65-0221E このメルキセデクとは誰なのか?
- 伝道者:ウィリアム・ブランハム
- アメリカ合衆国、インディアナ州、ジェファーソンビル
- 録音番号:65-0221E
- 年:1965
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さて、頭を下げて祈りましょう。天のお父様、「ただ信じよ」の歌を聞くと、全て私達が神の約束の遺産をしなければならないと思いにさせます。ただそれらを信じるのです。「信じる者には全ての事が出来る」と書かれています。人として、てんかんを持っている子供の親として、「主よ、信じます。不信仰をお助け下さい」と叫ン部のです。あなたの偉大な力をあなた自身がこの終わりの時に表してくださる啓示を感謝します。私達の心を高鳴らせ喜びと幸せに満たしてくださいます。生きる神と関係を持つために来られる事肉体的に、物質的に神がこらせていることを証明しこの時代の為に約束された事が証明されているのです。我々は我らの神のゆえに凄く感謝しています。この暗黒の日に、誰もどちらに行くかを知らないように見える時、我々は安全な場所を見つけたことをよろこんでいます。リトリートも
さて、今晩主よ、あなたの言葉を語るにあたり、我々を祝福してください。そして我々に与えられた約束によって我々の心を養い、静粛と献身によって喜ばせ、神のしつけによってそれらに従いますように。イエスの名によって求めます。アーメン。
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(誰かがブラナム兄弟に話している) 愛の献金?彼らはするべきではない。誰が始めたのか?貴方の罪化?その管理者に行っている。彼は私の為に愛の献金を取ったと言った。そんなことをすべきではなかった。感謝している死、神は知っているけれども、そのために来たのではありません。主があなた方を祝福しますように。出来る限り何でもします。それを全て海外の宣教の為に置きます、そうすれば神の御国の為に使われることを知ることになるからです。主のご意志であるならば、それを私自身が使って、その土地に行き、この同じ福音を今あなたが今週座って聞いて居る物を、そしてその形であなたが信じているものを齎します。主よ私がそうするのを助けてくれるのです。 私は今週の素晴らしい出席者達をとても感謝しています。あなた方全ての人々が今晩再び、電話でも繋がっている人々、あなた方一人一人を心から感謝しています。
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今朝、ビリーが私に「パパ、今朝早めに僕と一緒に来ていたら、日の出直後に、ここにこの場所に赤ちゃんにママたちが車の中でのませたり、貧しい人々が雨の中に座って、ドアが開くのを待っているのを見る事が出来た!」と言いました。もし、私が、真理以外の事を告げたとしたら、どれ程酷い偽善者になってしまうでしょうか?まるで詐欺師になってしまいます。時々、傷つける事を言わなければなりませんそうしたいわけではないのです。真理は心を傷つけるのです。しかしそれが理由であなた方はここに来られて位と信じています、私が死ぬほど誠実で全てを持ってあなたを助ける事が出来ると。主がここにいる一人一人を助けて下さいます。4
そして今、皆さんの素晴らしい協力を感謝したいのです、この市の人々がこの学校の建物、講堂と体育館を使わせて下さっている事をです。又、ここにおられるのであれば、役人の方々にも感謝したいのです。ここのオーナーのヒューストンコルビンさんに感謝したいです、彼がここに毎晩来て使うのを助けてくれる素晴らしい協力を下さいました。ジェファーソンビル警察隊にも感謝したいです、本当に安い費用でここにきて見守ってくださっています。一時間に2ドルくらいだったと思います。警察が特別な業務として、駐車したり何も起こらないように全てが正しく行われるように見守ってくれています。それらの人々に心から感謝しています。ここのエンジニアにも彼の仕事に気が付生きました。全てこれにかかわった人々すべてに確実に感謝しております。
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皆さんの贈り物を感謝します。ビリーがちょうどこの午後に持ってきてくれました。箱の中にはキャンディーや諸々がありました。そしてそのうちの一つは、キリストの山上の訓戒の絵がありました。とても美しいものです。本当にありがとうございます。そして凄く沢山の物でした、どのように感謝を表せばいいのか分かりません。そして又、あなたのこのミーティングの為の金銭的なスポンサーも心から感謝します。主が豊かにお一人お一人を祝福されます。ビリーがその時間に個人的に会いたいという事を尋ねている方々が沢山おられると言っていました。そして多くは赤ちゃんの献身を望んでいると。それをどれ程私がしたいというのはまちがいのないことです!
しかし、今回ここに来たのは、金中なのです、いつも正しくなければならないのです。書斎で、この御言葉と祈りをこれらのメッセージに載せる為に祈っていました。彼らは普通ではないのです、神の御心を探るために又それを語る事は大切なのです。そして全て一緒にあって、神に開かれるものを尋ねるのです。
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さて、神のご意志であれば、出来る限り早く戻ってきます、イースターか何かだと。その為にチェックをしますというのは、確かカリフォルニアでその時期にスケジュールがあったと思います。だからそれは間違っているかもしれません。しかしながら、そのタバナクルに戻ってくるとき、カードを教会に送ります、そして日にちと時間を送ります。そしてその時は多分、、、今回病人の為に祈る時間をとれませんでした。人々に上がってもらい彼らの為に祈る礼拝を取りませんでした。彼らを他に送りました。ここの兄弟達が、説教をし祈っています。リーバイル兄弟など、これらの他の兄弟達が説教をし、病人の為に祈り、水の洗礼をしています、そのことによって私が御言葉のみを分け合う様にしてくれています。これらの兄弟達に感謝しています。彼らは素晴らしい仕事をしています。
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ここには会いたい友人たちがたくさんいます。見てみると、ジョンとアールが居ます。そしてキャンペーンのマネージャーであるリーバイル博士、ロイボーダー兄弟。そして彼等にも会えていません。握手をしただけです。話す機会がありませんでした。ケンタッキー州から来ている友人たちがここにいます、聖職者である友人達に少なくとも握手はしたかったです!ブレア兄弟、先日彼がここにいるのに気が付きました、私が愛している多くの人々がいますそして彼らは幾つかのミーティングに居ました、握手以外出来ていません。努力しています。話したくないわけではありません。時間がないのです。それほど急いでいるのです。8
赤ちゃんの献身、もちろん、私の実の息子、小さい孫息子をこのミーティングで献身するはずでした。そのための時間もありません:小さなデービッド。私はいま二人の孫を持つ祖父になりました。だからメイ氏、ここに彼がいるならが、彼が杖をくれました、まもなく使う様になる事でしょう。そしてビリーに言いました。「聖書は産めよ増えよ地に満ちよと言っているが、あなただけにその重荷が与えられたわけではない」これらの孫息子たちは速く生まれすぎる。
そして又覚えていますか、私の義理の娘は不妊でした、だから子供は出来ないはずでした。そしてある日主が私にあるミーティングで言われたのです「ロイス、あなたは息子を産む、主が祝福されたから、婦人科系の問題は終わった」小さなポールはその後9か月後に生まれました。
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この赤ちゃんが生まれる2か月前に、ある朝朝食を食べていましたそしてロイスとビリーが反対側に座っていました。そしてピンク色或いは青い毛布でくるまれた小さな赤ちゃんに食べさせているのを見たのです。そしてビリーはその角に座っていて、小さなポールに食べさせていました。私はビリーあるビジョンを見たんだ、ロイスが青い毛布に包まれた赤ちゃんに食べさせていた」と言いました。彼は「それじゃ僕の狩りの旅が始まる、これから9か月ちょうどだね」と言いました
11か月後、小さなデービッドが生まれました。そしてまだ彼を主に献身する事が出来ていません。我々が戻るまでは出来ないでしょう。だからそういう意味が分かってもらえますね。
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人々や彼等とのフェローシップが大好きです!しかし我々の兄弟達は病人の為に祈ってきましたし、それが成功しているのを知っています。各晩にお互いに全員で手を置いて病人の為に祈っていました。全体を見ていたのです。しかし多分、神のご意志であれば、カードに印をつけて送ります。戻ってくるときに、二日か三日間もう一度病人の為にただ祈る日を献身したいと思っています。彼らの助け又感謝しています。11
さて、その朝のメッセージにコメントしたいのです、一つだけです。疑いもなく、まだ全てを完璧には終わっていないですが、お分かりになると思います。私が何をしていたかを知る事は無いのです。間違いなくそうです。さてとても単純に見えるかもしれません。しかしあなたは何をしているか分かりますか?神の場所をとっているのです、何かを宣言しているのです。そしてそうする前に、神から答えを持ってくる必要があるのです。そして神は来られる必要があります、神はご自身を見える形で来られ啓示を与えられました。それ故五、これは教会の為なのです。そして覚えておいてください。「私が言ったのは教会の為だけだという事」です。
そして自信があるかもしれません、リスが居ない時に同じ神がそこに表された方であると。「話しなさいそうすれば彼らはそこにいる」とそして3回同じことが起こりました。さてもし彼が同じみことばを作られてそこに現れなかったとしたら、裁きの時は度どれ程そうなるでしょう!分かりますね?人々はこれらの事をそこにいてみたのです。パウロが言った様に、その日が来たらと。。彼と共に居た人は地上が揺れたのを感じましたそして声は聞こえませんでしたが火の柱を見ました。
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それは私にはよかったのですがそれが終わって、夫たちと妻たちが見て、私は純粋なクリスチャン達がお互いにハグをして泣いていました。 友の皆さん、聴いて下さい、神が言葉により印と使命を使ってそれが正しい事を表されたのです、語られた言葉によってです。さて覚えていますね、その光は蜘蛛の中に在ましたそしてその啓示を与えられたのでした。
私の小さな娘が言いました、ここにいるサラです、アリゾナの学校に居た時に雲のない空を見上げて、山の中にあるこの不思議な雲を見ていたのです、登ったり下ったりしてその中に火が燃えていたのです。教師がそのクラスを解散させて学校も閉めましたそして前に出て言いました「このようなものを見たことがありますか?そこにあるものを見なさい」
覚えていてください、その岩の上に有ったその人同じものでした。だから同じ神で同じ啓示が言ったのです「彼らにこれを言いなさい」今朝あなた方に行った事です。それはそこにあるのです。
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私の良い友人であるロイロバーソン兄弟、タクソンで聞いて居る方に起こったとしたら、ロイさん、あなたは覚えていませんよね、先日、その幻をその山の上に立っていて見た時のことを?私の所に来て、雲が山頂に行きましたね?歩いて来て髪が彼があなたに言ったことを知っていますね、家で私は先日言いましたね?その通りですね。ロイ 心配はもういらない。息子よもう終わったその意味が分からないかもしれません!それは恵みなのです。神はあなたを愛しています。あなたも神を愛していますそして謙虚に彼に仕えて礼拝を残りの人生続けて行くのです。幸せで居ましょう。そのままで生きていきましょう。幸せならそのまま続けて行きましょう。再び間違ったことはしないように。進んでいって下さい。それこそが神の恵みなのです。
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さて、御言葉に入る前に祈りたいです。何人が私の為に祈ってくれますか?ミーティングに次々に行きますから。祈ってもらえますか? ご存知の様に、小さな歌を歌いたいです。御言葉に入る前に皆一緒に。神を我々は知っていて、小さな献身です。この小さな歌を聞いたことがありますか?「神はあなたを世話される?」陽光と悲しみを通して、彼はあなたを世話される」
その小さな女性がピアノに上がってきています。この方にも感謝したいです。彼女が誰かすら知りませんでした。ここの執事の娘の一人でした。間違いなくウィラー兄弟の小さな娘ですね。彼女は大人になっています。以前彼女は私の膝に座っていた小さな子でした。何年も前の事ですそして今彼女は若い女性になりました。彼女が音楽の才能を使っていることを間違いなく感謝していますそして凄く優しく演奏しています。姉妹コードをくれますか?それではみんな一緒に
神はあなたを世話されている
神はあなたを世話されている
陽光の下でも影でも
神はあなたを世話されている
それを愛していませんか?一緒に歌いましょう 一緒に
神はあなたを世話されている
神はあなたを世話されている
陽光の下でも影でも
神はあなたを世話されている
ダウチ兄弟 あなたの事もです。 兄弟。 彼を愛していませんか?
