私は、あなた方と同じように飢えています。
しかし、ああ、先日、最も壮大なことのうちのひとつが起こりました、そして私は今何をすべきか知っています。そして、私は神があなた方にその明確な悟りを与えてくれることを祈ります。それはそこにあるのです。もしあなた方の心に質問があるならば、どこかに答えがあるはずです。私の祈りは。神がこの間に質問に答えて下さることを皆さんにお見せする事です。
あなた方が病気なら、神はあなた方を癒してくださるでしょう。私たちはほぼ毎晩、癒しの礼拝を開き、そして病人のために祈るつもりです。私たちはあなた方を助けるために私たちができることなら何でもします。そして、あなた方は私たちを助けるためにあなた方ができることすべてをします。そして私たちは共に働き、神に信頼することで素晴らしい集会を与えてくれるでしょう。
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さて父なる神様 これらの数少ない選ばれた言葉…、しかしそれらは今あなたの手の中に在ります、主よ、語られた言葉であり。わたしはそれを見るはずなのです。それらの御言葉が決して死ななかったように…。それらは記録として世界中を回っています。いつの日か私はまたそれに立ち向かう必要がある日が来るでしょう。そのことを理解しています。そして私は深い誠実さを持ってこのことを申し上げています。
祈ります、親愛なる神よ、あなたの子供達のこれらの各一人一人の為に。そして、おお、神よ、今週が終わる前に私が信じることは、彼らは今夜彼らの心の中でとても素晴らしい質問が解決されることを理解する事を信頼しています。お受けくださいませ、主よ。
ここには、父よ、まだあなたが救い主であることを知らない人、あるいは聖霊で満たされたことがない人がいます。今晩がその夜になりますように。
主よ、私はだれも聖霊で満たすことはできませんし、だれも救うこともできません。私が出来るのはあなたがおっしゃられた事だけです。「義に飢え乾いておられる方は幸いである、満たされるからである」とそして祈ります、神よ、あなたが彼らの心にそのような飢え乾きを生み出すように。主よ、彼らを飢え続けさせなければなりません。数百マイルものの道のりをアイスバーンやあらゆること、雨の多い山々、そして砂漠を走って、小さな古い場所のこの角にたどり着いて座ることができます。それではもう一度考えてみましょう、あなたは死体がワシであるならどこにあっても集まります。私たちを養ってください、主よ、あなたの神聖なマナで私たちを養ってください。私達の魂に本当に必要なものをお与えください。私たちはあなたに渇望しています、お父様。私達は本当にあなたの御手の内におります。
そして先日山の上に降りてきた偉大な聖霊にお聞かせいただき、彼が彼の良心と憐れみを理解しながら、ここの心のすべてを麗わすことを祈ります。お父様、私たちが必要としているのは理解することです。もし何をしているのかわからないのなら、どのようにそれを行うのか知っているのでしょうか?しかし、私たちは悟る必要があります。ダニエルが言ったように、彼は預言者エレミヤの書かれた者によって理解し又お父様、聖霊によって書かれたもので理解をもち、この時代に私たちに表してくださるでしょう。お与えください、主よ、私たちがあなたに求めている願いを与えて下さい。愛情込めて私たちはこれを、お父様、あなた方の栄光のためをイエスキリストの御名によって求めます。
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さて、私たちの頭を垂れて、姉妹は共感しているように、「彼は私に恵みと栄光をお与えになり、全ての道で私と共にに行ってください」と今ただ静かに天のお父様に祈り求め、必要とする物を今夜答えて下さると信じています…
親愛なる兄弟、姉妹、彼はあなたの凄く近くにおられます。あなたは私を他のことで信じてくれたのですからこのことでも私を信じてください。彼はあなた方が必要としているものは何でも与えるためにここにおられるのです。
ああ、ここ数週間の間、あなた方に会うのに、私はとても飢え乾いていて、ホームシックでした。それが「ビリー、家に帰ろう。」と言った理由です。
メデは言いました、「その寒い国に戻って何をしたいのですか、ビル?あなたはいつも喉痛みやそういったすべてを持って帰ってきます。あなたはいつも…そして頭風邪や、しゃがれ声で、あなたはほとんど話すことさえできません。
私は言いました、「まあ、わかりません。」彼女に言いました(私の友人のチャーリー・コックスがそこに座っているのを見ました)私は言いました、「私は『あの小さなリス』と向こうの木のことを言っているのを聞いて、そのことを聞きたくてとても飢えていたのです」ただあなたの周りにいたいのです。
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私のバンクス兄弟が本当に病気になったことを知っています。そしてここしばらく前にここで彼の幻を見ました。そして仰向けに寝ていて、そして彼が最近私達の行くところにかなり近づいていることを知っています。私は異なる人々を見ています…