頭を再び下げて祈りましょう。
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親愛なる素晴らしい神様、この小さなここでの覚書をいくつか人々に言いますそして今朝再びここにあなたが言う事を聞くために戻ってきています。神様人々があなたが愛され世話をされていることを分かる様にしてくださるように祈ります。そしてそれは私ではなく主よあなたが与えて下さり真理に導いて下さり指定されているのです。さて親愛なる神様あなたの愛が常に人々の間に留まりましょう様に。祈ります。今晩このミーティングの後各々の家に戻りわかれなければなりません、それはある意味引きの様なものです、いくつかは深いものになります主よ。これらの人々を祝福してくださいますように祈ります。 さて御言葉に祈りの内に入っていきます。書かれた御言葉に入ります。我々はあなたにこの書かれた御言葉を取って今晩私達の中で生きる者としてくださるように尋ねたいのです。そしてこの建物を去る時各々の家に戻る時、エマウスから来た我々は彼を知らなかったけれども彼と歩いていたしかしその夜彼が部屋の中に入って扉が閉められ、十字架にかかる前にされたようなことをされたのです。それによって彼らは彼が蘇られたことを知ったのでした。
今晩同じことをしてください。主よ、扉が閉まっている間にあなたのここにいる小さなグループが座って待っています。そして父よ家に帰る時に、彼らに言った様に言えますように「我々の心がその方向で語られたときも得なかっただろうか! 我々自身を捧げ全てあなたの御手に捧げます。主よあなたがご覧になる様に我々の内で行ってください。イエスの聖名で祈ります。アーメン。
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さて、礼拝に居間入っていきましょう。即座に。一緒に聖書を開いて下さい、出来るならば、へブル書で、又そのメッセージ置いて他の啓示があります。今晩少しだけそのことを話します、主のご意志であれば。そしてへブル7章の1-3節の3節を呼んでいる間、こんことについてコメントします。そして我々は主のご意志が何であるかを知り前sン。ウィらないのです。勇逸の事はただ信じ、見て祈る事だけです。そうですね?そしてそれを信じるのです「神が約束されたから彼は彼を愛する者たちにとって全てが共に働いて益となる様にされた」という事を信じるのです。 このメルキセデク、サレムの王、最高の神の祭司、アブラハムに殺された王たちから戻ってあったそして彼を祝福したもの。
アブラハムは全てから十分の一も与えて、初めに義の王として解釈されその後、サレムの王としてその後平和の王として
もう少し読んでいきましょう。
父も母もなく、誰もいず、初めも終わりもないが神の御子のように創られた、引き続き祭司として仕えられた
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この素晴らしい人について考えて下さい、この人は間違いなく偉大な方なのです!そして今、質問は「この方は誰なのか?」神学者たちは異なる考えを持っていました。しかし7つの封印が解かれて、その奥義が我々に開かれて、黙示録10章1節から7節によると、捨てべの奥義はこの書にかかれていて、改革の時代を通して教会の時代の終わりの御使いがそれを開くことになる。そのことが正しいと何人が知っていますか?その通りなのです、それは空けられるべきものです。全ての奥義の本の奥義はラオデキアの時代に明らかにされるのです。 この人についてこの議題に関して多くの論争があります。それが我々が彼が誰なのかを知る必要に入っていくことになると思います。さて、彼に関して幾つかの考え方があります。
ある学校はこう言います「彼は作り話で、実際の人ではなかった」と
そして他の人は「祭司でメルキセデクは祭司だった」それはその通りかもしれません、それは前のよりもいいかもしれません。彼らはそれは祭司だったと言っているから。
それだけではないのです、4節目に彼は人だったと言っていますー人人であるならば、彼には性質がある必要がありますー人 宗派とかではなくーひとです! そして彼はただの祭司や宗派ではなかったのです又、作り話でもなく、彼は人でした。
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そしてその人は永遠の方なのです。もし気が付くならば、「父もなく、母もなく、時間もなく、初めもなく、時間がなく終わりもないのです」そして今晩もまだ生きているのです聖書がここでそう言っているからです。「彼には父も母もなく終わりの初めもなかった、それは永遠の人でなければならないのです。そうですよね?永遠の人! だからそれはお一人なのです。それは神なのです。神のみが永遠の肩だからです。 さて、第1テモテ6:15と16 それを読みたいならば、読んでほしいです。さて、私が話そうとしている事は、彼は神であった、彼のみが死なない方だったから。さて今、神は彼自身を人に変えられたのでしょうか、それが彼なのでした。「父もなく、母もなく、初めも、終わりもない」
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さて神は3つの人格があると多くの人が教えるのに使う聖句を見つけました。人格は人に一つづつしか持てません。一人の人は一つの人格を持つのです。パブテスト派のミニスターは数週間前に私の家に来て言いました「時間がある時に神格について君にしっかり教えたい」とある意味僕を呼び出そうとしていました。
「今時間はありますよ」と言いました。全ての事を置いてはっきりさせたいですから
そして彼はやっていて言いました「ブラナム兄弟、あなたは神は一人しかいないと教えています」
私は「はいそうです」と言いました。
彼は「さて」と言いました「神は一人だと信じているけど、神には3人の人格がある」
私は、「もう一度言ってください」と言いました
彼は「一人の神が3人の中にいる」と言いました
私は「学校はどこに行ったの?」と言いました。分かりますか?又彼は聖書大学にと言いました。私は、「それは信じられる人は人格なしに一人の人にはならない」と言いました。そしてもしあなたが人格だとしたらあなた自身の人格です。あなたは個人が分かれるのですね。
そして彼は言いました「さて、神学者も説明が出来ない」と言いました。
私は言った「それは啓示によるものです」
そして彼は言いました「私は啓示を受け入れる事は出来ない」と
私は「それでは神があなたに見せる事は出来ないですね、というのは、神は賢いものや知恵あるものに隠し、幼いものに表してくださいます」から 幼いものに表すつまり(それを受け入れ)て学ぶ」神があなたに理解はさせられないというのもあなたは神に対して自分を締め切っているから。
聖書全体が神の啓示なので鵜s。教会は神の啓示によって全て建てられているのです。それ以外に神を知る方法はありません、啓示に夜の実です。「彼の息子に彼が表される」啓示、全てが啓示なのです。啓示を受け入れないという事は、ただの冷たい神学者であるだけです。そしてあなたに望みはありません。
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さて、父も母も初めも終わりもないこの人を見つけました。それが神であり、En morpheなのです。さて、その言葉の意味、ギリシャ語では、「変わる」という意味で使われていました。彼自身を一人の人から変わる、ギリシャ語のen morpheの意味なのです。一人の人。。。それは芝居から撮られたもので、一人の人が、彼のマスクを変えて、他の人物になるのです。
学校では、最近ですが、リベカが彼女はシェークスピアの芝居のひとつであったとおもうのですが、彼女が卒業する前でした。そして一人の若い人が数回3つの異なる役をやるために同じ人ですが、数回服を変える必要がありました。彼は出て来て、一度、彼は美リアンで次に出て行くときは別のキャラクターをやりました。そして、今、ギリシャ語のen morpheの意味はマスクを変えるという意味です。
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そしてそれが神がされた事です。同じ神が畝におられるのです。神は父、聖霊、火の柱の形で現れたのです。同じ神は肉体となり、我々の中に住まわれたのです、en morphe、彼が見られるようにされた。そして今、その同じ神が聖霊、父、御子。。。聖い方しかし3人の神ではなくて、3つの役割、そして一人の神が3つの動作をされたのです。聖書には、「神は一人だった、3つではなかったが、彼らがそうなりえる事は無かった、これをはっきりさせることは出来ません。何故なら3つの神はいないから。ユダヤ人にそれを売る事は出来ません。彼等こそが唯一一人の神について最もよく知っているのです。
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気がついて下さい、聖句にかかれている様にそれはマスクをかぶって隠れているのです。それは神がこの時代になさった事なのです。これら全ての事は隠れていたのです、この時代に明らかにされることがはっきりしていました。さて、聖書は彼等が終わりの時に明らかにされると書かれています。それは彫刻家の様に彼の仕事を隠してマスクを取られるまでそこにあるのです。そしてそれは聖書がしてきたことです。それは神の仕事で隠されてきていたのです。そして世の初めから隠されていたのです。7つ折りの奥義でもあります。そして髪はこの時代に約束されていたのです、このラオデキア教会時代において、彼はそのマスクを取る事になり全容がを我々が分かる様にされるという約束です。何と素晴らしい事でしょう。
神様 en morpheは火の柱に隠されていました。 神 en morpheは人としてイエスと呼ばれていました。 神様 en morpheは彼の教会におられます。神は我々の上に立たれています、神は我々と共におられ、我々の内おられます。上彼ご覧になられる神がそこにおられ聖い方で、誰も彼に触れることは出来ませんでした、彼は山におられ、動物がその山を触ると死んでしまうのでした。
そしてその神は彼の幕屋から出られて変わられ、我々の内に住まわれ我々の一人となられました。そして我々は彼を所有したのです。聖書の第一テモテ3章16節では、確かに偉大なのは、この信心の奥義である、「キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた」。神は無かれ、休まれ、彼は我々の一人で新たのです。美しい聖書での表れです!
それは神が我々の上におられ、我々と共におられ、今その神は我々の内に住まわれる、聖霊で、3人目の人ではなく同じ方なのです!
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神は折りてこられ肉体を取られたのです、そして死なれました、キリストとして、彼は教会を清める事が出来たのです、フェローシップの中に入られることによってです。神はフェローシップを愛されています。神はケルビムだけと一緒にいて人はいなかったので初めて人を創られたのはフェローシップの為でした。ここで気が付いてほしいのです、神は人を創られ、人は堕落しました。そして彼は折りてこられて人を贖われました、それは人々に礼拝されることを神が愛しておられるからです。神という言葉の意味は、「礼拝される対象」なのです。
そしてこれは我々の内に火の柱として来られて、何かが私達の心を変えられましたそれは同じ神で「光あれと言われた方です」そしてそこには光がありました。神は昨日も今日もいつまでも変わる事がない方です。
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さて、神は属性をもって一人で住まわれていたのです、今朝私が話したように。それは彼の考えでした。そこには何もなかったのです。ただ神が一人だったのですが、彼は考えを御餅でした。 ちょうど偉大な建築家が思いの中でそれを建てるために考えを書き出したのです。さて、彼は作る事は出来ないのです、彼は何かを作るには別の形のあなたでしかできないのですというのは、神だけが全てを作る事の出来る唯一の方だからです。しかし彼が今後される事を頭の中に持っています、それは彼の欲求なのです。さてそれは思いであり、そして彼はそれについて語りそれは言葉となります。そしてその言葉は、
ある考えが表現されたとき、それは言葉になります。ある思いが表現されると言葉になります、しかしそれは考えが最初になければなりません。それこそが神の属性なのです:そしれそれが考えとなり言葉となるのです。
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気がついて下さい。今晩永遠の命を持っている人は、彼と共にいて彼が住んでおられ、彼の考えの中におられるのです、それが御使い、星、ケルビムあるいはそれ以外なのでした。それは永遠なのです。そしてもし永遠の命がを持っているならば、あなたはいつもそうだったのです。ここに居なくても、しかしその形や形式が神が無限である事、、、、そしてもし彼が無限でないならば、彼は神ではありません。神は無限でなければなりません。我々は限界があります。そして彼は偏在で全知全能なのです。もし彼がそうでないならば、神にはなれません、全てを知り全ての場所に居なければ、なぜならば彼は偏在し全知全能なのです。彼はそういう存在であり、風のようなものではありません。彼は、家に住んでいるのです。しかし、偏在し全知全能であり、起こっていること全てをご存知だからです。
しかし彼はの実の蝙蝠の目はありませんが、彼は知っていました。彼は世が始まる前から蝙蝠の目について何度も、そしてどれほどそれが、世になる前からです。それが無限という事です。我々は自分の思いを理解する事が出来ませんが、それが神なのです。神はー無限です!
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そして覚えておいてください、あなたの目、あなたの体、何であれ、初めからあなたは彼の思いの中に居たのです。そしてあなたはその表現であるのです―言葉によってです。彼がそれを考えた後にです。彼は話、そしてあなたが出来たのです。もしそうでないなら、彼の思いにないならば、そこにいる事はあり得ないのです。彼は永遠の命を与える唯一の肩です。その聖句をどのように読んだかを覚えていますよね?彼の医師ではなく、思い出もなく神によるのです。そして、彼はしっかりと真実に硬くたっているのです。彼は選ぶことが出来たのです、どんな時でも、神は彼の選択によるものではないのです。ご存知でしたか?神は聖なる方です。彼がより良い方法で世を?彼が明らかにされる方で明らかにされる。その啓示自身が神にははっきりしていたのです。人々はその事によって誇りにするのですそして物が飛び、物にうたれる、彼らがしていることを知らなかったのです。神は神のわざの中にはっきりと表れているのです。
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さて、我々は彼の属性を初めに見つけます。そして今、あなたは彼と共に居るわけです。そしてその命の書が目に入ってくるのです。さて我々は黙示録の13章の8節を何度もここで読み返しました「獣が地上に上がってくる(この終末の時に)そして世の初めから子羊の命の書の中に名を記されていない地上にいる全ての人々を惑わすであろう。」
考えてみて下さい!イエス様が生まれる前から、地上に彼が来られる4千面も前から、そしてあなた方が地上に来る何千年も前から、世の罪の為に死ぬことそして命の書は創られていて、世の初めからあなたの名は命の書に記されていたのです。それが聖書の真理なのです。分かりますね?あなたの名前は神が定められ世の初めから命の書に置かれていたのです。
貴方は彼の属性の中に居たのです。それを覚えてはいないでしょう、いいえなぜなら、彼の命の一部にすぎないからです。神の息子娘になる時に神の一部になるのです。
地上の父親の一部であるように。その通りです。あなたはそうなのです。男性はホモグロビンを持っていてそれは血なのです。そしてそれが卵に入ると、あなたの父親の一部となり、母親はあなたの父親の一部になるのです、だからあなたの全ては父親からなのです。
栄光! 宗派から離れましょう、一緒に、その通りです神は全ての内におられそれが唯一の場所なのです!
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今彼の属性に気がついて下さい。そして属性はまず、神でその間が、その属性自信、全てが一つの中に在り、表現しなくてもそうなのです。そして彼が表現した時、次に彼は御言葉になったのです。「そしてその時御言葉が肉体なって我々の中に住まれた」のです。聖ヨハネの第一章の一説にこれがあります「初めに」しかし永遠の前にです!気がついて下さい「初めに言葉があった」時が始まった時、それは御言葉でした。しかし御言葉の前に、それが属性ーそれが考えでした。そしてそれが表されたのです、「初めにそれが表現されたのが御言葉でした」
さて、我々がメルキセデクが誰だかわかってきた場所です。そのミステリアスな人です。「初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった。。。そして御言葉が肉体となられて、我々と共に住まわれた」そこをしっかり持ってください。気がついて下さい。
彼は初めは霊でした、神であり、超自然であり、全権者で、偉大な永遠の存在でした。次に彼自身が肉体を取られたのです、そして神顕体は「御言葉」でその体を呼ばれました。これはその状態で彼がアブラハムにあった時、メルキセデクと呼ばれました。彼は神顕体だったのです。さて、我々は数分でそれを理解して証明します。神のご意志であればです。彼は御言葉でした。
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神顕体は目で見る事は出来ないものでした。ここに今もいる可能性があります、でも見る事は出来ないのです。そのようなものです、ある意味テレビの様なものです。それは別の次元にあるのです。テレビ:人々がこの部屋を通して動いて、今歌っていますが、色もあります。でもその目に見えるのは5巻でしかないのです、あなたの全体の表れは五感なのです。そして見える物だけが唯一の物なのです。しかしテレビによる交換により他の次元があるのが分かるのです。さてテレビは写真を作るわけではありません。テレビは周回の中にチャネルするだけです、そしてテレビの画面がそれを拾うわけです。しかし始まるにあたって写真がそこにあるのです。テレビはアダムがここにいた時ここにありました。テレビはカルメル山の上にエリヤが座った時にここにありました。テレビはガレリア湾をナザレのイエスが歩いて居た時にもありました。しかし今それを発見しただけです。彼等はそこにあったとは信じなかったのです。そんなものがあるなんて言ったら気狂い扱いされたでしょう。しかし今は実際になっています。
そしてそういうわけで、キリストは今もここにいます、神の御使い(天使)はここにいます。そしていつか偉大な至福千年になったと、ただテレビあるいは何か他の事で実際になりました何故なら彼らはここにいるからです。
彼は彼自身が彼の偉大な形で彼自身の僕たちの中に表されたと表されていたのです。
今、ここに霊の形にあります。そして彼はEn morpheの形で来られたのです。彼がアブラハムに en morpheとして現れました。アブラハムが王に殺されるところから戻った時、ここにメルキセデクが来て彼に話しました。
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タクソン新聞で先日、私が女性がその道を時速約40か50マイルのようですがそこを運転していた記事を読んでいました。又彼女がオーバーを着た老人にぶつけてしまったという事でした。彼女は車を止めようと叫んだのです。空中に彼は飛んでしまいました。平坦な砂漠にでした。彼女は彼を探すために戻りましたが彼はいませんでした。そして彼女がしたことは何だったのでしょう?ある人達は彼女の後ろにいて起こったことを見ていました。その老人が空中に飛んで彼のコートがひっくり返ったのです。そして彼らは見つけようとしては知って戻りました。どこにもその男性を見つける事が出来ませんでした。彼等は警察隊を呼びました。警察はその場所を調べるために来ましたでも誰もそこにはいませんでした。さて、そこにいた一人一人が告げました「車が来て、その男性にぶつかって、彼が空中に上がって皆がそれを見たのでした。証し人とそこに2台か3台分の車分の人が居ました、彼らは起こったことを見たのです。5年前にその同じ場所でオーバーを着た老人が車にうたれて死んだことがありました。
ここを晴れた時、あなたは死んでいません。帰ってくるのです、たとえ罪びとであっても、その体が行ったことによって裁かれるのであればです。「もしこの地上の幕屋がなくなれば、私達が待って居る物が来る「En morphe, それが御言葉です。
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さて、神が彼の創造物のこの時点におられて、のちに肉体をと垂れてイエスになりました。何から?大きな初めから、霊が来て御言葉になり、それ自体が変わったのです。御言葉はそれ自体になれません。ただ話すことが出来る en morpheのちに、彼は肉体を取ってイエスになられ、死ぬことがあるつまり、罪びとである我々全員の死を感じ知る為でした。アブラハムが彼にあった時、彼はメル背で区でした。彼はここで開いたのは最終的にその属性で開かれるのです、全てのアブラハムの息子が。信仰の全ての息子が全く同じことをするでしょう。しかし我々がどれ程進んできたかを見たいのです。又、我々はルツとボアズの中でも彼が表されています。親戚である贖い主です、彼は肉体を取って来なければなりませんでした。
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さて、その属性を彼の霊の息子たちの中に見るのです、御言葉の形で体に入っていなくても、でも神顕体がこの肉体が御言葉をそしてその物を待っているのです。体の変化です。さてその違いは息子として彼とあなたとの間にあります。彼は初めから言葉であり、神の体を持っていて。彼はそこに入って済んだのです、それが人であるメルキセデクなのです。そしてその後、我々はメルキセデクについては聞かなくなりますというのは彼がイエスキリストになったからです。メルキセデクは祭司でしたが、彼はイエスキリストになりました。さて、分かりましたね。その形で彼は全てを知っていたのです又まだあなたは全てを知ることは出来ません。
アダムや私の様に来ました、肉体として分類される形になったのです、誘惑されるように。でも、この人生がここで終わった時には、「この地上の幕屋が壊れるとしたら、我々は既に待って居る物を持っているのです。」そこに我々は行くのですそれが御言葉です。そして我々は振り返る事が出来又我々がしたことを理解します。今は分らないのです。我々は御言葉になった事は無いから、肉体を持っているから、御言葉ではないのです。
しかし見て下さい、はっきりとさせています、初めから思いを持っていなければ御言葉になる事はありません。神のあらかじめ定められたものとして証明されます。分かりますか?思いにならなければ御言葉になることは出来ないのです。初めに考えられていなければならないのです。しかし、誘惑に勝つためには、そ神顕体を通る必要があるのです。ここに肉体としてくる必要があるのです、そして罪によって誘惑される必要もです。そしてその時、もししっかり立っていられるあらば、「父が全てを私に与えられて、私は終わりの日に彼を引き上げるのです」分かりますね。あなたがいる必要が初めにあるのです。
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そしてその時、普通のラインでその属性から彼は折りてこられます分かりますね、世の初めからです、彼の名前は子羊の書に記されていました。そしてそこから彼は御言葉になり、神顕体となって現れたり消えたりすることが可能だったのです。そして肉体を取って再び戻られ、同じ体で栄光を受けた条件で蘇られました。しかしあなたは肉体を持つ者として、罪に誘惑を受ける為に神顕体を通り過ぎてきたのです。「この地上の幕屋が壊れたら、我々は既に待って居る物を持っているのです」我々はまだその体は持っていません。
でも見て下さい、この身体が神の霊を受けたら、死なない命があなた方の中にいるのです、この身体は神の物となるわけです。
ハレルヤ!彼は神として生まれたので、罪は犯しません、罪を犯すことが出来ないのです。」ローマ人への手紙8:1「こういうわけで、キリストイエスにある者は、罪に定められることがない、彼らは肉の内を歩いておらず、霊の内を歩んでいるからである」分かりますね、あなた方の肉体は神の下にあるのです。
こういう必要はありません、「アーただお酒を辞められれば、これが出来たら」キリストに会えば全てがなくなります、分かりますね、というのは霊に従うようになるからです。世の物に従う事は無くなるのです、彼らは死にました。彼等は死んだのです、あなたの罪はバプテスマ(洗礼によって)埋められて、キリストにあって新しく創られたものなのです。あなたの体は、霊に従うものとなり、正しい種類の人生を歩もうとするのです。
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例えばあなた方女性が聖霊に満たされたとするならば、出かけるときにショーツを履いたりそんなことが出来るのでしょうか?神の霊がそのようなことをさせるでしょうか?そうはなりえません、間違いなく、そうなる事は無いのです。彼はきたない霊ではなく、聖い霊だからです。そしてその霊の僕となった時すべての物が霊に従うようになるのです。そしてその霊は世にある様なものとは違います、この御言葉の種が現れて力をくれるのです、ハレルヤ。生かしてくれるのです。そして聖書がこういう時「このようなことをするな」その体はすぐにそれに反応します、疑いも質問もなく。
そしてそれは何でしょうか?それこそが復活の表れなのです。この身体は再び蘇ります、それは既には甚れラれているからです。以前は罪に属していました又、崩れにもでも今はその復活を得たのです、天的になったのです。今、その表れを携挙に行く事で見るのです。それが天的な物です。
病気の人が横になり、死にかけている時、死しか考えられない時、そのすべてが起こる可能性があります。人の影を見たことがあります、ガンに完全にやられたり、TBだったりそしてその人達を見て、しばらくしたら完全に普通で強くなっているのを見たことがあります。もし聖い癒しがないとしたら、復活もありません、癒しがあるから、天的な復活もあるのです。アーメン!