先日の夜、クリスチャン・ビジネスマンの国際集会に行きました。デモスの父、オールドポップ・シャカリアンは、以前はそこに座って、私が来るまで見ているだけでした。それから彼は微笑み、その小さな波、私に向かって波を送りました。彼はそこにいませんでした。彼は行ってしまいました。それから私はそのような家族に「このように主は言われる」と来なければならず、彼らの娘もまた死にそうです、フローレンス。私は彼女を幻の中で見て、彼女が行ったのを見ました。そして私は言いました、「祈って、ただ祈って。わかっているでしょ、彼の家を整えるために、王に言いに行くように言われた預言者がいました。そして彼は祈り、そして彼は15年も長く救われました。」私は言いました、「祈ってください、しかし…」
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分かってください…そして私はまた戻ってきて、別の日にここのレストランで食事するのに向こう側に座りました。ある男性が私のところへ歩いてきて、「ビリー・ブラハムですよね?」と言いました。
私は言いました、「はい。」彼はおそらく私のことを知りませんでした、私の頭の上のこの禿げた部分の上に、この会議中にのどが痛くならないようにするために、この小さな髪の一部を着けていたためです。彼は私のところまで歩きました。彼は言いました、「私はあなたのことを知っていると思ってました、ビリー。」
私は言いました、「はい。」私は言いました、「あなたはどなたですか?」
彼は言いました、「私はジョン・ウォーマンだ」
私は言いました、「ディップは?」
彼は言いました、「ビリー、彼は死んだよ。」
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私は裁判所を通って降りてきて、税金を払うためにやってきました。裁判所を通って降りると、女性が私に憤慨し、言いました、「あなたはジョン(あるいは他の名前)が死んだことを知っていましたか?」あるいはそのような名前。それはジョン、エドあるいは何かかもしれません。そして私はその女性を知らなかったので言いました。私は恥ずかしく感じました。そして見つけに来て…彼女が誰なのかわかりませんでした。彼女は言いました、「あなたは川がここの堤防を越え、チェスナットストリートの上に洗い流された家が真っ暗だった時に命をリスクにして助けた女性と数人の子供達の事を覚えていますか?」
私は言いました、「あなたが彼女ですか?」
彼女は言いました、「私がその彼女です。」彼女は赤ちゃんのために叫び始めました。私の物語はご存知ですよね。彼女は言いました、「私が赤ちゃんと呼んだ子彼女は結婚しており、家族をもうけました。」分かりますね。ここで彼女は年老いて白髪で、そしてここで私もそうなっていますです。その通りに私たちのカードはひとつずつ棚から出していきます。
そして私たちは集会を開いて、そして私はこの一つを見逃し、また他のも出られませんでした最近は皆出られない日があるでしょう、しかし兄弟、姉妹、集まる場所があります。今、私たちが正しいことを確かめましょう。私たちの神に対する理解などを無駄にしないでください。信じましょう。
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お父様、彼らはあなた方の手の内にあります。私はあなたの手の中にいます、主よ。明日の夜に始まる集会の前に、私たちは今ここに献身的にいるだけです。あなたは私たちを助けて下さいますか、主よ?私たちの会話があなたに絶えずあるように、私たちの心と心があなたにとどまっていますように。あなたは私たちを完璧な平安に保つと言われました。それは聖書にも書かれています。「自分の理解に頼って手はならない」おお、神様、我々は自分の理解を望んでいません。悟りを望んでいます。神よ、それらを私たちにお与えください、おお、神よ、そうすれば、この一群の人々がひとつの心とひとつの調和になる様に、私たちの魂の中に復活がもたらされるかもしれません。それをお与えください、お父様。私たちがイエス・キリストの御名によって祈りますので、これらのことをお与えください。
わたしの携挙される魂が見つかるように
荒れ狂う川の向こうに安静を見つけられますように。
十字架の中で、十字架の中で、
私の栄光になりなさい(手を挙げましょう)。
わたしの携挙される魂が見つかるように
私の荒れ狂う川の向こうに安静を見つけるまで。
イエス様、私を十字架の近くに置いてください。
貴重な泉があります。
自由に(はい、主よ、自由に)すべて、
癒しの流れ、
カルバリーの山からの流れ
十字架の中で、十字架の中で、
私の栄光を常に
わたしの携挙される魂が見つかるように
私の荒れ狂う川の向こうに安静を見つけるまで。
85