天的なお金という物を知っていますね?既に支払われたものです。「彼は我々のとがの為に傷つけられた、彼の打たれた傷によって我々は癒された」何と素晴らしい!我々は彼を愛しています。
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さて、この身体はその霊に属しています。御言葉の形になってはまだいませんが、肉体を持っていますが、その御言葉に属しています。肉体の死がそこに我々を連れて行ってくれるのです。同じ様に、小さな赤ちゃんの事を考えて下さい。どんなにひどい女性だったとしても、その人と結婚する事が出来ます、彼女が妊娠して
母親になるのであれば。見て下さい、その赤ちゃんが生まれる前、彼女が火度人だったかどうかは気にしません、彼女が本当に優しくなるから。彼女が神的になる言葉見える何かがあるのです。赤ちゃんによって母親になろうとしているお母さんから。どうしてでしょうか?その小さな赤ちゃんはまだ生きてい入ません、ただ肉体と筋肉にすぎません。その小さなジャンプそれは筋肉が動いているからです。しかし子宮から出てきたらどうでしょう、神がその命を吹き込んだのです、そして叫んだのです。自然の体が作られるのと同様に間違いなく、霊的な体がここに来るやいなや受け取られるのです。
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そしてある人が新生する時、天国から、彼はキリストの霊的な赤ん坊になるのです。そしてその時彼の肉体の衣は捨てられて、自然な体、神顕体、手で作られたものではないからだ、あるいは女性から生まれたものではない、我々は行くようになるのです。
そしてその体は栄光を受けた体を選んで戻っています。
そしてそれが理由でイエス様が彼が死んだとき地獄に行って、その刑務所に入っていたその魂に宣べ伝えて、神顕体に戻るのです。何と素晴らしい!神に感謝!
第2コリント5:1「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。」分かりますね。私達はそれを超えていますね。紙から直接来るのです。その属性に、肉体となり、罪によって誘惑され試されたのです、アダムの様に。しかし、彼の言葉が試験が終わった時、我々はこの身体を取って世の始まる前から、我々を準備されていました。それは御言葉で誘惑され試されてここおいてそれが変わっているのです。それを取ったならば、我々には全てを知って、誘惑もなくなるのです。だからイエス様は全ての事を知っておられたのですというのは、肉体を取る前に彼は御言葉だったからです。そして我々は御言葉になったのです。
貴方の旅を始める時、我々は御言葉のイメージが形作られ、御言葉を取るものとなり、御言葉によって養われ、初めから、あらかじめ定められたもので、初めから、小さな命の日が分かったのです。あなた方の多くは覚えているでしょう。この教会に来て、いろいろなことを試し、何も満足していませんでした。その通りです。しかし、いつかそれを認識するでしょう。
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先日の夜、どこかで教えていたのです、確かカリフォルニアかアリゾナどこかだたと思います、ここでの小さな話を話していました、ある人が雌鶏が鷲の卵を温めていた話でした。そして鷲が生まれた時、彼は鶏が今まで見た最もおかしな格好の鳥に見えたのです。でも彼は彼等の中でも醜いものでしたが歩き回っていましたというのは、彼には雌鶏が殻を割っていろいろなものを食べるのが理解できなかったのです。彼にはアイデアを得られなかった。彼女は言うのです「ほら、一緒に来て、食べましょう!」さて、彼は鷲だった、彼はそのようには食べなかった。それは彼の食べ物ではなかった。そして彼女はバッタやそのようなものを捕まえていましたね、小さな鶏を呼びました。そして小さな鶏が一緒に皆行きましたそして割ってそれを食べていました。しかしその小さなわしはそれが出来なかったのです。彼にはそれが正しく見えなかったのです。
そしてある日彼のお母さんが彼を探しにやってきました。
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そして、彼は雌鶏がなく声を聴きました。彼はまねをして最善を尽くしてましたが、出来ませんでした。ひよこの様になこうとしましたが出来ませんでした。分かりますね、彼は初めから鷲だったのです。彼は鷲でした。ただ、彼は雌鶏の所で卵を温められてかえっただけの事でした。それは何人かの教会メンバーのようです。それはそのようなものでした、設定の一つ、正しい事です。しかしある日彼のお母さんが、飛んできて彼女は叫んだのでした。彼は気が付いたのです。それが正しい音だと。どうしてでしょうか?彼は初めから鷲だったからです。
福音、御言葉、イエスキリストの力も同じ方法なのです。永遠の命にあらかじめ定められたとき人は、その音が鳴るのを聞き、神の叫びを聞くと、何もそこから話すものはないのです。
ある教会は、「奇跡の時代は過去だ、などなど灘、ここに立って、ここで食べる、そしてここに立って食べる」などと負いうかもしれません。
農場の人達は彼を助けません。彼は行ってしまったのです!全ての事は可能なのです!彼は飛べたのです。
多くの今日のクリスチャンの問題はここにあります、彼らは彼等は飛びだせないのです。
年を取ったママが言いました「息子よ飛びなさい!あなたは鷲なのよ、ここに上がってきなさい。私のいるところに
彼は「今迄飛んだことないよ、ママ」
彼女は「飛んでご覧、あなたは初めから鷲なんだから、あなたは鶏ではないのです」だから彼は最初の一歩で飛び羽を羽ばたかせました。あまり上手には出来ませんでしたが、飛び立てたのです。
それが私達のようです。神を信仰によって書かれた言葉によって受け入れるのです。そこに何かがあるのですそれが永遠の命なのです。あなた方はあらかじめ定められているのです。
彼のおじいさんおばあさんは鷲でした。彼は鷲でした。もとに戻っても。鷲は他の物とは交わりません。彼はハイブリッドではありませんでした。彼は鷲なのです。
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そして神の言葉が彼の鷲の食べ物と認識すると、他の物とは離れるのです。生きる神の姿に創られたのです。あなたの神顕体について聞いたのです。「地上の体が消えると、我々が待っている。貴方は言います「そうなんですか?ブラナム兄弟?」と
その通りです、数羽の鷲について話してみましょう。数分を取りますね。モーゼと言う名の人が居ました。皆、預言者は鷲と世暴れたのを知っていますね、聖書にあります。モーゼと呼ばれた預言者が居ました。そしてある日、神がか彼を呼びましたそしてその地には行かせませんでした、彼は岩の上で死んだのでした。その天使は彼を取って埋葬しました。他の人が居ました、鷲でした、彼は死ぬことさえありませんでした。彼はヨルダン川を歩いて渡り、神は彼に御車を送りました、そして彼は肉体を捨てて永遠の報酬を得に上っていきました。
800年後、800年後、変容の山の上で二人の人が立っていました。「モーゼの体は数百年前に腐っていましたが、彼はペテロ、ヤコブ、に認識されるくらいになりました。アーメン!「この地上の幕屋が壊れたら(この地上にいる神が表現される属性であるならば)この地上を離れた後あなたはある身体を受け取る」へ尿の山の上に彼らが立っていました、彼らの神顕体ででした。彼等は御言葉を受けた預言者達だったのです。
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又、他の預言者についても見ていきましょう、サムエルと言う名の預言者です。彼は偉大な人でした。彼はイスラエルに教えたのです」彼らは王を持つ劇ではないのだと。彼は言いました「今迄主の名によってかたったことで、起こらなかったことがあったか?」と彼等は言いました「いいえ、全てあなたが主のみ名で語ったことは、起こりました。
彼は預言者でしたそして彼は死にました。
3年か4年後に、その王は問題に陥ったのです、それは主イエスキリストの血が流される前の事でした。彼はパラダイスに居ました。そしてエンドールの魔女が誰かを呼びました、サウルの為に。そして彼をその魔女が見た時に。彼女は、「神がこの地上を持ち上げられるのが見える」と言ったのでした。
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そしてその人が死んで埋葬された後、墓の中で腐り、ここで彼はその洞穴の中に立っていました、彼の預言者の衣を着ていました、そしてまだ預言者だったのです、アーメン、彼の為に行ったのは「私が休んでいるのに、なぜ私を呼び出すのか、神の敵になったことが分かりたいのか?彼が予言したことに注意を払ってください「明日の夜のこの時間までに、あなたは私と共に居る。」彼はまだ預言さhだったのですこの身体から彼は去っていたのにです。分かりますね、彼はここで御言葉の一部になっていたのです、肉体に入って、そして彼は世の始まる前から準備された板のです。彼はその神顕体に入ったのですそれは御言葉でした。分かりましたか?
ここに戻ってくるとき、我々全ての信仰者がそうなるのです。
そして、その形で、そのベールが開かれたのです。ご存知の様に、あなた方は御言葉になり又、そこに入る時。小さな赤ちゃんとして、しばらく前に言いましたね。
さて、気がついて下さい、神を褒めたたえましょう、これらの封印が開かれる事が私の祈りで、これらの事を知る事も祈りなのです。
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さて、メルキセデクの本当の啓示が見える様になりました。彼は神でした、御言葉で、彼が肉体を取られる前に、神であり御言葉だったのです。彼はそうでなればなりません、他の誰も、彼の様に死なないからだを持つことは出来なかったのです。分かりますね、私には父と母がいますし、あなたにもいますね。イエスには、父と母が居ました。しかしこの人には父も母もいなかったのです。イエス様には始まりの時がありましたが、この人にはなかったのです。イエス様は彼の命を与えましたこの人にはできなかったのですと言うのは彼自身が命だったからです。常に彼は自分自身で作られていたのです。私は神がそれをあなたに現してくださるように望んでいます。その同じ自分自身で作った人の事をです。彼のタイトルを見て下さい「義の王」へブル書の章2節、義の王、平和の王」彼は二つの王様です。さてよく見て下さい。へブル7章2節、義の王あるいは平和の王。彼は二つの王ここでもそうなっています。さて彼が肉体を取って以来、黙示録の21章16節でも彼は「王の王」と呼ばれています。彼はそれら3つ全てなのです。分かりますね。王であり、神であり、神顕体の王、王イエス。彼は王の王なのです。
それははっきりしています、魂、肉体、と霊が皆ひとつであるのと一緒です。又、彼は父であり、それが初めで、御子tであり、聖霊であり、義の王であり、神顕体の霊の属性で、平和の王、神顕体が彼が王の王であり肉の中に在る、同じ人なのです。
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出エジプト33:2でモーゼが見た時、彼は神顕体でした。モーゼは神を見たかったのです。彼は彼の声を聞きました。彼は彼に話したのです、藪の中で、大きな日の柱として彼を見たのです。彼は強いました「あなたは誰か?私はあなたがだれか知りたい?モーゼは言いました。もしできるならば、あなたの顔をもいたいと」彼は「誰も私の顔を見ることは出来ない」かれは「てをあなたの目に当てる、そして私が通るとき、あなたは私の背中を見る事が出来るが、顔は見れない」分かりますね、そして彼がそうした時人の背中だったのです、それは真剣体でした。そしてその言葉がモーゼに来たのです。「あってあるもの」それが御言葉でした。その言葉が、火の柱として燃える藪の中でモーゼに来たのでした。そして「あってあるもの」として。
神顕体からの言葉でした、ごめんなさい、彼はアブラハムには人として、歌詞の木の下でやってきたのです。さてそこを見てみましょう。ある人がアブラハムにやってきた、そこには3人の人が居た、そして歌詞の木の下に座った。3人いた。さて気がついて下さい。その後、彼はアブラハムに話していました。
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何故、彼は来たのでしょうか?アブラハムに、来るべき息子に関するメッセージと八子測を持ってきたのです、又、彼は神の言葉を与える預言者として、神の御言葉に信頼していました、又御言葉に何も反してはいなかったのです。どれ程御言葉が完璧か分かりますね?その御言葉は預言者に来たのです。分かりますね、神が神顕体の中に居たのです。聖書はこう言っています。「御言葉が預言者に来た」そしてここにその神顕体の中にその言葉があります。さてあなたは「それは神だったのですか?」と言います。アブラハムはそれは神だったと言っています。彼は彼の名は、エロヒムと読んでいます。さて創世記1章を見ましょう。分かるのは、「初めに神は(エロヒム)は天と地とを創造された」とあります。そして創世記18章でアブラハムがこの人を呼ぶことが分かります、そこに座って、彼に語り掛けています、そして彼の心の秘密を告げる事が出来、サラが彼の後ろにいる事を告げました。アブラハムは「彼はエロヒム」だと言いました。彼は神顕体だったのです。分かりますね?その後のこと見てみて下さい。
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さて、我々は彼が神顕体の姿でいたことに気が付きました。彼は彼を「主である神エロヒム」と呼びました。さて、創世記18章で、それが真実であることが分かります。さて、ちゃんとアブラハムを見て下さい。3人が一緒にいたのですが、アブラハムはその3人にあった時に、彼は「我が主」と言っています。
しかしロトがソドムに言った時、二人が下りて来て、ロトがその二人を見た時に彼は「我が小さな主」と言ったのです。分かりますね。そこでの問題?初めには、ロトは預言者ではなかった、そうですね、その時代のメッセンジャーでもありませんでした、だから彼は啓示をうけなかったのです。その通りです。ロトは小さな主と彼らを呼ぶことが出来ました。12人もの人を彼はそれでも小さな主と呼んだのでした。
アブラハムは何人見ても、それはただ一人の主だったのです。神がおられて、これがメルキセデクでした。
さて、戦いが終わった後、メルキセデクは彼の勝利を得た子供達のコミュニオンに参加しました、考えて下さい。彼自身を捧げ明日というおは、そのコミュニオンはキリストの一部だからです。終わるまで苦労した後、自分が鞭うたれて、そしてキリストを受け取ったのです、この存在の一部になる時に。分かりましたか?
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ヤコブは一晩中戦っていましたそして、彼が祝福を受けるまで負けませんでした。その通りです。彼は命の為に戦っていたのです。彼が彼自身をあなたに与えたのです。それが本当のコミュニオンなのです。小さなパンとかウェファースはただそれを表すだけなのです。神の一部になるため戦うのを軽くしてはいけません。この時のことを覚えておいてください、コミュニオンが出来たのは、イエスキリストが死ぬ前までではありません。何百年も何百年も何百年もあとの事でした。
しかしメルキセデクは、彼の子供アブラハムが勝利を得た後、メルキセデクは、彼にあって、ワインとパンを与えました、この地上での戦いが終わったことを表すためにです、我々は彼に再びコミュニオンを取る為に天国で会う事になります。それは子羊の婚宴です。「私は、もうワインも飲まないし、ブドウも食べない、あなた方と、父の大国で共に食べのみするようになるまでは」その通りですね?
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再び気がついて下さい、メルキセデクはアブラハムに彼が戻る前に会いに行きました。何という美しいタイプでしょうか?メルキセデクはアブラハムに彼が家に帰る前、戦いの前に会ったのでした。我々は家に帰る前に空中でイエス様に会うのです。その通りです。第2テサロニケがこの様に言っています、我々が空中で主に会うという美しい形式は、リベカがイサクに涼しい時間に会うところで表されています。我々は空中で彼に会います。第2テサロニケで「残って生きている我々は神のラッパの音がする時に、既に眠っている人達に対して問題になる事は無い、キリストにあって死んだ人が最初に、蘇り、彼等と一緒に空中に引き上げられ主に共に会うのです。」完全に全てこれらの形式になっています。
それ故、その神顕体、死んだら、その神顕体に入るのです(何が起こるのですか?)その神顕体が地上から気が贖われた身体を捕まえるのです。そして空中にいるので、あなたの体を取って神顕体に出会うのです、分かりますね」そして出会いますね、空中で主に
この神は神以外の何物でもありません!
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さて、我々の人生の旅の中での完全な秘密を見る事が出来ます、そしてシ、そして死んだ後どこに行くか。又あらかじめ定められるというのがここではっきりと見えます。さてこのことを教えられてきたのですしっかり聞いて下さい。永遠の目的の状態と言うのは彼は秘密があり今明らかにされたのです。気がついて下さい、完ぺきになるにはまだ3つの段階があります。彼が世を贖うのと同じように、同じ方法で、彼の教会を贖います。彼は3つの段階で人々を贖うのです。さて見て下さい。最初に、義化します、ちょうどルターが伝道したように、次に清められる、ちょうどウエスリーが伝道したように、3つ目に聖霊のバプテスマ。その通りです。して携挙が来るのです。
さて、世です、どのように彼は世を贖われたのでしょうか?まず初めに、彼がしたのは、罪を犯した時、彼はそれを水の洗礼によって現れました。その通りです、そして彼の血を十字架で流されて、清められて、彼自身の物と呼ばれたのです。そしてそれから彼は何をしましたか?世をあなたの為に破かれたのです、すべての物を聖霊の美しいバプテスマによってたてなおされたのです。彼は世を作り直されるのです、火によって焼かれ、全ての汚れを清め、何百万マイルの高さも、全てを清められるのです。そしてその時、新しい天国と新しい地上がある様になります、聖霊があなたを捕まえる時、イエスキリストの中に新しい創造物にあなたがそうであるようにです。見て下さい、単純に全ての事がそうなっています。すべての物が3つの物になっています。
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自然な出生も3つの中に在ります。最初に女性が赤ちゃんを得るとき何が起こりますか?まず、最初に何が壊れるのでしょう?破水ですね。次には?血が出ますね。その次の過程は?命ですね。水、血、霊。植物に関しては何が起こるのでしょう?根、初めに起こるのは?茎、その次は、穂、その次は?皮とか殻とか呼ばれるものです。そして実がその後に来ます。3つの段階ですね、実が出来るまでです。その通りなのです。
神が定められたものです。。それはいつも正しいのです。神が定められたものは本当です。単純に見ていきましょう、あらかじめ定められたのは、唯一、贖いと見做される唯一つの物です。分かりましたね?もう一度言わせてください。あらかじめ定められたものが、贖われる唯一の者たちと見做されているのです。人々は、彼等はそうだと思わされているかもしれませんが、本当の贖いはあらかじめ定められているのです。何故なら、贖いと言う言葉の意味は、「差し戻す」と言うものだからです。そうですよね?贖いとは、何かを贖うというのは「もともとの位置に戻す」と言う事なのです・ハレルヤ!だからあらかじめ定められたものだけが、戻されるのです、他の人はそこから来ていないからです。分かりますね、「差し戻す!」
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彼と共に永遠に生きるは初めから、、、永遠の命をあなたは持っていたのです、彼の思いの中にあなたが居たのです。ただ彼はあなたを、彼は私が演壇に立って行って欲しかったのです。あなた方にこんばんは座っていてほしかったのです。そして、我々は彼の永遠の目的の為に仕えているのです。そしてその方が家を離れて彼の目的のためイ地上に来て人々に仕えたのです。そうですよね?大丈夫ですね。そしてそれが終わった後、栄光を置けた姿によって戻って行かれ、又年を経て再び戻って来られたのです。だからパウロがこういったのは疑いもないのです、彼の頭が切られたとき、彼は「死よその棘はどこにあるのか?墓のお前の勝利はどこにあるのか、しかし神が我あれは勝利を下さった方その方に感謝せよ!」彼は言いました「死よ私をより悪くする方法はどこにあるか教えよ!墓よ、どのようにして私を置いておくのだ!私は、永遠の命の持ち主である」アーメン!彼はそれを認識しました。死、地獄、墓、何も彼をとどめる事は出来なかったのです。そして何も我々を傷つける事は出来ません、何故なら永遠の命があるからです!彼は永遠のによって祝福されていたことに気が付いたのでした。
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小さな雨粒の様なものです。もし理解したのであれば、私は科学についてはあまりよく知りません。しかし湿気の状態やあるいはその環境もそうなっている必要があります。そして、その夜が寒くて暗く成った時、天からその雨粒は地に落ちてくるのです。それはどこからか落ちてきます。しかし翌朝太陽が上がると、そこに陽光があって、小さな雨粒は消えてしまいます。しかし、太陽が上がってそれが輝くとしたら。それは幸せです。なぜでしょう?太陽が来たところにそれらを戻すからです。そしてクリスチャンもその方法と同じです。 ハレルヤ! 我々が神のご臨在の中を歩く時、我々の中にいる何かが着た場所が告げるのです。その力に戻る様に、それが我々を引っ張るのです。
その小さな雨粒は、輝いたり叫んだりします、というのは彼が来たところを知っているから又太陽が再び彼を戻してくれることも。
そしてある人が神の属性の中に居たら、神によって生まれたならば、知っているのです(ハレルヤ!)彼は神の御子と関係している事、ここからいつか彼が引っ張てくれる事。「私が地から昇る時、全ての人々を私に行き寄せる」とアーメン。
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さて、気がついて下さい、今からメルキセデクについてどのようにマリアが彼の母親でないかについて見て聞きます。だから彼は彼女を「女よ」と読んでいました。母とは呼んでいません。彼には父はいませんでした、彼が父でした、永遠の父です。3つの物は一つなのです。彼には母はいませんでした、間違いなく、彼には父はいませんでした。彼が父だったからです。ある詩人がこの様に言っています。イエス様について偉大な言葉を使っています。彼は言いました:
私は燃える藪の火の中でモーゼに語り掛けたものである。
私はアブラハムの神であり、輝く明けの明星である。
私はアルファでありオメガであり、初めであり終わりである。
私は全ての創造物であり、イエスこそがその名前である。
(その通り)
オーだれがあなたに私はあるものと言うのか、そして彼らは
どこから私が来たと言っているか
私の父を知っているか、あるいは彼の名を言えるか?
(ハレルヤ!)