[ブラナム兄弟がハミングを始めます。] おお、神よ!もしあなた方が来たいのであれば、祭壇のまわりで立ち上がってひざまずきたいと思っている人がいるならば、いらしてください「私がいるべき場所ではない、主よ、私は再告白したいならば。今夜そうしたいのです、主よ、」 あなたが来られることを歓迎いたします。私たちはあなた方と一緒に祈るためにここにいます。
十字架で、十字架で、
ああ、和足に栄光をいつまでも
わたしの携挙される魂が見つかるように
荒れ狂う川の向こうに安静を見つけられますように。
イエス様、私を十字架の近くに置いてください。
貴重な泉があります。
自由に(はい、主よ、自由に)すべて、
癒しの流れ、
カルバリーの山からの流れ
十字架で、十字架で、
私の栄光を常に
わたしの携挙される魂が見つかるように
荒れ狂う川の向こうに安静を見つけられますように。
86
さあ、今度はそれぞれ自分のやり方でそれぞれ祈りましょう。時間を忘れてください。彼のご臨在の前でただ頭を下げましょう。ここにいるこの小さな女性は、「あなたを愛していますイエス様と」叫んでいます。何年も前に救われたときのことを覚えていますか?あなた方にとってそれがどんなに甘い思いの時だったかを覚えていますか?彼は今夜も同じように甘い夜です。祈りましょう。皆さんは今、あなた方自身のやり方で、自分たちをすべて神に奉献し、自分自身を主に捧げましょう。
87
親愛なる主イエスよ。(テープに空白部分があります)「あなたは、私にとって命以上にすべての慰めの泉を下さいます。あなた以外に誰が地上にいるでしょうか?あるいは、天に他に誰がいるのでしょうか?」親愛なる神よ、私たちはあなたの憐れみと恵みがひとりひとりに送られるように今、祈ります、主よ。私たちは祭壇の周りにいます。多くの人が思い付きませんでした。あなたは彼らの席で彼らに会うでしょう。私たちが申し入れるものは何でも、主よ、あなたは喜んでお受け取られるのです。私たちがまさにあなたに私たちの時間を提供されるならば、あなたはそれをお受け取りくださるでしょう。賜物あなたはそれをお受け取りくださるでしょう。しかし、主なる神よ、今夜はそれを超えて行きます。私たちは自分たちのものすべてを捧げています。私のすべて、私が今までになることを期待して受け取りたいのです、すべてがあなたの中にあります、主よ。私たちはこれを受け取る様に、私たちの祈りをあなたの心に取り入れてください、主よ、そして私たちの人生が変えられるように、今この近い終りがわかるように、聖霊の大きな深みを私たちにお与えください。長すぎる事はあり得ないのです。そして私たちの愛する人たちが老いも若きも日を追うごとに落ちていくのを見ると、すぐに私たちはドアを叩かなければならないことが分かります。そして今夜、主よ、私たちが正しい心の中にいる間に、ここに座り、ここにひざまずいているか、ここに立っているかにかかわらず、どのような位置であっても私たちをお受け取り下さい。主なる神よ。
私を連れて行ってください、主よ。私は何もありません。しかし、私が何であれ、主よ、あなたがないかにお使いくださると信じていますですから、私自身を捧げます。
88
私は祈ります、親愛なる主よ、これらひとりひとりが、私の向こうに立っているそれら親愛なる人々は、アリゾナの山の中で、それで叫んでいます。そして、ここで今夜私たちと一緒に祭壇の周りでひざまずき、祈り、私たちの命を捧げています。私たちは自分の人生よりもあなたを愛しています。私たちの家族よりもあなたを愛しています。私たちは妻、子供、父、母、姉妹、兄弟、夫、妻よりもあなたを愛しています、主イエスよ。私たちの心の中でそれを現実にしてください。今週、私たちの魂の中に、喜びの油を注いでください。御言葉の水で、我々の言葉を洗い、我々に真理を分かち合ってください。
今夜ここにいる多くの人達と、主よ、そしてこれからここに来る人、これらの混乱しているような主題は必須事項なのです。オー神よ、私たちを清めるための神の家にその泉を開いてください。私は祈ります、神よ、私たちを洗ってあなたの血で私たちを清め、新しい創造物を造り、そしてイエス・キリストの存在の神の啓示において、真実の御言葉をもたらすために恵みと力をお与えください。主が私たちの前に現れてくださいますように。彼が来て私たちの病気を癒し、罪を赦し、飢えた心に大きな喜びの目覚めを満たしてください、福音が私たちの生活の中で明らかになったように。すべての牧師、すべてのソングリーダー、すべての日曜学校の先生を祝福してください。主よ、本当に私たちはあなた方を愛しておられるからです。そして今、私たちはこの献身においてあなたのものです、主よ、イエス・キリストの御名によって、あなたの意志に従って今私たちを用いてください。
89
私の信仰は、救い主の神を見上げる、
カルバリーの小羊
おお、定められた神である救い主
今、私が祈っている間に私の言うことを聞いてください
私の罪をすべて取り除いてください
この日から私に聞かせてください
完全にあなたのものにさせて下さい!