それが父の名である。私は父の名によって来たのに、あなた方は私を受け入れない」その通りです。彼は昨日も今日もいつまでも変わらないのです。
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そしてこのメルキセデクは肉体となったのです。彼は彼自身が預言者として来た時人の子として彼自身を表しました。彼は3つの息子の名前を取ってきたのです、人の子、神の子、ダビデの子彼が地上に居た時、彼は人でした、聖句を成就させるためでした。モーゼは言いました「主なるあなたの神が私の様な預言者をお建てになる」そして彼は預言者になる必要があったのです。彼は決して「私は神の御子である」とは言いませんでした。彼は「私は人の子である、あなたは人の子を信じるか?」と言ったのです。というのは彼がそのままだから彼はそうしなければならなかったからです。
さて彼は他の息子の名前でも来たのです、見えない霊の神の子として。
そして彼が再び来るとき、ダビデの子として、彼の御座に座っているのです。
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さて、肉体となって彼がここにいた時、彼は人の子と呼ばれました。さてどのようにして彼自身を世に人の子、預言者として知らしめたのでしょうか?ある日、私は彼の兄弟である、ペテロとアンドレに話をしていました。彼等は漁師でした、そして彼らの父親である、ヨナスは偉大な信仰者でした。ある日、彼等は船の端に座って言いました。「息子達よ、魚が必要な時、我々がどのように祈るかをお前たちは知っている」と言いました。彼等は魚を売る漁師でした。彼は「我々は神であるエホバを我々の命の内に信頼している。最近わしは年を取ってきた、もうお前たちと一緒に居続けることは出来ない。私は常にずっと本当の信仰者だった、時を見て、メシアがまもなく来るときになっている、お前たちが欺かれてほしくない。このメシアはただの神学者ではないのです。彼は我々が従っている預言者モーゼの為に預言者になるでしょうと彼は言いました」
さて、どんなユダヤ人も彼の預言者を信じるのです。彼はそれを知る様に教えられてきました。そしてもし預言者が何かを言うならばそれが真理になるのです。しかし、神は言いました「誰でもあなた方の内で、霊的であるか預言者がいるならば、主である私が彼にそう知らせる。そして彼がそうなるであろうと言ったら彼に聞き、彼を恐れなさいしかしそうならないならば、彼を恐れる必要は全くない。分かりますね?それが預言者であることの立証なのです。
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「さてモーゼは明らかに立証された預言者でした、彼は言いました。「主なるあなたの神があなた方兄弟の間から、私の様な預言者をお建てになる。そして彼から聞かないものは人々から取り去られる」彼は言いました。「さて子供達よ、ヘブライ人は、神の指定された預言者を信じている覚えていなさい」さてしっかり聞いて下さい。聞き落とさないように。そして彼は言いました「メシア(救い主)が来るとき、あなた方は彼を知るでしょう、彼は預言者―救い主となるでしょう。さて彼は言いました「それから400年経った、マラ気以来預言者が居ない、しかし彼がそうだろう!」ある日、彼の死後、数年後、彼の息子であるアンデレがその川沿いを歩いていました。そして彼は荒野から荒野で呼ばわる声を聞いたのです。「メシアが今あなた方の只中に立っておられる!」大きな鷲が荒野から引き上げられ、そこを飛んだ、そして言いました。「メシアが今あなた方の只中にいる。まだ彼を知らないが、彼はあなた方の中に立っている。私は彼を知るであろうというのは、私は天からそのしるしを見るであろうから。」
ある日、彼は言いました「見よ、世から罪を取り去る、神の子羊五」この人から離れて、彼の兄弟を見つけました。彼は「シモン、あなたにここに来てほしい、我々はメシアを見つけた」
「なんだってアンデレ、そんなわけがない」
「でも分かっているが、この人は違っている」
「彼はどこに居る?彼の出身地は?
「ナザレのイエス」
「あの小さなおかしな町?なぜ彼があんな汚くて荒れた場所から出るのか?」
「とにかく来てみて下さい」
とうとう、彼はある日、説得されてやってきました。このメシアの前に来た時、そこにイエス様は立っていました、人々に話していたのです。彼が彼の前に立った時、彼は言いました「あなたの名はシモン、そしてあなたはヨナスの息子だ」それだけでした。彼は王国の鍵を得ていました。なぜ?彼はその人を知っていて、彼は彼を知りませんでした。そしてどうして彼を知っていたのでしょう、それは神を信じる年老いた父親が、どのようにしてメシアを信じるようにになるか教えていたからでした。
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ピリポと言う名前の男がそこに立っていました、彼は本当に興奮していました!聖書を一緒に学んだもう一人の人を知っていたのです。彼から離れて、丘のあたりで、彼のオリーブ森の中で彼を見つけました。彼は膝まづいて祈っていました。彼等は沢山聖書の学びを一緒にしていました、そして彼はそこに出かけていたのでした。そして彼は祈りが終わったら、彼は「我々が誰を見つけたかを見に来てくれ、ナザレのイエス、ヨセフの子だ。彼こそが我々が探しているメシアなのだ」さて、ナタナエルがこう言っていたのを聞きました「さてピリポ、奥の方に行ってみたくはないのか?」
「いや、ナタナエルが答えて「さてピリポ、深い方に移行とはしてないよな?」
「いえいえ、言っておきますが。我々が聖書学習を一緒にしていて、そして預言者はメシアはどうなるかと言っていましたか?」
「彼は預言者である。」
「覚えていますよね、あの年寄りの漁師で魚を持ってきた意図は、シモンとつづる事も出来ないほど教育がなかったこと?」
「はい、そうそう」
「彼はやってきた。そしてどうなったかな?このナザレのイエスが、彼の名はシモンだと言って、彼の名をペテロに変えた、それは転がる小さな石だと、彼に行った、それがパパだったんだ。
「さて」彼は言いました「ナザレから良いものがであるなんてことを私は知らない」
彼は「それについて話すのは止めよう、行ってみてみよう」と言いました。「それは良い考えだ、行ってみてみよう」
そしてピリポがナタナエルを連れてきました。そして彼が歩いていると、イエスが多分立って話していました、多分プレイヤーラインの様に並んで病気の人の為に祈っていたのでしょう。そして彼がイエスの所に来るおt、イエス様は彼の周りを見回して、言いました。「見よ、ここに心に偽りのない、本物のイスラエル人がいる」と
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さて、あなたは、「まあ、それは彼がそのような服装をしていたから」と言うでしょう。いいえ違います。全ての東の人々は同じ服装をしていました。彼はシリア人に見えたかもしれませんあるいは他にもひげと服装は同じだから。彼は言いました「見よ。ここに心に偽りのないイスラエル人がいる。」(つまり正直で、誠実な人)
さて、ナタナエルはある意味驚き。そして、彼は「ラビ(先生と言う意味)、ラビ、いつ私の事を知られたのですか?どうして私がユダヤ人だと分かったのですか?どうして私が正直で偽りがないと知ったのですか?
彼は「ピリポがあなたを呼ぶ前、あなたは木の下に居た時に私はあなたを見た」んー、!15マイル(約30Km)も離れた所、反対側に居たのにそれもその日の一日前に。
彼が言ったのは、「ラビ、あなたこそ神の御子、イスラエルの王であられます」
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しかし、そこにいた祭司たちが立ち上がっていった、「自己流の、自己的に、「この男はベルゼバブであり、予見者だ」と、イエスは言った「私はあなたをその事のゆえに許そう」
さて覚えておいてください、彼等はその事を声を出していったのではありません、ただ心に思っていただけです。「そして彼は彼等の心を見抜いた」その通りです。その様に聖書が言っています。テレパシーと呼び抱ければそうしてもいいが、彼は彼等の心を見抜いたのでした。
そして彼は言いました「その事の為にあなたを許す、「彼が去った後」聖霊がいつの日か下り、又同じ事をみことが敵対したらば、この世でも来るべき世でも許される事は無い。」その通りですか?さてそれはユダヤ人でした。
そしてある日彼はサマリアに行く必要がありました。しかし、我々が行く前にその女性を見つけました。あるいは
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その男性、彼が美しの門と言われる文の所を取って、彼は癒されたのでした。イエス様は彼の状態をご存知で、言いました「床を取り上げて、家に帰りなさい」そして彼はそうして、良くなりました。そして我々が見つけたのは、そのユダヤ人たち何人かはイエス様を受け入れていました。何人かは信じていました。ある人達は信じませんでした。彼等は何で信じなかったのでしょうか?彼らは信じる様に定められていなかったのです。彼等はその属性の一部ではなかったのです。
さて覚えておいてください。祭司や優れた偉大な人々でした。そしてイエス様は、これらの神学者や祭司たちの事を考えて言いました、あなた方は彼等の生活に問題を見つける事が出来ない。「あなた方は悪魔の子たちである、あなた方の働きがそれを示している。」「もしあなた方が神の者であったならば、私を信じたであろう。もしあなた方が私を信じられないならば、働きを信じられる。それらが私が誰だかを示すのだから。」
さて、聖書には、イエスは昨日も今日もいつまでも変わる事がないと書かれています。イエスは言いました。
「私がしたことを私を信じた者もするようになる」そうですね。気がついて下さい。それは間違いなくメルキセデクでした。
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さて、再び気がついて下さい。3種類の人種しかいませんでした。私の行った事を聞いて居ましたね。私は分離主義者です。そうなんです。全てのクリスチャンは分離主義者です。色で差別ではなく、霊的な差別なのです。彼の肌の色とは関係がありません。彼は生まれた時に神の子です。しかしクリスチャンは、神が言いました「離れなさい、彼等から出てきなさい」などなど、彼はきたないものから離れる事正しいものと間違ったものとの分離主義者なのです。しかし気がついて下さい、彼等は人種差別主義を持っていました、それはサマリア人に対して。そして地上には3種類の人種しかいません、もし我々が聖書を信じているならば、それはハム、シャム、ヤペテの人々なのです。それらはノアの3人の息子達です。我々は皆そこから生まれて着てくrのです。その通りです。アダムからならば全員黒人になります、そうすると我々は皆兄弟です。聖書には神は全ての国々の為に一つの血を創られた」とあります。我々はその血流により全員が兄弟なのです。黒人は白人に輸血をする事が出来ますし、その反対もです。白人は日本人に、黄色い人達或いはインディアン、赤いと言われる人たちその他ジャパ人何でも同じ血を持っているから彼に輸血を出来るのです。肌の色や、どこに住んでいるかは全く関係がないのです。
しかし、我々が分離した時、世から離れた時、例えばエジプトからイスラエルに人々を連れてきたときの様に別れたのです。そして我々は世の物から分離したのでした。
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さて、彼等は、ハム、シャム、ヤペテのに人々でした。そしてもしその家系図に戻る事があったら、アングロサクソンがどこから来たかを見る事が出来るでしょう。さて、それはユダヤ人でした。サマリア人はユダヤ人と異邦人のハーフでバラムがモアブにしたような結婚によってできたのです。彼等がサマリア人でした。そしてユダヤ人と異邦人が居ました。さて、アングロサクソンはそれらとは関係ありません。我々はメシアもそれ以外の何も信じていませんでした。我々はそれを探してもいなかったのです。我々は後にその中に連れてこられたのでした。
イエス様は彼自身の人々に来ましたが、彼自身の人達は彼を受け入れませんでした。そして彼の弟子たちに彼は言いました「異邦人の方にはいかなくてよいしかしイスラエルの失われた羊を求めなさい」そして彼はイスラエルの失われた羊を求めていました。さて見てみて下さい、彼は彼自身をユダヤ人の前には人の子として表していました。彼等はそれを見下げたのでした。
さて、サマリア人はユダヤ人と異邦人の都のハーフで彼等も信じていて、メシアを探していました。
我々は違います。我々は異教徒で異邦人で偶像崇拝をしていた過去がありました。
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さて、ある日、ヨハネの4章に、彼はエリコに行く途中でサマリアを通る必要がありました。しかしサマリアを通らないようにしていました。そして彼がそこを通る時、スカルと言う街の外側の井戸のところに立っておられた。そしてその井戸でもしそこに行った事があれば、小さな景色がここにはありました。そして公的な井戸がそこにあり、見ずがあり、人々が皆そこに来ていました。そしてその女性も朝から出て来て水の為の鉢を追っていました。そしてそれを彼らの尾頭の内に又両方の腰において歩いていました。出来る限りまっすぐに、水をこぼさないように他の人とそこから出てくるとき話しませんでした。
そして、これはその日の11時ごろの事でした。彼は弟子たちを食べ物を買わせるために街に送り出していました。そして彼らが行っている間に。。。
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病的に見える女性が居ました。現在では、売春婦とか飾り窓の女などと呼ぶでしょう。彼女には沢山の夫が居ました。さてイエス様がそこに座っている間に、この女性は11時ごろに出てきたのでした。さて、彼女は、処女の女性達が朝来ている間に出てくることは出来ませんでした、彼等が終わるまで待たなければなりませんでした、その時は彼等が混ざる事は出来なかったのです。彼女は印がつけられていました。だかrあ、彼女が水を取りに来るとき、古い鉢を持ってきてフックにかけてそれに入ってくるように始めていました。彼女は、誰かが「婦人よ、私に水を一杯下さい」と言うのを聞いた。
さて、覚えていてください。これはメルキセデクでした。このイエス様は、昨日は、人の子でした。そして彼女は周りを見渡して、一人のユダヤ人を見ました。さて彼女は言いました、「先生、ユダヤ人がサマリア人に何かを尋ねるのは、良い事ではありません。私はサマリアの女ですそして、あなたは自分の場所出身の人と話すべきです。この様な事を私に尋ねるのは良くありません。我々はお互いに取引はしない事になっていますよね。」
彼は言いました。「しかしもしあなたが話している人が誰だか知っていたら、私に水を頼んだであろう」彼女は「どうやって水を取るのですか?井戸は深くあなたは汲む物を何も持っていないです」と言いました。
彼は「私が与える水は、永遠の命の泉から湧き出す命の水である」と言いました。
彼は彼女に、彼女の条件が分かるまで話しました。そしてその時、彼女に「夫を連れてきなさい」と言いました。
そして彼女は「私には夫はいません」と言いました。
彼は「あなたは本当の事を言っている、以前に5人いたが今一緒に暮らしている男は夫ではない、だからあなたは真実を語った」
さて、ここでその女と祭司達との違いを見て下さい。彼女は、何人もの祭司達を合わせたよりも、神について良く知っていたのでした。
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彼女は、「先生、私はあなたが預言者だと見ます」と言いました。「400年前に居て以来今迄預言者が居ませんでした」さてメシアが来ることを知っています。そのメシアが来るとき、彼はそのような音をするでしょう。「それはメシアの印であり、彼が人の子であった。「彼が来るときのそのようなことをする。あなたは彼の預言者に違いない。」彼は「私がそれである」と言いました。誰も何も言えませんでした。
彼女は水鉢を置いて、街に出て行き「何もかも私がしたことを言い当てた人がいます、見に来てください。彼はメシアではないのでしょうか?
さて、彼は異邦人の終わりの時の同じことをすると約束したのを覚えていてください。
世だ屋人は400年預言者が居なくてメシアを待っていました。4千年間、彼が来ることを教えらて来たのです、そして彼がそこに来た時、彼等は彼を見つけられませんでした。認識できなかったのです。そして、彼が聖書の言葉で彼どのようにするかを示した時、彼は神顕体として、にくたいを取って、彼等の中に住んだのですが、彼はそれを見つけられなかったのです、彼の業を悪魔の業と呼んだのでした。
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さて、我あれは2千年の教えが使徒たちの後ローマカトリック教会を通して与えられたのです。そして、ローマカトリック、ギリシャ人そしてその他がルーターの時代迄、ウェズリーの時代など、900もの異なる組織に分かれてきたのです。彼等は全てのこれらの時代の教えなのです。さて、彼は約束されました、終末の直前に、ソドムとゴモラのようになると、そして再び、そのソドムの時代の中で、終末がやってきて、彼自身が再び、人の事として顕れる」(テープが切れる)
「しかししばらくの間、世は私を見なくなるが、あなた方は私を見るであろう、私(人としての代名詞)私はあなたと共に居る、あなたの中にさえいる、世の終わりまで、あなた方と共に居る」彼は昨日も今日もいつまでも変わらない方です。分かりますね?
分かりますね、昨日の夜の私の説教から、サマリア人は実際、ヘイガー、間違った形です。ユダヤ人はサラ、あるいはサラ人。しかし、マリアの異邦人は、王室の血筋、アブラハムの王室の血筋なのです。
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さて、それがこの終わりの時にに役遅くされた板のです、この同じ神、この同じキリストがここに帰ってきて、人の子として彼自身を表されることです。何故でしょう?彼は昨日も今日もいつまでも変わらない方なのです。そして、もし彼がユダヤ人たちに行かせていたら、彼等のメシアの印を与えたら、その時は、異邦人たちの教えが終わり、進学に戻る尾です。
彼は正義ではくなるのです。彼は聖書がへブルの13章8節で言っている様に、同じでなければならないのです。彼は同じなのです。
そして、彼がマラキ書の4章で約束している様に、そして全ての事なる聖句が告げている様に、終わりの日々に、その教会が今日の様に設定され、世がそのようになるのです。
今日の世の中を見て下さい。ソドムの状態が見えます。自身が様々な場所で怒っています、そしてそのような事が起きています。教会を見て下さい、とんでもない状態。バビロンの様態。そのためのメッセンジャーも、オーラルロバーツやビリーグラハム。
G-R-A-H-A-M初めて、全ての兄弟に対してアブラハムの様にハムで終わる、メッセンジャーが出ました、グラハムは6文字です、彼がどのような人だか分かりますね?世に対してなのです。6は人の数字です。人は6日目に創られました。しかし7は神の数字です。
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さて、ソドムにいる人々を見て下さい。そして、彼等に話しかけている彼らのメッセンジャーを。しかしさて、アブラハムの王室の子孫たちはどこに居るのでしょう?彼らの印はどこにありますか?彼は言いました。「ソドムの時の様になる」そして神が来て、人間として表される。そしてサラは心で思い返していました、テントの中で彼の後ろに居ました。その異邦人の世界が火によって滅ぼされる前の印でした。そしてその教会が全世界が破壊される間に、この異邦人の世界が火によって神の錨によって破壊される前にです。それを信じますか?メルキセデクは肉体があり、人の体として神自身として表されるのです、そしてその後、彼自身が肉体になったのです。そして今、今日、彼は昨日も今日もいつまでも変わらないのです。それを信じますか?
誰がこのメルキセデクなのか、それは今日の今日も変わらない。「父もなく、母もなく、彼は初めもなく、そして終わりもないのです」そして彼はアブラハムに会ったのでした、そして印の種類として彼が動かれるのでしょうか?そして彼は肉体をとなった時、彼はそれを終末の前に繰り返しそうしたのです。信じますか?私はそれを信じます。
祈りましょう。
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親愛なる神様、あなたが昨日も今日もいつまでも変わる事がないと言われた聖句を信じます。そして全身全霊で、主よ、何か起こる事が決められている事が分かっています。それが何なのかはっきりは分かりません。何かを言う事を恐れています、主よ。あなたはあなたの僕の心をご存知です。そして、何度も、時代を通してあなたが送ったこと人々が失敗してきました。人は神のされたことに関して又、これからされる素晴らしい事に関して賛美し続けますが、神が今なさっていることに関しては無視しているのです。それは時代を通してそうなのです。なぜローマ教会は聖パトリックが神の預言者としてみなすのに失敗したのでしょうか?彼女が女預言者であった時にジャンヌダルクを魔女として焼き殺したのでしょうか。父よ、それは全て過去の事です。あなたは賢者やえらい人々の目から隠れてきました。間違いなく、あなたは祭司たちに言われました、「預言者達の墓に添えられて、そこにいた一人がそこにいた」彼らが行った後、彼等は彼等の間被害が分かった。彼等はいつも主よあなたを博学していました、どんな形でもあなたが来るときにです。
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私が神がもう一度だけ時間を下さる様に祈ります。明日我々はタクソンに行くように予定が立っています。世界の他のエリアで他の街々で私達は伝道する必要があるのです。しかし、親愛なる神様、今まで来たことの無い知らない人がここにいるかもしれません、彼等は伝道された言葉を聞いた事がありましたが、それが顕れたこと事は無かったのでした。初めから、あなたに尋ねたように。クレオパスと彼の友人はエマスから来た弟子たちで道を歩いて、藪の中からあなたが出て来て、彼等に話しかけ始められました、復活の後に彼等に伝道しました。なぜ、彼は「心の愚かなものよ。キリストはこの様な事を通られてから、彼の栄光に入られることを知らないのか?」しかしそれでもまだ彼は認識できませんでした。一日中彼らはあなたと歩いていましたそしてそれがあなただと気が追加なかったのです。しかしある夜、、、
夜が着て、彼等はあなたが入って来られました。彼等が小さな宿屋に泊まって扉を閉めていた時、あなたは十字架にかかる前にされたのと同じ方法で何かをなさり、彼等アそれが蘇ったキリストだと気が付いたのでした。カーテンの後ろにいて行ってしまっていたしばらくの間に。即座に彼等は走りかけて弟子たちに言いました「主は間違いなく蘇られた!」
父である神よ、私はあなたが生きておられると信じています。おられることを知っています。何度もそれを我々に召命されました。もう一度そうしてくださいませんか主よ?もしあなたの恵みを頂けるならもう一度表してください。私はあなたの僕です、ここにいるこれらの人々はあなたの僕立ちです。主よ、全て私達が行った事、数は関係なく、たった一言でもあなたがおっしゃられることは、私が5晩話すか5つのメッセージをするよりも偉大なのです。それ以上です。あなたからの一言がです。主よ語ってください、人々が彼等に私が真理を言っていることが分かるようにです。認めて下さい。神様。イエスの聖名によってもう一度おたずねします。
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さて、私はあなたを知りません。ある人々は知っています。ここに座っているこの少年は知っています。あそこに座っているビルダウチも知っています。ここにブライア兄弟、ロドニーコックスが居ます。そこではよく見えません。こちら側では、現状そこで、誰もよく話見えません実際それが私の知っている事です。さて、ここにいる人で私を知らない人が何人いますか?手を挙げて下さい、あなたについて何も知らないはずの人、両手を挙げて下さい。
ここにいる人達の中で何か問題があって、それについて私が何も知らない人は?両手を挙げてもらえますか?