あなた方はそれが好きですか?もう一度歌いましょう。
人生の暗い迷路を踏みながら
そして私の周りの悲しみは広がりました
ああ、あなたが私のガイドになってください。
入札の闇は日に変わります
悲しみの涙を拭ってください
またわたしを迷い出させないで下さい
あなたのそばから
さてあなた方の気分は良くなりましたか?古い歌を歌うの好きなの人は何人くらいいますか?私はそれらが大好きですあなたは?
私たちは美しいシオンに行進している
美しい、美しい神の都シオン
私たちはシオンに向かって行進しています。
神のその美しい街
おお、私たちはシオンに行進しています
おお、美しい、美しいシオン
私たちはシオンに向かって行進しています。
神のその美しい街
主を愛するひとたち、来なさい
そして私たちの喜びを知らせましょう
優しい一致で歌に参加せよ
優しい一致で歌に参加せよ
そしてこうして王座を囲んでください
そしてこうして王座を囲んでください
それでは、歌いながら立ち上がって、お互いに握手をしましょう。
私たちはシオンに行進している
美しい、美しいシオン
私たちはシオンに向かって行進している
その美しい街シオン
さあ、神に向けて私たちの手を挙げましょう!
おお、私たちはシオンに行進している
美しい、美しいシオン
私たちはシオンに向かって行進している
兄お美しい街シオン
私たちはシオンに行進している
美しい、美しいシオン
私たちはシオンに向かって行進している
あの美しい街シオン
それはあなた方を素晴らしい気分にさせませんか?
なんと、なんということ!おお、ただ手を挙げて私たちのやり方で主を賛美しましょう!
90
主イエスよ、あなた方はシャロンのバラ、谷のユリ、明けの明星、私の魂にとって、何万ものもの中で最高の方です、私の慰めの泉、人生よりもあなたのことを愛しています。[祈り続けます]
十字架の近くで
常に私の栄光であってください、
私の携挙される魂が見つかるまで
川の向こうで休ませてください
どういうわけか私たちが、私たちのためにまっすぐに何かをしようとしていると感じています。さあ、覚えておいてください。私は預言していると思います。大いなる喜びが、神を信じる者たちを待っています。多くの悲しい心が作られます…大きな奥義が明らかにされ、悲しい人たちが喜びに変わるでしょう。
十字架の中で、十字架の中で、
常に私の栄光になりなさい
私の携挙される魂を見つけるまで
川の向こうで休ませてください
91
年老いたヨハネが説教するには年をとりすぎたとき、彼はただ座って叫んだりしました(彼らは私に言いました)彼の全力を尽くして。「小さな子供たちよ、互いに愛し合いなさい。」互いに愛し合いなさい。何もああた方の中に来て邪魔をさせてはいけません。しっかりしていてください。他の物を脇に置いて、どんなことでも直面してください。我々hは私たちはニネベへの道を進んでいます。あなた方は仲間たちを離れて行くタルシシ行のその古い船に乗らないでください。神の祝福の流れと共にまっすぐ動いて行きましょう。私たちはそれを持つことになると信じています。天のお父様を信じています。
92
さあ、気分は大丈夫ですか?それは良かった、それと同様に、私は子供が生まれるのを見るのが好きなのです。何年も前に、これらの理由から、神の王国の中に何千人もの人がここから生まれたと考えられます。私たちが教会を建てるためにポケットの中に80セントの上に信頼して立っていた時、知っていたことはほとんどありませんでした…ああ、主はは仰いました、「私は主でありそれを植えたものであり日々夜も水を与えよう。」そして彼はそれをされていました。彼はされたのです。神の祝福がありますように!
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さて、頭を下げたとき…さて、明日の夜、覚えておいてください、礼拝はここの学校の講堂で行われます、そしてもし…新しい人がやってくる可能性があるので、私たちはここに誰かがそこに辿り付ける方法を示すためにここを提示しておいてください。
あなた方は神が「アーメン!」と言うのが好きですか!ああ、神は素晴らしい方ではありませんか?私は、、ここの土手の上に立ち古い歌を歌っていました。
ヨルダンの嵐の土手で私は立つ、
(30年前…33年前だと思います)。
そして希望の目を向けました
カナンの公正で幸せな土地に
私の資産はどこに。
そして、私はその夜がそこでバプテスマを沢山授けました。彼らがそこに立って、その明けの明星が天からあのような円状のものが降りてくるのを目撃したとき、こう言われました「バプテスマのヨハネが…キリストの最初の到来を予見するために送られたように、あなたのメッセージはキリストの再来を予見することになるでしょうでしょう。」どう思いますか。しかし、神の御言葉はすべて真実であり、神の言葉はすべて真がです。私たちは偉大な王のご臨在の中に生きています。神の祝福がありますように!
頭を下げている間に、私たちの素晴らしいな牧師であるネビル兄弟にここに来ていただいて、祈りの中に私たちが菅さんする様におたずねする予定です。神の祝福がありますように、ネビル兄弟。