さて、実際完璧に絶対全くあなたについて知る事を不可能です。そうでないならば、それは霊からの啓示でなければなりません。
そして、これらの晩に私があなた方に告げた事、そして今晩、神は死んでいないのです、ここにおられて、同じことを約束されたのです。そしてその約束は終わりの日にそうなると約束されています。マラキ書の4章によると、又、ルカによる福音書によると、彼は人の中に現れて彼の人々に同じことをして同じことを表され、同じ救い主の印を表されるのです。聖書読者の何人がその真理を知っていますか?アーメンと言ってください。(会衆がアーメンと言う)と言う事はみんなが聖書を読んでいるはずですね。
さて、今日の人々にとってはそれは良く知らない事だと分かっていますが、それは真理なのです。それが理由で彼らはナザレのイエスを知りませんでした。彼等は教会の信条は知っていましたが、彼自身を知らなかったのです。しかし彼は聖書が言うとおりに来たのです、神学者や祭司が言った形ではありません。彼は預言者として彼の人々は彼を受け入れなかったのです。
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さて、神がもし彼の言葉を守るならば、そしてもし私がある意味誰か私の知っている誰かにそして誰かほかの人の様に、、分かりますか、誰か私の知らない人が欲しい。そしてあなた方に祈ってほしい。さて、ある小さな女性が病気でした。彼女は医者に全てのお金を使ったけれども彼女は良くなりませんでした。そして彼女は心の中で「もしその人の衣のすそに触れれば、きっと私は良くなる」その話を覚えていますか?そしてみんなが彼女を外に出さないようにしましたが、彼の衣に触れるまでまっすぐ歩んでいきました。戻ったり座り込んだりしながらでした。
しっかり聞いて下さい。そしてその時、彼がそうされたとき彼女がそうした時、イエス様は振り向いて言われたのです。「誰が私に触ったのだ?」と
さて、使徒ペテロは彼を叱りました。こんな様な事を言ったかもしれません。「主よ、そんなことを言わないでください。人々はあなたがおかしいのではないかと信じてしまいます。何故なら、人々に肉を食べて血を飲めと言ったり、彼等は既に何か狂っていると思っています。そしてあなたは「誰が私に触ったのか?」全ての人々があなたに触れています」
彼は言いました「そうだ、しかし、力が私から出て行ったのだ」とそれは異なる種類の触れ方だったのです。そして皆その力は「強さ」だと知っています。「私は弱くなった力が私から出て行った」
そして彼は会衆を小さな女性を見つけるまで見回していましたそして彼女に彼女の長血について尋ねました。そして彼女の体のその長血の問題が止まったのを感じていました。その通りですね?そして彼は言いました「あなたの信仰があなたを救った」と
さてギリシャ語の言葉でsozoと言うのがありますその絶対的な意味は「救われた」肉体的あるいは霊的に同じなのです。 彼は彼女の救い主です。
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さて、もし彼が昨日されたのであれば、そして彼の行動によって証明されたのであれば、人々の間におられたのです、そのメシアは約束されました。そしてその方法で聖書に約束された方法で彼自身が認識されるのです。彼は同じことを今日もなさいます、そうしなければならないですよね?貴方は言うでしょう「彼は病をいやすことを言いましたか?」はい 聖書のへブル人への手紙で、ちょうど読んだように、イエスキリストは今我々の大祭司で、我々の弱さに触れる子tが出来る方です。それが真実だと知っている人は何人いますか?聖書は言っています。「彼は大祭司になられたのだから、我々の弱さを思いやる事がおできになる」そしてもし彼がその時以来同じ大祭司ならば今どのような行動をされるのでしょう?彼は同じ方法で行動されるはずです、もし同じ大祭司ならば。さて、あなた方はこう思っているかも、、、
私はあなた方の大祭司ではありません。あなたが私に触れるかもそしてそれはただ夫や兄弟や誰でも人に触れるのと変わりはありません。
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しかし、あなたの信仰によって彼に触れさせるならば何が起こるか見て下さい。さて、もし私が神の僕であなたに真理を告げているならば、神がそれを真理としてくださるのです。
そしてそれがイエスキリストが今晩ここに生きておられ立っておられることを証明します。そうではないですか?
さて、あなたに信仰があり、ある時こちら側に居て、片側に居たとして。あなたはそこで信仰があるのです。ここではマイクを使い続けたほうが良い方でと言うのは彼等が私の声が聞こえないから。
誰かが、神を見上げて、ただ「神様この人は私の事は知りません何も私について知ってはいません。私は彼には完全な他人です。しかし私の信仰があなたに触れさせています主よ。そしてあなたは、私の問題が何かをご存知です。主よ私について全てをご存知です。私が誰であるのかペテロを知っていたのと同じように御存知です。あなたがナタナエルを知っていたように、そしてその長血を患っていた女性の問題を知っていたように。そしてこの人は私に、あなたは昨日も今日もいつまでも変わる事がないと言いました。そして主よ私の信仰であなたに触れさせてください。」
そしてもし彼がそうするならば、ここでも彼自身が彼の絶対性を全身全霊で信じる者たちにに現してくださるのです、一人か二人か3人の証人になりますか?神が祝福しますように。
74
さて、父なる神よ、これは完全に人の手を完全に離れたものです。それは超自然的な顕れでなければなりません。だからあなたが私を助けて下さるように主よ祈ります。私はあなたの御手の内にいます。あなたが見られるようになさってください。イエスの聖名によって、アーメンさて、心配性にならないで。ただ謙虚に献身的に「主よ、私はあなたに仕えます。そしてそれが真理となります、そして私があなたの御衣に触れる事が出来るならば、そしてその人にあなたが話してくださるならば。それが私に彼がその真理を言うならば、それが証明になります」その通りですよね?
その光についての写真を何人が見ましたか?国中にいろいろなところにあります。科学がそれ尾を調べましたそして全ての場所になります。今、彼はここにおられます。結婚と離婚について言われた同じ方です、山の上におられた同じ方です、そこの丘でゆすられた方です、ここの川の33におられた同じ方です、昨日も今日もいつまでも変わらない方です。彼は同じなのです。
75
さて、そこに女性が居ますそして彼女は何かが起こっていることを認識しています。その光が彼女の上に降りてきました。彼女はそこに座っておる、緑色のセーターか何かを着ています。彼女の事は知りません。お互いには知らない同志です。そうですね。あなたは神を信じますね、そしてあなたには必要があります、そして神があなたの問題を私に顕してくださると信じますね?そしてもしそうするならば、それは超自然的な力になる音が分かりますね。何故なら私はあなたを知らないからです。超自然的でなければならないのです。それはあなたがだどう考えるかによります。祭司と共にあなたの考えを取る事も出来ます、悪魔と呼ぶこともできるあるいは信仰者の側を取ってそれを神と呼ぶこともできます。
もし神が私にあなたの問題を顕すとしたら、神にあなたの問題の贖いとして受け取りますか?今現在私はその問題は知りません。しかしあなたがはご存知だと分かります。何かが起こっていますね。
さて、あなたが感じる事を言ってください。そうしたら本当に暖かくて優しい快適な感覚を知ることになります。まっすぐに見ています。それはその光で、その女性からぶらさがっているのです。
そしてその女性は胃の問題を持っています。それは胃の中で膨らんでいる種類のものです。彼女はここの人ではありません。ここから遠く離れていますよね?そうですね。あなたはウィスコンシンから来られたのではないですか?間違いなく、あなたは癒されました。あなたの信仰があなたを完全にしたのです。
さて、彼女に触れたのは誰でしょう?彼女から25ヤード離れています。彼女はイエスキリストに大祭司に触れたのです。それを信じますか?
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今私は話しかけている女性を見ています。この女性です、彼女をまっすぐに見ています。彼女は必死にある男性の為に祈っているからです。彼女は私に言いました、ある男性が居るとでも詳しくは何も言いませんでした。しかし彼女の名前はワルドロップ夫人です。彼女はフェニックスから来ました。彼女は死からよみがえりましたそして彼女の医者はレントゲンで心臓にがんを見出していました。彼女はプレイヤーラインで死にました。どのくらい前でしたか、ワルドロップ夫人?18年前ですそして彼女はここに座っています生きる証人です。彼女の医者がそのミーティングに来て言いました「何でその女性は生きているのか?」しかし彼女は生きていて、その問題はもうありません。
彼女は誰かを連れてきていますそして彼女は彼の為に祈っています。彼は糖尿病で死にかけています。さて、私が知っていたのはそれです。
しかしあなたが祈っているのは、、あなたが祈っている人を誰だか私が知らない事をあなたは知っていますね、ワルドロップ婦人。
彼はミゾーリ州から来ています。彼の名前はクーパーさんです。そうですね。さて、信じるならば家に帰ったら癒されています。それはあなた次第です、信じるならばなのです。
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ここにある女性が居ます、彼女は、喘息で複雑な状態で苦しんでいます。彼女はここの人ではありません。彼女は会衆の中で座っています。ちょうどそのあたりに、彼女はここの人ではありません。ジョージア州の人です。マッケニーさん。全身全霊で神があなたを癒してくれると信じますか?立ち上がってください、もし私を知らないならば。イエスキリストがあなたを癒します。信じますか?
私の後ろい、男性で私の後ろに座っています。彼は神に繋がろうとしています。そして彼が望んでいるのは、赤ちゃんが心臓の問題を持っているのです。そしてその赤ちゃんは心臓に問題がありますそして医者は言っています。その人の名前は、コックスさんです。立ち上がってください。コックスさん。「そして彼は彼の後ろにいるサラが考えていることを神が告げてくれました」
彼の通りの反対側に、ちょっと腫れていますが、ここの人でない男性がいますが、ニューメキシコ州から来られた方です。初めて彼を見ました。今彼の事を見ています。彼は私の後ろにいます。彼はニューメキシコ州の人です。彼には興味のある少女がいますが、彼女の口の中に何か問題があります。それは、
彼女の口の中の口蓋ですそれが問題です。そしてその男性の名前はウェスト氏です。立っていただけますか。彼の事は全く知りませんが主である神は彼の子供を癒されます。
78
全身全霊で、今、あなたは信じますか?何人が今全身全霊で信じていますか?イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わらない方だと。彼をあなたの救い主として受け入れますか?手を挙げて下さい。彼があなたの癒し主と信じますか?
さて、ここに座っている人で障害か何かで横たわっている人がいます。このマイクから私の声が聞こえますか?あなたの事は知りません。あなたはそこに寝ている女性と言うだけです。もし私が癒されるならそうするでしょう。私はあなたを癒すことは出来ません。
(ある人が泣き始める)それは男性で喜んでいます、彼の子供が癒されたのです。
あなたの事は知りません。あなたは女性です。私は男性です。人生で初めて我々は今日会ったと思います。これらの人々はあなたを今日ここに連れてきた人ですね。正直言ってここに来るのは初めてでただ連れてこられたのですね。あなたは遠くから来ましたね。死をさまよっていますね。あなたにはがんがあります。障害ではありません。医者たちはもう何もできないのです。事実ですね。そして間違いなく死にますね。医者に出来る事はもう何もないのです。
ある時、サマリアの門のところに3人の足萎えが居ました。そしてその人達は「我々は死ぬまでここに座っていることになるのはなぜですか?」と言いました。シリア人全員が飢餓で死にかかってきました。他の子供を食べたりしていたのです。彼等は「敵のキャンプに行けたならば、シリア人達、彼等が僕らを殺せば、我々はとにかく死ぬでしょう。彼等が我々を救えば、我々は生きるでしょう」そしてその機会を得ました。信仰によって彼等自身だけでなくグループ全員を救ったのでした。
さて、あなたは死にかけています、生きることは出来ません。しかし敵のキャンプに行くように尋ねられたのです。しかし、父の家にあなたは生きる様に招待されていました。
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あなたはガンで死にかけています。神のいない所で生きることは出来ません。この町の人ではないですね。この周辺から来られたわけではないですね。長距離を来られました、、、ミルウォーキーからですね。そうですね。その町を見たことがあります。私は知っています。その通りです。神を信じますか?今癒し主として受け取りますか?もしそうするならばどれ程弱くてもどれ程長く床に就いていたとしても、あなたの場合は、イエスキリストの名前を高く引き上げるのです。そしてその床を取り上げて家に帰りなさい、神の栄光の内に生きるのです。私を神の預言者として信じ従いますか?そしたら立ち上がって家に帰りなさい元気になります。さて、怖れないでください。その床を取り上げるのです。神があなたを癒してくださいます。分かりますね。
誰か彼女が立ち上がれるように支えて下さい。あなたは神を信じますか?小さな力が得られるように、大丈夫になります。その通りです姉妹よ。彼女は主イエスの名前の中にいるのです。立ち上がって神に賛美を捧げましょう。彼は昨日も今日もいつまでも変わらない方です。 行って主イエスキリストがあなたを祝福しますように。